2012年11月13日火曜日

岩宿で踊る・眠りの群馬



東国文化周知事業 岩宿博物館20周年祈念"岩宿むら収穫祭''
一年に一回くらい様々な縁が重なって不思議な依頼がくることがあります。
今回宮沢賢治つながりで出会った西田さん(サーカス学校の校長先生)の紹介で「あまり難しく考えないで。人工的な自然のなかで、楽に踊って。」といわれ群馬へいくことになりました。

岩宿遺跡について残念にも無知な私は”旧石器時代”を調べるところからはじめました。
岩宿遺跡(いわじゅくいせき)は、群馬県みどり市笠懸町1946-1にある旧石器時代遺跡である。1946年昭和21年)頃、当時在野の考古学者であった相沢忠洋によって発見された。この発見によって、日本の旧石器時代の存在が証明された。これ以降、日本全国において旧石器時代の遺跡の発見が相次ぐことになる。1979年昭和54年)8月17日、国の史跡に指定された。
(Wikipediaより)

相沢さんという人は偉い人で行商生活をしながら、考古学に興味を持ち、旧石器を発見したが、なかなか信じてもらえなかったり、大学の先生の発見という扱いになってしまったりとなかなか苦労をしたらしい。

岩宿は確かにはじめに発見した遺跡でとても重要な場所ではあるが、残念なことに遺跡部分はあまり大きくない。そして旧石器時代というのがイメージがわきづらいせいか、縄文土器や住居、はてはマンモスの骨まで展示し(なお、群馬にはマンモスではなくナウマン象などがいたものと思われる)何でもありである。
ただ、このような遺跡博物館というのはそれほど多くあるわけではなく、この場所が考古学の発掘調査を行う拠点の一つであり、また一般の方々に広める重要な役割を担っているのは確かである。(なお、近隣の小学、中学生が学校の授業の一環で訪れ、槍投げや石器作りを体験できるようにもなっている)

ここの館長の小菅さんがこれまた詳しく(韓国の大学から招聘されるような人だとのこと)、詳しい解説をしてくれる。現在でもこの辺りの建て替え、造成を行うと必ず石器がでてくるとのこと。文化財の管理という点でもスタッフの皆さんは大忙し。

今回は当時の復元衣装を着せていただく。鹿革でできており、コート、帽子、ズボン(おそらく鹿4匹分くらい)。鹿に変身だ。
おまけに縄文土器のこれまた復元で、どう考えても太鼓だろうと思われるものを発見、太鼓の皮をはり演奏もしてしまう。(ちなみに太鼓ではないとすると酒器だそうだが、上部に穴がいくつかあいており、おそらく皮をとめるためのものだろうと推測)

鹿、といえば鹿踊り(ししおどりとよむ、宮沢賢治ファンとしてはししおどりのはじまりをおもいうかべるところ)なのだが、司会の方はしかおどりと読んでくれたので、そのまましかおどりになる。あばれにあばれて踊ってきました。

よんでくださった西田さん、関口さんありがとうございました。それから映像とってくれたながやさんも!それから見に来てくれたざくろさんも!


でもね、
正直、体力の衰えと、引きつける力量不足を感じました。
まだまだ修行が足りません。
やっぱりサーカス(大道芸)のひとの語りかけには負ける。。。
そして技はやはり大事だ。一般向けであればあるほどある種わかりやすい「すごい」は大事だ。


個人的にはドングリパンを食べそびれたことが悔やまれます。
古代米のおもちもどんぐりすいとんも野老(ところとよむ)焼きもおいしくいただきました。

そして帰ってきた昨日、私は昏睡しました。
正しくは帰る前から眠りこけていました。
滞在中も、移動の車も(群馬は日本一の車保有台数だそうです、なので本当に車文化。私は免許もないので、お言葉に甘えてのせていただきます)隙をみつけてはねている。これは前回きたときもそうで、どうも群馬は私を眠くさせるようです。
眠りの群馬。
また遊びにいきますね。


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