2020年5月31日日曜日

『Push』

Russell Maliphant の代表作『Push』のアレックス・ジュリー版(2006)をアーカイブとして出すことにするということでプルミエ上映があり、イギリス時間に合わせてみてあげた。(おそらくコロナ問題もあり大変なのだと思う)
なお、アーカイブと言っているから公開されるのだろう。ご興味ある方はぜひ。
振り付け、その後のツアーと一緒だったので何十回とみた作品だが、やはり綺麗な作品だと思う。そしてラッセル・シルヴィー版よりも多分好き。かなり差は明らか。
円満に離れたものの、日本で頑張るんだと思っていたので、しばらく隠れていたのだけれど、これを機にFacebookで繋がることに。(私は友人申請をしないことで知られる)
あれから15年(実際に私は2009年までいたのだけれど、PUSHを作っていたのは2005年)。と思うといろいろ衝撃。ま、歳をとるよね。懐かしい。

アレックスは当時からレイジーなところがあり、困ったさんだったが、いいダンサーではあった。俺働くと、ナニー(乳母)頼まなくちゃいけなくて、そうすると俺のサラリー飛ぶんだよね、って。年齢のこともあり(私よりもかなり上)リーマンショックの後はダンサー業は減らして行った。でも素直で、そのままストレートに感情が現れる人だった。私のイギリス時代で数少ない安心できる友人でもあった。

ダンサーとしてのお仕事はそんなに高給取りではない。あくまで肉体労働で、かつ期間労働者なのがイギリスの現状ではある。

日本は、そもそもどれだけリハーサルやっても給料支払われない、払われても交通費で消えるレベルでしかないこの今の状況を思うとマシではあるが、それでいいのかはわからない。で、あるとすれば、副業を持つことを前提とした、新しい作品制作の形が生まれるべきではないか。このコロナ問題の中では特に。なんて話で盛り上がる。





2020年5月30日土曜日

鳥取夏至祭2020への道20200530

鳥取夏至祭2020への道20200530
2020年05月30日
参加者:10名

まず一回やってみましょうということで5分行ってみる。
久しぶりの方のためにここのところの主なルールを説明。
肘付き
バラバラか統一感を持たせるか、画面を動かすのはどうか、枠の中のものの話とかどこまで縛りを作るかが課題になっています。
必然的に縛りがあるから使わない手はない。
でもそこだけに囚われてしまうのは面白くない、オフをあえて作る、今日のお題を何か設定したりしています。
久しぶりすぎてわからない。(これまでの映像も見れてない)何をしたら楽しいのか??
箱庭について
セリフとかもいいよね。
セリフどうする問題→どういう形であれ確信犯的に行うという名言
動きも音も、セリフも私は今これをやるという意思を持って行う。誰かがついてきたりする。なんとなく流されるのではなく。
やらないということも大事な選択肢。

あまり説明しすぎてもなんなので、やってみましょう。なんでもありってことで。
みる人ってzoom?→ギャラリービューのyoutubeのライブ配信を考えています。
ソロの1分回しなどの場合はスピーカービューでその人が見えるようにします。

音量調整、画角などは各自で合わせていただく必要があります。(前もって時間を取る必要がある)

終わりの時に正面見るのありにしましょう。あ、終わったなとわかる。
突然やめなくても良い。終わったらそこにたどり着くように。
タイマー雌鶏

やってみての感想
自分やってると見れないんですよね。
でも誰かと会話できた気がする。
ずっと誰かにみんなが反応しちゃうと面白くなくて、誰かが別のこと始めるとかが結構重要。
朗読、ずっとではなく、止める時があると変わるきっかけになるかも。
ずっと動き続けなくてもいい。ちょっと待ってる、無音とかそういうことも話しています。
言葉の力が強いので引っ張られがち。吸い寄せられる。本当は音楽もダンスもそうあるべきだけれど。隙間が欲しいな。
強迫観念で動かなきゃってなってしまうんですが、みてる人もいっぺんには見れないので、続いているけれど空白を作るというのがポイントかも。
スパイス的な。
長尺をすると感じが分かるかも。(15分とか1時間とか)落ち着いて他の人見てみるとか。それでも成り立つ。頑張りすぎない、焦らない。
朗読だと画面に出せとくといいのかも(見ながらしやすい)本を使わないのも手だよね。
画面に囚われすぎないような訓練を最近はしています。

15分でやってみましょうー
お題:家の中にあるものを一回使う。
音もっと欲しいです!言葉とのコラボが面白い。

やってみての感想
いろんな人のも見れるし、遊びが始まる。5分だと自分がやって終わるんだけれど。音一人だと頑張ったって感じになってたんですけれど。
音に合わせて動いたほうが楽しい。画面をみすぎるんではなくて(実際に追えないし)。即興的に見せるということを考えなくて行うのは楽しい。
(パソコンを持って動いていた)臨場感があって面白かった。
全く無視しているのも面白くなくて、ちょっと探っています。カメラを動かすというのについてはどういう形が見やすいかというのはこれまでも課題になっていました。見た人がどう思うかとか。
面白いことは起きているんだけれど。これまでも。
風景が変わっていくとかツアーっぽくて面白かった。
これくらい人数がいると我関せずな人がいていい。
声が面白かった。
バランスとってますね。皆さん。本能的にかわからないけれど。全然やってない人が見ても面白い感じになるかも。作為的な感じではなく。
9人が12とか16とかになるんですけれど。それぞれの部屋が出つつ、見えたらいいね。
ダンスよりの人が多いから、繋がりを見ようとしてしまう可能性がある。ダンスを知らない人が見て面白いかどうかは危うい。
我関せずすぎてもちょっと怖い。
ここにいる人はなんとなく繋がろうとしてるんだという共通意識があってできるんだったらできそう。→昼会は基本きている人なので、できるのではないか。1回やってみるというのはイメージもしやすいし良い気がします。

共通で持っているものがあるとかいう案出てましたね。衣装とか。

我関せずはフォーカスを変えるということですね。
焦点化を変えていくアプローチかな。
9人の世界ではなく、自分の部屋に戻って違う部屋でやったことが他の人に拾われることがあるというような距離感。
前景、中景、背景で変わるかも。

まず自分がどううつるんだみたいなのとか探りながらでした。久しぶりで緊張した!でも面白かった。
なんでもありです。遊びましょう。

パフォーマンスとして完成されたものを作るというよりは今この状況でできることをするというのが今年なのかなと。

本番について
わらべ館パフォーマンスについて
ワークショップついでに画面を通して子供たちと遊ぶのと、わらべ館を紹介するというのをしたいのと、せっかくここでいろいろやってみたこの画面でのパフォーマンス時間を考えてみようというアイデア。元は夜のわらべ館探索というイメージだったので。
鳥取組で今回来るはずだった皆さんに紹介したいなと思って。
こういう状況なので、あまり宣伝もできないんですけれど。(チラシも作成しません。ワークショップのチラシを作ってそこに追加情報を載せたり、SNS上で紹介はします)

ダンスを知らない人が見ても面白いか
参加するのは楽しそう。見る側としてわらべ館をみれるのも楽しそう。
参加するようにみてねか作品としてみてねか、タイムラインとかルールがあって作り込むのかあたりで変わってくる。自分は出るのでもオーディエンスでもいいけれど、これまでやってきた人たちの意見を尊重したほうがいい。

参加するのは入りやすかった。
クオリティを求めるとキリがない。

2020はもともと音楽の人が少ない。
で、さらに音のタイムラグやマイク問題でプロでやっている人ほど抵抗があるなと思っています。
夏至祭的にはくるもの拒まず、去るもの追わず、起きちゃうことを楽しみ、むしろ拾うみたいなことをやっていくのかなと思います。でも音の人が少ないことは気にしている。

夏至祭は基本このメンバーが一番楽しむべき。お客さんを楽しませるのは2の次。
全員でここで繋がりましょうねという意識があるかどうか。本当になんでもありで荒らされるのはちょっと怖い。
これまで夏至祭に来る人は心優しく、荒れることはないんですけれど、まず自分たちで楽しみましょう。
映像のための編集とかカメラのズームがとかそういうことを目指してクオリティを上げるというよりは楽しむことを重視していきましょう。

体に刺激を与えるとちょっと楽しい。
画面見ながらやっているということは飽きてしまう。飽きないことをしていくのも大事。これよかったよねとか共有したい。今日行っていたフレーズとか歌とかいうのと同じように動きがあってもいいね。ものより動きがいいです!

昼会参加者の皆さんには一回は事前に来てもらってトライしてみてもらいましょう。

やはり夜の会はパフォーマンスもしたほうがいいのかなあ。
どこまで声かけようか。昼と同じだったらちょっと寂しいから増やしたほうがよさそう。パフォーマンスをするよと言って声をかけるか、公開するかでテイストが変わる。石和田さんの感じだとパフォーマンスあったほうがいいのかもですね。
一回踊り(1分ソロまわしか3人ずつ5分を10個とかになるかは人数にもよる)その後にいろいろ話すような会をしたらどうでしょう。
配信するのって結構抵抗があるのでは?
逆に配信してくれるとちょっとみてみたいくらいな人が覗きやすいというのはある。自分のできる範囲で覗くだけ覗くとか。途中だけとか。→皆さんどうでしょう?
声かけしてみましょう。

2020年5月29日金曜日

緊急事態宣言解除後の体育を考えるパネルディスカッション

昨日、「緊急事態宣言解除後の体育を考えるパネルディスカッション」にて井上茂さん、堀成美さんのお話を聞く。途中で油断して来客(非常に珍しい)が来てしまい途中までで断念(中断)してしまったものの、すごく勉強になる。
正しく恐れるということは全てができないということではない。
例えばボールを使うゲームなどもバレーボール、テニス、卓球などでは目、鼻、口に手を触れさせなければ感染を抑えることができる。走ることも縦列になったり集団だと同じ人の吐いた息を吸い続けることになるかもしれないが、屋外でばらけて走ったり、横並びの場合はそのリスクはかなり減る。
なお、マスクをしたままの運動は熱中症なども含め危険なので、できるだけ屋外で広がってできる運動が好ましい。
何に気をつけなければいけないかをちゃんと知るということが重要なのだと思う。そして子どもたちもそれを知るべき(小学生くらいになるとある程度は理解できる)そして一方で情報が不足していて、現場の先生方の努力に委ねているところがあり、(なので急な呼びかけにも変わらず60名ほどが集まっていた)このような試みがオープンに開かれていくことが必要だと感じた。
オリンピックとかプロ野球の選手の心配よりも、普通の子どもたちの普通の身体状況の方がはるかに心配だ。
また、長期的に見て身体能力の低下自体よりも、身体に疎くなることを私は危惧している。
鳥取は比較的自然も豊かで、学校も広く(子供が少ない)自由にのびのびしている感じがあるが、おそらく地域差がそれこそあるだろうと感じた。都市部の子供達が心配。

2020年5月28日木曜日

鳥取夏至祭2020への道20200527

鳥取夏至祭2020への道20200527
52719時−21時半
参加者:8名


レコードができていなかった幻の1時間セッションを20分くらい見れた人の感想(事前にyoutubeのアドレスを教えてありました。配信できているか見てもらおうと思っていたテスト用)
やはりある程度見やすいと嬉しい。観客としては。画像の扱い方の統一感のなさ。カメラに対するアプローチの仕方とか。例えば部屋を分けれたりとか、みんなが積み立ててきているのが見えにくくなるのが勿体無い。カラフルも無地かどうかとか明度(色調)が大事かも。
人数が多くなると難しい。
箱庭やっていたメンバーは統一感を感じる。何か積み立てられてるのが見えるから集まってバラバラというのとも違う。
カメラを動かしたり、床に置いたり、ビデオを撮る人みたいな感じでいる人と、身体で作り出そうとする人と、メタ身体みたいなのとある。これを使いこなせてればいいんだけれど、そのバラバラ具合がきになる。でもそこで制限しすぎるのも良くないな、悪いとは言えない、ただ違うように見える。その違いも含めてこういう形態で発表している良さが見えない。オービタルだと時間が区切られているから何やってもそれで整理される。
Youtubeを通すと、他にも映像がたくさんある中にこれが入っていると「この人たちは何を提供したいか」というのがわからなくて気になってしまう。個人でやっていることが見えないとかが起こる。
子供が入るとだいぶん違うよね。
音楽の人の体の写し方→全身写っているとパフォーマンスするのかなと思う。できれば楽器も写してくれるといいのかも。演奏しているところも見れるし。

人数が増えると映像投影をしても各人が見えにくくて、お互いに反応し合うなどのこれまでやっていたことができない。それぞれの部屋で違うことが展開するというのはできるけれど。なので、このメンバーでやっていることはそれはそれで出したほうがいいような気がします。
規制を加えてしまうと遊び心が薄くなるのが難しい。できるだけバラバラを見せていくのか、繋がっている感じを見せていくのか。

カメラの使い方実験してみるとか。ここしばらく画角の中で体をどう使うかしかやっていないけれど、映像の見せ方パターンは探ってみるのありかも。
Youtubeで配信するなら確かにある程度のルールは作ってもいいのかな。見やすく整える、逆にそれがあると即興しやすいかも。枠というか。何人か箱庭とか、3つのルールのどれかを使うとか。積み上げているから今回はこれでいこうというチョイスは決めてもいいかも。

バーチャル背景とかは?
実は使えない人もいる(Iphoneなどのシステムでバーチャル背景ができない人もいる)
カメラを動かしている人の映像をみんなの背景にというのはできない。写真をあらかじめとっておいて入れるというのはできる。(わらべ館の写真など)
体が見えにくくなる。踊り手は
音楽っていうのがわかるように音楽の人はバーチャルっていうのはアリかも。もしくは楽器が見えると嬉しい。体が写っていることはいいんじゃないかな。
携帯の人はそもそも見えてないのもあるんですよね。。。

鳥取人はわらべ館集合?
せっかくだから集まれたらと思っています。ただ楽器が動かせないなどの事情があればお任せします。
小さくてもいいからツアー形式はやったらいいんじゃないかな。
リモートと一緒にすると難しいから、別物で。Youtubeでツアーを配信し、みんな見て体験する。それを1画面で。短くてもいいから。
最後にみんなで一緒にみたくなる。
子供対応は別物で、分けたほうがいいのではないか。最後のzoomもエントランスでは踊らないみたいな。1人一部屋みたくする。
で、1つのわらべ館だったのが離れていくと2つに分かれ、3つになって、他の部屋も増えてみたくなっていくといいな。
エントランスを写すものと、各個人のモバイルくらいで行けるだろうと考えていた。
鳥取組が1つの部屋にいるんだったら、他の人が増えてもいいのかなというのも思っていた。でも確かにこの枠組み慣れてきているし、その枠を1人1個持っているほうがわかりやすいですよね。

服というかコントラストの問題かも。
→衣装合わせしましょ!カラフルでも効果的に他の人の様子みながら合わせれるからいいと思う。
ダンサーの服はかぶらないの?滅多にかぶらないです。

携帯を使って実験してみる。出たと思ったら違う画面に映ってしまったりすることに気がつく。

9人はみやすい。

夜はもっと多くの人を入れたらどうか案について
これまでの参加者の人にこういうのやる予定ですというのはお伝えはしたけれど、そのままになっているので、その人たちにも集ってもらえたらとは思ったんです。人数が増えすぎるとまた話が通じないとなる問題がある。見にくいとか。見せるためにというものではなさそう。クローズドかなと。
このメンバーでやっていることについては何らかの形でオープンにしておきたい。→昼に。

ホスピテイルが今年最後かもしれない。Wifiポケットのでできればアリかも。配信実験は必要。

オービタルはオービタルでパッケージがしっかりしているから、みんなで交流しましょう!みたいなのはアリです。

プロジェクションマッピングみたいなので出したら?
Hospitaleはそこまで大きな壁はなくて(円形だから)ちょっと難しい。
わらべ館は前回やってたの見てもらったようにある程度大きく写すことができる。40人とかなると流石にプロジェクターのレベルと画素数の問題

夏至祭メンバー交流会(同窓会)かパフォーマンスに重きをおくか
録画はするけれど、でも自分たちがみる用でいいかな。
みんな話せる場にするのでいいかなという気がする。話したいこととかたくさんあるんじゃないかな。

ダミアンは夜しか無理。でも同窓会だったら参加しないと思う。
そうなるんだったらそれはそれでいいんだけれど、日本にいるあるいは他にもアーティスト同士が関わるプログラムがあったら参加したい人はいると思う。オービタルとか、アーティスト対決とか、紹介とかあればダミアンも参加しうる。オービタルリンクの会を行う、夏至祭の年が違うとあったことがなかったりするし、参加した人たちが出会う場を作ることにするか
地方に拠点を置く人が結構いるので、一緒に話す機会を作るのも夏至祭ならではだと思う。つまり自己紹介的な意味合いでのパフォーマンスに重きをおくのか、話す
ここにいる人がプロなのか、セミプロなのか、教職なのかわからないんですけれど、対決とか面白そう。話はセッションをこの場でする方が楽しそう。自分がするかはともかくみたい。
自分がやっていることを見せたいと思うかどうかとかも大きい。
微妙に食べていけないでも時々お金もらう音楽人やダンサーは演奏や表現したいという思いで続けている。日本のシステム自体にアーティストとして食べていくのが難しい。
テレビとか出てないとまず難しい。でも表現したい人にとってはお話ししましょよりは少しでも踊る場が欲しい。他の用事を割いてここに時間を作ろうとなる。
踊りたい人はたくさんいて、プロかプロじゃないかは曖昧。境目はどんどんなくなっていくような気がする。話をした方がというのは昼間踊るからっていうのはあるんだけれど、そういう踊るための場みたいなものを作っていくということをしないと難しくなっていく。集まる機会や企画を作らないとという気がした。

1人1分ソロ回しはどうかなあ。
この画面でスピーカービューにして今この画面で四角画面ダンスを提供。

見せたいというか誰かと関わるのが嬉しいです。
一人でも踊れるけれど。

この時に集まったメンバーで何ができるかを楽しむんだから集まった人でなんかやった方が楽しい。
集まる人が違えばまた違うものになるから。

デュオになったり、みんなの動き見ながらあえて止まって待ってみるとかそういうことをするのがありにして自由を推したいけどな。
みんなで子供の動きまねするとか。肘ついているだけとか反応する人は反応するししない人はしない。で、できることを考えたい。

前にやっていた1分間ソロ回しとか試してみよう。
今日はできないけれど、小部屋版もやってみよう。

そもそも621日に参加できる人を確定しよう。2020メンバーから声かけて。
人を見て考えましょうか。
パフォーマンスをyoutubeで配信するよか集まって話すよなのか、伝えないと声もかけれないなと。
この人来るのかな???みたいなのありますよね。疑わしいよね。とりあえず意思確認だけでも。
メーリングリストから外しますよ!とか。
もしかしたら迷惑とか思っている人もいるかもしれなくて、ちょっと心配。。。まず聞いてみよう。

今年の夏至祭マルセイユとかは外でのコンサートとかが少しあるかな。でも人が出ているので、でもそれなりに忙しいので、何をするのかわからないものに時間を割いてこようみたくはならないと思う。


1分ソロ回し(タイムキープ木野)から5分間。
(みなさんへ映像を見るとわかるんですが、ビデオをオフにしても黒画面にはならないんです。スピーカービューにするのがいいのか、スポットで当てていくのがいいか考えます)
今回のタイマーは雌鶏さんでした。

1分ソロはダンサーが多いので、無音になっちゃいますね。でも今のメンバーくらいの人数だと飽きない。黒い画面の中でそれだけ見えているのはアリだと思う。荻野さんの入りがうまかった(自分でもタイマーを設定して、準備していた。ビデオの停止とスタートでタイムラグがあるので、このダサさを解消するべくやってみた)
消え方、ビデオを消させるとかはできる。あとはスポットライトビデオというのはできるらしい。その人に当てる。でも私の役の人はスイッチャーになって専属になる。ギャラリービューに勝手に戻ってくれるわけではないらしい。初めての人にはハードル高いね。
あとはタイマーを画面共有でシェアしてみる。(カニングハムみたいなことになってきたな)
カメラオフはしないバージョンもやっていたよね。
アピールする時間になっていいかもね。音楽の人の1分よかった。なんとなく音楽の人ダンスに従属しちゃうから、音楽だけでみるというのも大事だよね。
ずっと動き続けるのではなく、のがよかった。
ミュージシャンとダンサーは対等なはずだから、そういう時間ありだね。

40人とかなったら40分待ちなんだよね。。。ちょっと数考えてみましょうか。
3人ずつとかはありだよね。それも面白いかも。A組、B組みたく分けたり。5時間とかすごい長いのとか。(個人的な野望としては朝までずっとみたいなくらいのも朝日が昇るの待つみたいなのも好きです。昔の祭りとかそうなんで。ピーターブルックマハーバラタみたいなの。)
目指せ鳥取県民の人口以上!みたいなのとか面白そう。
ここで荻野さんが鳥取県民なことを初めて知る森上さん(鳥取人!)なんと!自己紹介みたいなの必要かもですね。

まず人数確定させましょう。


ガイドライン上はOKになっているけれど、集まれるかというのは東京など他の地域では結構厳しい。マスクしたまま向き合わず、2M開けて踊る、、、流石に難しい。東京はかなりシビアな感じです。
鳥取県人は緊張感がなくなっていて、でも本当はこれから危ないと思います。これから人が行き来するようになるので。

2020年5月27日水曜日

ダンスと文化芸術復興基金 (追記)

乗越たかおさんのところに書いたコメントをあげておきます。
(文化芸術復興基金創設に向けて(賛同しました)、演劇・音楽・映画の協会や団体そして個人が一致団結しているのに、なぜダンスがないのか、という声が上がっていた。コンテンポラリー・ダンスの協会はないが、ダンスに関連する協会はそこそこあるのに、こういうときに先陣を切っていくことはないのだろうか。)という言葉に対して、つい反応してしまいました。元投稿はバレエ業界のジェンダー問題を指摘しています。(それはそれで問題)

なぜダンスはないのか、私も前に指摘してました。で、ダンスの人は生きる事が全てダンスと直結しているからかもと最近思いました。たまたまこの前舞踏の授業の時に大野家を思い出しても、うちの先生を思い出しても、食べることや生活も全てがダンスで、仕事をする中で感じたことや考えたことも全てがダンスへとつながっていく。つまりアマチュアだから生きる人だからこその表現があるんです。私自身も教員だったからレクチャーパフォーマンスが生まれた。農業したから、コールセンターでバイトしたから、カフェで働いてたからできる作品がある。生業がダンスじゃないから生まれる世界はあります。越智雄磨さんの本を先月読んで、Jerome Belなどが助成金をもらうことを避けた話があり、あ、わかるなと思いました。もちろん、そういう世界はあっていいけれど、実際そういうのがないと生きていけないというのもわかるけれど、こういう時だから何か違う自立した表現者像が作れないものかと思ったりもします。バレエは特殊世界ですし、そういう形で食べていくもの(それこそルイ14世の時代からです)でしょうが、コンテはそういう形ではない生き残り方があるのではないかと私は思っています。(貰えるものは貰いますし、とりあえず劇場さんに回しますけれど)
コンテンポラリーダンスの協会は本来は現代舞踊協会(なんと、英語名はJapan contemporary dance associateになっています)がありますが、おそらくウェブなどに疎く反応ができていない(高齢化もあるし、体制がかなり古い形であることも影響している)JCDNなどもJapan Contemporary dance netoworkだから協会ぽいけれど、統括団体ではない。つまり、1個にまとめるような団体を構成するような構造ではないんです。国はそういう統括団体に投げたり、まとめさせたりするのが好きだけれど(その方が楽)、とりあえず、そういうのできない人たちだし、でもそういう緩やかなつながりみたいなものの方がオーガニックだと思うんです。そしてそういう中から本当の新しい何かは生まれる。お金大事だけれど、今、必要なのは思想ではないかと改めて感じています。

ここからはコメントであげていない部分です。

ダンス踊って食べていきたい、そのために技術磨かなきゃ、そういう時代ではない。(そういう人もいていいけれど)全ての人が楽しいから踊るそういう価値観へと転換すべき時にきているのではないかと思うんです。

だって踊った方が楽しいもん。そしていろんな身体があるから面白いんです。

私のタイプではないんですが、一遍上人みたいなのありだと思うんです。そう思って夏至祭ははじめました。(そんなにカオスにはなりませんけど)
個人的には最澄(名前も似てるし実は誕生日一緒)の方が近そうだけれど。もちろん宮沢賢治大好きですけれど。この人たちは禁欲系なんですね。(多分私自身はそっちより)
でもダンスは本来破壊するエネルギー量を抱えていた。いろんな意味で。恐れられもし、でも続いてきた。それは全ての人の暮らしとつながっているからです。
ダンスはなくならない。
たとえそれが今の形と異なったとしても。そんなことを思います。



追記
その後このコメントを読んだ乗越さんと濱田陽平くんと長いそれもかなり長いコメント対談がスタート。そもそもヨーロッパの助成システムって、、、みたいなことにも踏み込んでいて面白いのですが、転送ができない。ご興味ある方はfacebookにて。(しかも私も見落としがちなのが私のページにないと言うことで気がつかないままスルーしそうになって時差でコメントを書くやりとりになっている。今もまだ続いている)。
こんなにやりとりすることになったけれど、そして妙に親近感を感じるけれど濱田くん一度も話したことない、と言うことに気がつく。

コロナウィルスにかんして20200527

緊急事態宣言が解除され、(問題の展示の会期も終了)ほっと一息。
でも鳥取の場合はこれまでもあまり件数がなかった分、むしろここから後の方が危険度は増すと考えられる。なので油断は禁物です。

夏至祭に向けての打ち合わせなども進められていて、まだ出ていないけれど、できそうなことを少しずつ出していく。小さいけれど、できることをする。

その一方で、おそらく、ダンスの人にこれないと死んじゃう的な危機感みたいなのが薄いのはなんでだろうと考えていた。演劇人や映画、音楽のネットワークが共同声明を出している中、なぜかダンスは含まれていなかったり。zoom演劇などすでに様々なところで起こっている割にダンスの人々の反応は鈍い。(ストレッチクラス配信などオンライン講座は多数)過去の演目を上映みたいなことは起きているけれど。

舞踏の授業の会を作りながら、またハルプリンを見ながら、踊ることと生きることは繋がっているからかと感じたりした。今生きているご飯を食べたりする日常生活がすでに踊ることでもある。踊りの稽古は特別な場所で特別に開催することばかりではない。道を歩いている時や風を見ることや、呼吸を深くすることやそれもまた稽古である。本を読んだり、考えたりもすべてが踊りになる中で、それ以上に何かをするという見られていないと見せないとみたいな感覚は薄いのかもしれないとふと思う。
元々経済活動的には大きくなく、細々零細企業的に行なっている人が多いダンス業界は、支援や助成ともあまり関わらず、ただ淡々と続けていく人たちなのかもという気がしてきた。舞踏の話をするときに毎回大野家を思い出すのだけれど、うちのお父さんが、おじいちゃんがという家族の距離感ですべてが回っていて、その感触を学生さんたちに説明してあげるのは難しい。それはうちの牧野先生もそうだった。(家族はいないけれど、ご飯を一緒に食べながらお話しする記憶がやはり強い。つまり家族がいなかった分私たち(弟子が家族でもあったし、私は特に年が他のメンバーともかなり離れて若かったのと、弟子の子つまり孫のようのもの(実際に松山夫妻と石村弘子さんの教え子だった小学校時代がある)だったから気にしてくれていたのかもしれない)
大きな舞台もカンパニーもあるけれど、なんとなくそういうつながりがダンスなのかもと思い出す。


コロナウィルスのおかげか空気が澄んでいるし、体は動かせてるし、実は結構調子はいいんですという友人ダンサーの言葉が妙に納得。つまり静かに修行している状態をキープはできていたら(収入が途絶える怖さはあるけれど)それでもう良くなってしまうという。
地球規模的にみたらコロナはある意味必要悪なのではないかという発想はやはりダンス人ならではのものかもと思う。そのまま地球のエネルギーと繋がってしまうというところが。人間もまた自然の一部であり、私たちはやっぱりいろんな意味で地球を食べて暮らしていたようなところがあり、その速度を少し緩めたほうがいいという警告なような気がしてしまうのもかなり世間の動きとは逆行している。でも身体に正直に生きる身としてはそう思う。

昔学生時代に作るはずだった作品に白雪姫の変形で青いリンゴをみんなでかじってしまう話があった。(なお、All Japanに最終的に作った作品は「コウモリは叫ぶ」という作品で、鳥と獣の狭間で悩むコウモリさんを女子大生が演じていた)地球という青いリンゴを食べ尽くしてしまうそんなイメージ。もう20年以上昔。でも今もそんなに変わっていないということを思い出した。

芸術入門2020その2

芸術入門のモダンダンス・表現の自由回、ポストモダン・舞踏回を終えて、とりあえず、
芸術は小さきもの、弱きものが発することができる声であった点。それは生きているうちに評価されるかとか経済活動として成り立つかとかそういうこととは別物としてせざるを得ない活動であることを説明した。
そしてそれに対しもっと遊びでいいのではないかという動きが起き、実験的なことを始めた若者が新しい時代を作っていった。
さらに、それを見てしまった人が巻き込まれ、その衝撃を何らかの形で伝えようとしている様を見せていくという内容になった。

たまたまというか私はダンスでそれを体験し、自分がその長いダンスの歴史を体現している身として現在はレクチャーパフォーマンスを作成しているが(ダンスと体操の境目など)そうなった背景には、これまで関わってきた師、振付家、プロデューサー、劇場主様々な人に教わり、支えられ励まされてきた経緯がある。小さいなりに続けていかねばと思うし、おそらくこの日々の授業もまたトレーニングでもある。(レクチャーパフォーマンスの実践的稽古)命をかけて守ってもらったからこそ命をかけて返す(この世にいない人もいるからこの世の中全体にとなる)だけで、それはポトラッチがまだ続いているんだと思う。
なにせ入門(一般教養科目)なので学生さんには農学部や工学部の学生も多くいるし、芸術でポトラッチ始まっちゃう人はいないだろうけど、それでもボールは投げてみる。もしかしたらそれが必要な人がいるかもしれない。その繰り返し。
きっかけはたまたまだった。大野一雄を見たのもバイト先で拾われたのも。でももっというとこれまで自分が生きていること自体がかなりの奇跡の連続で、こういう生き方はお勧めはできない。が、それでも生きていけるということをただ見せていく。

そういう人は非常に苦労するかもしれない。一般的な意味での平和な生き方からは程遠い。でもそれでも。せざるを得なかったそういう出会いがあるということだ。

芸術ではないかもしれない、小説や絵画かもしれないし、研究や論文かもしれない、どういう形であれ、そのように関わる人に出会えるといいよねと思う。私はそれがたまたまダンスだった。とりあえず演劇だった時代もあるけれど、演劇は言葉の世界で、そこまでの言語能力はなく、言葉じゃないもので伝わる世界を選んだ。今でも、演劇を見ても、パフォーマンスを見ても熱量や距離感や質感に反応している。最近気がついたのは声にも反応している。でもそれは言葉の意味ではなく、声自体が持っている波動らしい。
何れにしても得意不得意があるけれど、何かに特化していくと、それで繋がる人たちが出てきて、そのバランスのようなもので暮らしていくことになる。それはダンス(芸術)を通してでもいいということだ。


世の中の常識や当たり前に疑問を抱き、おかしいよね、と裸の王様にいっちゃう子供のように、アーティストは常に新しい世界を作ってきた。でも、本当はすべての人がそれぞれの形で発していいはずだ。そういう意味ですべての人がアーティストであるという言葉を私は用いているのだと思う。



2020年5月24日日曜日

前に一歩

超スーパースペシャルなラブレターのようなもの(言葉でもない)を受け取って、衝撃を受けて放置する。もうかれこれ1ヶ月以上。ずっと迷いながら、見続けて、また考える。
今じゃないけど。
たくさん泣いて、どうすべきか考えて、でも私はこの世からいなくなるわけにはいかなくて、ごめんなさいとしか言えなくて、ここしばらく存在しない方法を考え続けている。

この衝撃をどう説明すべきかわからないけれど、そして今行きます!と言っても学校仕事は1年以上かかるし、どうにもできないものを感じる。それでもそうやってもらったものは嬉しいというか、有り難いものとして感じる。今まで自分がしてきたことは無駄ではないということでもある。ある種の希望だし、甘えているところもある。でも、それがいいのか、嬉しいのかどうかはもはやわからない。
話したことがきっかけで人を追い詰めたり、死なせることがあることを知っている。それはたとえ悪気はなくとも。何かを残すことができるのだろうか。
鳥取まで逃げてきて、この先はどこへ行けばいいのだろう。

静かにいつの間にかいないことができないか。
そんなことも思う。

アンナハルプリン

授業の関連でアンナハルプリンの映像を見返す。
旦那さん(建築家、ローレンスハルプリン)のRSVPサイクルの紹介をしようとしたのだけれど、ちょっと素敵。
自分の感覚を貫き通したという上で。
また、この旦那さんとのやりとりがいいんです。涙が出ちゃう。
生きることとダンスがそのままつながっている人という点でぜひみて欲しい。

授業時間の関係で芸術入門のクラスでは触れられないけれどね。

鳥取夏至祭2020への道20200523

鳥取夏至祭2020への道
2020522日(わらべ館投影テスト)
2022523日(準備のため15時半からオープン)16時−18
参加者:13名

わらべ館にはパソコン1台を2つに分岐してプロジェクターでズームの投影を。そのパソコンでつなぐほか、ipad(木野)、携帯(高橋)を接続。パソコンは有線LANをわらべ館で引っ張ってくださって安定した接続ができた。
高橋さんは館内を探索、様々なおもちゃなどを紹介。おそらくこの建物を紹介するための5分とか短い何かをはじめに行えるといいのかもと思う(→鳥取組)
わらべ館wifiは鳥取BBがあるが30分に1度落ちてしまう。携帯など各自で繋いでもらうか、個人持ちのwifiか。あとは30分で落ちることを見越し30分1セットか。
子供が何やってるのと何人も遊びに来てくれる。自分が写ってることを知ると大喜び。でも自分しか見えていないので、(笑)他の人には見向きもしません。もし何か行うならはじめに説明とかみんなでおーいと言ったらおーいと返すみたいな応答になってるんだよというような実演をしてあげるとわかるのかも(どうかな?)という感じです。没入していました。
なお、高橋さん携帯にはわらべ館からくり時計の背景があり、人形と自分が並べるということでそれも嬉しかったようです。ぴょんぴょん飛んでいたのはその台の上に乗りたかったらしい。

今回youtubeliveを試しましたが、著作権で引っかかりました。これはわらべ館入口のモニュメントの音か、館内のカラオケができるコーナーのアニメソングを通過したからかだと思われます。前にラジオが後ろでかかっていてNGになったこともあり注意が必要です。
このチェックはAIで行なっているようなのですが、他に裸と思われる、児童虐待と思われる映像の映り込みなどに注意してください。
このlive配信はアカウント削除になるため、次回また新しいアカウントで試してみることになります。また、この配信をしていると、zoomのビデオが送られる形なので、zoomの方には記録は残りません。つまり、今回の1時間長尺、残念ながら記録がないようです。すみません。

16時より突然のように1時間セッションを行いその後の話し合い。

雑音とかも増えるので、ミュージシャンがやっているのか、ノイズか、わからないところはある。
音がない時があってもいいよね。ミュージシャンは無音マーク出しましょうか。
アマビエダンスのサインが出てたんですが?そのあとアマビエっぽい何かを踊ってくれるかなと思ったが見た人が何かしてくれてた。そもそもアマビエを知らない人もいたりする。
煮詰まっていたからよかった。
1時間だと何かやっぱり必要だよね、変わり目とか。
でも1時間あるからずっとゆっくりすることができた。オンだけれどいることができる。きっかけはちょっと仕込んであったので、1時間は結構できた。準備をしておくと楽しい。
子どもたち殺到の可能性。→動きをもらえてよかった。
それぞれの部屋に子供がいる、それが背景のように皆触れればいいのかな。

どれくらいやるか
1時間結構楽しい。
壁面に流れているんだったらずっと長くやっててもいいのかもしれない。座ってみるというのだと違うかもだけれど、2時間、3時間とか。
即興のセッションだからいつから見てもいいよーみたいな言い方であれば1時間でもありですね。
Youtubeライブだとyoutubeで生放送ということ。時間差で見られる。15秒タイムラグがある。開始時から20分後からみる人が初めからも見られる。そこでライブが終わったらそのまま配信おしまいにすることもできるし、その後も観れるようにアーカイブとして残すこともできる。
亀川さんここで登場。音声が改善されているが、今日はメールアドレスができなくなって参加できませんでした。

1時間即興はこのメンバーはできるけれど、初めての人にとってはハードルが高いかもしれないですね。
今日はメロディが少なかったので、メロディが増えると嬉しいな。
 特にメロディにこだわる必要はなくて、この音で出してくれれば十分。おそらくメロディをそれぞれの楽器で埋めていくというか。踊る人としてはメロディが欲しいわけではない。
夏至の歌大好評。→合唱しません?みんなで。
歌、自分の声ならコントロールできると思って!
必ずしもセリフがなくってもいいということが見えましたね。そういうてもあると覚えておくといいのかも。
一人だけだと浮いちゃって不安→みんなが反応するから大丈夫!いうんだ!と思って言ってしまってあとは身を委ねるというのが大事。
ほんの著作権はまず引っかからないです。映画とか音楽、JASRACですね。
子供が歌ってたね。それが良かった。
子供たちとセッションすると楽しそう。ただ今日の感じだと、みんな自分が写ってることは認識しているんだけれど、他のところの人が反応して動いてくれても見えなかったりする。やりとりが成立するかはわからない。始まる前に一回練習というか見せて説明してあげることができたらいいのかな。
鈴村家の子どもたちもやはり自分のことでいっぱい。周りのことは見えないみたい。子供たちはやはり注目されちゃう。でちょっとこっちこっちと誘導する→でもわらべ館だと実際にじゃあ外へ出ようとか入っちゃダメとかってことはまず無理かも。

募集数(たくさんいると楽しいけれど、見えにくくなるよね、今以上の人数をやってみていない。)
セッションを長軸で行うか10分とかで細かくしていくかは考えなきゃ。
昼夜わけますよね?わらべ館は5時には終了なので。夜じゃなきゃ出られないという人もいるので。
人数が増えるのは当日のみ?夏至祭のこれまでの参加者の皆さんで来れる人に来てもらう?
簡単なルールなどの説明をして、例えば現状メンバーで一回説明のための会をする必要があるかも。
2つ部屋を同時並行で両方見られるという風にはできない。

ある程度即興をしながら反応し合う、寄り添うというのでは今のメンバーくらいの方がいいのかも。大人数でというのは盛り上がるし、それもいいとは思うけれど、違うものとして分けた方がいいかも。で、できるだけリスク等が少ない手堅く無理なくできる方法でわらべ館はいった方がいいのではないか。昼、夜で分けても。誰でもウェルカム回と2020回と見たいな。
夜回は皆自宅から?夜ホスピテイルとかできる?できるけれど、wifiがない。なので、ことめや?どうかな。ことめやは多分8時くらいまでには終わらせないとかな。(音量問題)→聞いてみましょう

実際どんな感じにするか一回たたき台を作ってみましょう。
できることをできる範囲でやっていこう。


コロナウィルスにかんして20200524

毎年、このゴールデンウィーク明けから6月(夏至)くらいまでの時期は忙しくあまり寝られない状態が続く。日が長いせいもあるけれど、覚醒状態に入るので、授業とか仕事も。詰めてあることが多い。年間の半分くらいがここで終了するくらいの勢いになる。その間に夏至祭の準備もする。
体が覚醒するというのは、年に何回かあり、でもこの時期というのは鳥取に来て定着した。これは鳥取の季節が一番いい時期なのも影響していると思う。梅雨時期に入るが、なぜかあまり降らなくなって久しく、(雪も含めおそらく降水量がこの4、5年で激減している)夏至祭もなんとなく降りそうで降らないごまかしのまま4年目を迎える。夜の間に降っていて朝には止んでいるというパターンも多い。

そういうわけでコロナウィルスに負けないいい天気がここしばらくは続いていて、日にやける。そして毎日自転車で滑走している。

そら豆ご飯を作る。
アスパラも美味しくいただく。

おそらくコロナウィルスに関しては全く解決していないし、これから緊急事態が解除されてもどんどん感染者が増えていくことだろう。それでも毎日の変化を、そしてこの季節を楽しみつつ、1日1日を大切に生きるのだと思う。
ちょっとスェーデンに近づいていると個人的には思う。かの国はこの季節を楽しみ経済活動を止めないことを選んだ。事故や地震、様々な事情で人はいつ死んでもおかしくない。自殺による死者は減ったとはいえ日本では2万人を超える(かつては年間3万人が当たり前だった)。
そもそも健康とは何かをもう一度考え直すいいきっかけではないかと思う。
また、職業的にも何を志すか考え直すきっかけではないかと思う。
何のために働くのか、どんな社会を目指すのか。

ちなみに砂丘に大量の観光客(他県の人)が押し寄せてきたそう。
自分のためにもあるけれど、人にうつさないためにこれからむしろ気をつけましょう。
(自分はもはやいつ感染してもいいようにしておくことにした)

鳥取夏至祭2020について

鳥取夏至祭2020実行委員会では、2017年より開催している鳥取夏至祭の出演者を募集し、今年度も多くの即興を愛するアーティストに鳥取に立ち寄ってもらう、街中で音楽とダンスを楽しむ3日間を想定してきました。今年度は特にわらべ館の創立25周年を記念して夜のわらべ館をライトアップし、その中を探検してみて回る特別プログラムも設定。その準備を進めてきました。
しかし新型コロナウィルスの感染拡大防止の観点から3月半ばに中止(延期)の方向性を決め、出演者との相談により、ウェブ上で会議を始め、それでもできることを模索してきました。毎週2回のセッション(会議)を繰り返しながら、様々な即興の形態を試してきました。昨日、今日とわらべ館でのトライアルを行い、館長さんともお話をし、今、できることをできる範囲で行いましょうとなりました。
緊急事態の解除を受け、現在安定している鳥取では県内のメンバーだけでも集まれないだろうかと現在は計画中です。他の都道府県にいるメンバーはzoomを使用して参加。鳥取とそれぞれの居住地をつないでみます。

即興は今、この瞬間を共有する作業です。世界中のどこにいても繋がることが可能になっている現代だからこそ可能になったこの形はある意味非接触型の今らしいコミュニケーションの形でもあります。それでいて何が起こるかわからない環境に身を委ね信頼する。そういう寛容な姿勢は今だからこそ必要な考え方ではないでしょうか。個を保ち、穏やかに繋がり続けるそんな今を表しているような気がしています。
画面に映った小さな四角の先は数百キロ離れていたりします。それぞれの個々の暮らしが見えてきます。全く異なる人、場所、空間。でも、踊りや歌、音楽といった要素で私たちは繋がることができる。鳥取の子供達と何ができるのか、私たちはワクワクしながらこのトライアルに集まっています。

参加したい、興味がある人はご連絡ください。
当日はわらべ館でおそと遊びワークショップも開催予定。こちらも追ってご案内します。

一期一会のこの会はライブ限定配信を予定しています。
遊びとして一回限定。何が起こるかわかりません。おうちでご覧いただくこともできます。

というわけで6月21日夏至限定開催。まだどうなるかわかりませんが、その日をうっすら開けておいて下さい。


2020年5月21日木曜日

鳥取夏至祭2020について

夏至1ヶ月前になりました。
毎週トライアルの映像を送っているように色々模索を続けてきて、トライアルを踏まえて鳥取夏至祭はオンライン夏至祭として開催したいと考えています。
もしかすると緊急事態解除がなされるかもしれませんが、もしくは悪化してまた逆戻りになるかもしれませんが、今年度に関しては基本オンラインで、鳥取県内の皆さんはもしお越しになれる場合はわらべ館には集まり、距離を保ったまま行うということを目指しています。

そのための実験を明日から開始。できればyoutubeで配信するとかも。

わらべ館のワークショップについても少しずつ始めていきます。
わらべ館の野外で開催する外遊びワークショップとしてあえて触れない、近づかないでできる遊びを考案していきたいと思っています。

これまでの「鳥取夏至祭2020への道」経緯をご存知だとわかりやすいですが、統一の苦手な、自由すぎるいろんな人たちが鳥取とあちこちで繋がっているということが素晴らしいことなのではないかと思うんです。そして通常は映像配信する場合、作品として見せることに重きが置かれているのですが、楽しく豊かな時を過ごすことで面白い瞬間が生まれ、見てしまうそんなことができたらいいなと思うのです。
今年私たちは鳥取に皆さんをお迎えすることができないのですが、こうして新しい何かを作るきっかけを得ることができた。それは何らかの形で表に出してみたらいいのではないかと思っています。

できるかな。
まずはできるところから。日々実験が続いています。

鳥取夏至祭2020への道20200520

鳥取夏至祭2020への道
2020052019時−21時半
参加者:13名
新しく札幌から2名参加者が増えました!

初めての方がいるということで簡単な自己紹介からスタートしました。また、音量やマイク設定が難しく、先に設定できると助かります。
→結構時間がかかるので、次回16時からいきなり1時間スタートします。注意。
→大脇さんのところよりコメント
音楽関係の方は、マイクを通して音を出した方がクリアに聞こえるし、そのセッティングをした方が良いでしょうね、と話しています。各自用意できるものが難しいものもあると思いますが、楽器にマイクをつけるなり、ヘッドフォンをつけるなりした方が、より良い演奏ができそうに思います。
あとものすごく大きな音を出した直後は、しばらく音が出なくなるそうです(ハウリング等を避けるために勝手にzoomが調整してしまうらしい)夏至までにミュージシャンだけのセッティングテストの時間を別途作ると良いかも。
音がうまく出ない、マイクが調子が悪い場合→踊ることもあり。またダンサーも歌ったり音を出すこともあり。
映像では出てきていないですが、この前に一回暗い状態、白衣装の動きトライアルをしてみています。(後半に5分セッションしています)

一回5分、お題として箱庭(ダンスの人たち的にはトレーニングとして受け入れられた)で明るい状態でセッション。
前回の箱庭についての質問:箱庭はズームの画角だと思っていたけれど?ものを使うってこと?
ものは使わなくていいけれど、この自分の前の距離感覚で遊ぶ、自分の前に箱があって何かがそこでおきている感じ。自分主体で動くのではなくその前の箱を見せる(自分はいなくてもいい、人形を使うとわかりやすい)ということ。ダンサーたちは前回苦戦。。皆ものを取りに動き始める。
オフに関する説明

やはり難しい。
フレーム使っちゃう。どう意識していいのかがわからない。見せてる体より難しい。
大脇さんのように映像やゲームに慣れている人だとむしろこの方がイメージがしやすいらしい。逆に自分を中心に動いていくタイプのダンサーにはなかなか難しい課題ということで勉強のために行なっている。
この空間を利用するのもアリですよね。床を見えるようにカメラの向きを変えるとイメージがしやすい。
音楽:音量調整やスピーカーのレベルを調整しておかないといけないのかも。聞こえているのかな。聞こえにくいな。レベルチェックを少し早めにきて行なってもらった方がいいかもしれません。
箱庭前にまず自分の問題で他の音とか人に反応できていない。
手だけしか動いていなくて制限されている感じ。

ここで大脇さん解説:そんな難しく考えなくていいんだけれどなあと言いながら、体と繋げられていると皆からうまいと絶賛。距離感の捉え方は「手話みたいな感じ。前景、中景、背景(山とか)とある。ここに畑があって花をとかタネを植えてみたいな物語みたいなのがある感じ」
前景、中景、背景は発想がなかったから衝撃!
あと落語の人見たく斜めを切ってみるとかもありだよね。

やはりもう一度やっておこうか。2回目箱庭
箱庭前にまず自分の問題で他の音とか人に反応できていない。→でも2回目の方ができるようになってきた。奥行きが見えるようになりましたね。動きも少し大きくなった。
手の細かい動きが多かったから、ヒントにもらうのは何回かできた。手とか腕で動いているのが今の会の方が見えるようになってきた。
箱庭を考えすぎると視覚効果によってってしまうなあ。枠でどう見せるかと考えてしまう。
ダンスでフリーでやった時の画面の近くにいる時と自分の空間での時と共通感覚を感じる。空間を把握するという意味で。
前後(過去の動き)も考える必要があるのかなって。
自分の中では3Dロールプレイングのゲームの中で背景やってる感じ。で自分も動いているんだけれど他の人も影響しあっている感じ。自分は背景なんだけれど。ゲームの映像を見ている感じ。面白い。
音の人たちは面白いでしょうか。
画面はあまり見られないんだけれど、時々見ると同じ動きしているのが見える。でもカメラ越しで楽器を取り替えたりもしながら演奏するのは難しい→ずっと演奏し続けなくてもいい。2人に任せるとか。自分も動いてみてもいいですよね。
携帯なので4人ずつしかみられなくて、ちょっと難しい。。。みんなが聞こえあえる状態を作っておかないとダメだなと。
音は積極的に聞く、引く時があってもいい。音が組み合わせができてくると(今回は初めてなので)もう少し聞こえやすくなっていくのではないか。
箱庭は継続審議ですね、、、

テンション的にも上がりにくく、少々欲求不満になってしまう、、、
ギフトみたいな感じを感じました。みんな何かに渡そうとしている。みている人に何かを伝えようとしている。今回は丁寧な感じがしました→見え方を意識しているからかな。手の動きがマイム的なところがあるからかもしれない。
意味性とかアンサンブルもあるけれど、35秒でそれぞれ全然違う動きをするというのもあるかも。(バラバラだけれど1つの世界に見えるみたいな)→テーマを決めるといいのかもしれない。この人たちバラバラになりすぎてしまうので。
バラバラでやってた時は自分で踊り、演出もしている。今回は1つのメソッドに沿っていて、1ダンサーとして参加している感じがする。
音の割れる割れないはもしかしたらマイクとの距離かもしれません。

暗い状態のセッション(5分)
白衣装、懐中電灯での灯りで行う。(音楽の人は暗くしなくてもいいことになっています)

足だとか肌の色が映えますね。効果的。
でも真っ暗でなくてもいいらしい。
懐中電灯よりはLEDの方がいいのかもしれない(光が強い)

最後10分即興(フリー)
長尺をするときにも奥行きを使えるようになったみたい。
前回引っかかってたのが統一するという言葉。
白い衣装くらいはいいんだけれど、同じ動きをするとかが。統一ではなくて共通することがあればいいのかなと。長尺の即興の場合共通のルールがあってそれを持っていて、でも出す時は自由、周りを見たりして出すとか。
決まった動きを作ったり、タイミングを作るっていうんではなくって。
これまで作ってきている共通のルール(箱庭とか、オフとか、他の人の動きを受けてくれるだろうとして委ねてみるとか、)にしたら60分とかでもできるんじゃない?→やってみよう!
即興をやってると集団で大きいエネルギーがあってでもそれに乗ってもいいし、乗らずに止まるを選択してもいい。真似するのがいいとは限らない。
そういう時もあっていいけれど、自分の意思を持って行う。共通認識があった上で、統一ではなくできると思う。ずっと練習してるヒップホップのグループではないので。みんなが同じことをやる瞬間があってもいいけれど、自分の意思で足し引き掛け算。
前回の荻野さんコメント「確信犯としてやらなきゃいけない」あえて止まる、あえてこの人の動きを拾う、広げるとかいうのをそれぞれの責任でしなければいけない。自分の家は自分のままその強さを持った方がいい。
共犯だけどそれぞれ得意なところもある。
夏至祭を元々知っている人ほどみんなバラバラだけれど何かあるを感じてるのかな。それぞれが色を持って入れるかどうかですね。

音楽的にはテンションが上がらないとできないこともある。ばらつきがあるとエネルギーのうねりみたいなものが。統一感とうねりは別。テンションが上がればいいということではないけれどふにゅってしているのがちょっと。
思い思いのまま動いているとなかなかテンションが上がらないってこと?エネルギーが分散しちゃうってこと?
なんか音出していいのかなみたいな感じがあってふよふよしている。
統一感の方向には努力してもいけないタイプの人たち。そのテンションが上がる感じが欲しいっていうのは考えてみてもいいですよね。

音楽とダンスでセッションをした時に音楽が緩めの方がその間に動けるから動きやすいとダンサーに言われたことがある。でも音が激しくなるのに合わせて指の動きが激しくなるというような小さな動きでも駆け引きみたいなのがあるからゆるーだけではなくていい。今やっていたセッションみたいな時には明確に出す、出さないをしていけばいいセッションができるのではないか?

元々夏至祭は音の人が音を出す感じとダンスを繰り出す感じは近いのではないかと思って始めた。動く動かない、音を出す出さないは明確に意思を持ち、出していくことができれば音数は少なくとも緊張感のある空間は作れる。
煽るとかなんとなくやってるのとかわかるんですよね。連れてかれるからには寄せられるものがあって、誰が揚げてもいい。みんなどうぞ、来いよみたいななのとか、確信犯とかってことで。そうやってグルーブはできていく。音が大きければいいというわけではない。ついてきて!カモン!みたいなの。
自分が発していくことも必要だね。
1時間、やってみるの楽しいかも。自分の手持ちのネタとかでは通じないから、タガが外れると思う。そこまでやってみたいものだね。
→これまでも15秒とかからだんだん進化してきているので、1時間やってみましょう。相手に動きを渡せる、もらうというのができるようになってきたし。次回!
演劇のセリフとかやっても楽しそう。櫻井さんのように朗読とかもありですよね。
でも、それも確信犯でやりたいね。
やってる人とやらない人を分けてもいいのでは?(ただし今回の目的はネタが切れるところを目指すので、オフはありとしても完全に分けるということではなくできた方がいいかな)
くじ引いてやってみるというのもありです。
セリフやりたい。誰か一緒にやってくれないかな→セリフとかまでいかなくとも言葉使おって思う人出てくると思うので、自分は用意をしておいて、その時の感じで繰り出してみては。
その音とダンス、セリフや言葉全てが混ざる感じ。
言葉は特に意味が強いので、ここぞという時に出す、確信犯的に、が大事かも。

あと1ヶ月!
6月21日にできるんだったらお試し一回youtubeに流すテストを兼ねてみたい。
プロジェクターとyoutube liveとか。
今回いふくさんがzoom有料会員で、できるのではないかということなので、金曜日お試し@わらべ館してみます。土曜日はわらべ館からできないかもしれないですが、できればやってみます。

実際の夏至祭はできないけれど、でもできる範囲で、できることから始めてみよう。