2019年6月11日火曜日

芸術入門2019

芸術入門2019の最終回。
これまで七回だった授業が八回になり、クラシックバレエ、モダン・コンテンポラリーダンスで西洋の舞踊を紹介し、それに対する舞踏(今年は大野慶人さんからみた土方さん、大野一雄さん)、伝統芸能(能狂言歌舞伎)の次に民俗芸能(花祭と竹富島の芸能を中心に)を紹介。最後の講義は盆踊りとコミュニティダンス、そしてその先へという内容にしました。そう、今日の講義は一回追加になった分できたスペシャル講義。
昨年までは夏至祭を見た後に授業が一回あったのですが、夏至祭を見ない子もいるのとカリキュラム変更でこのようになりました。
盆踊りは郡上おどりを中心に。
前回の民俗芸能で過疎化などで衰退している現状を説明、何ができるだろうかと学生さんたちに考えていただいて、出てきたアイデアを実践してきたようなお祭りなので。(アニメとのコラボやテンポアップ、観光客の呼び込みや遠隔地での宣伝など)
他にも鳥取で開催されているしゃんしゃん傘踊りや大山わわわ音頭を紹介しつつ、山中カメラさんの創作盆踊りや池袋ニュー盆踊りなども紹介。
一方でみんなでワイワイ踊っていた時代と見る人と踊る人が分かれ、なおかつパレード化していくお祭りの話もしました。柳田國男の「日本の祭り」の頃から言われていることでもあります。このように変化していく民俗芸能、ステージ化やパレード化のなかで衣装がきらびやかになっていったり、動きが大きくなるなどの変化が起きている事実も伝えました。これは民俗芸能に触れる人はわかることかと思います。保護により、また保護を受けるために変わっていってしまう芸能は伝統・伝承と言えるのか。しかし芸能はあるいは芸術は常に変わり続けるものではなかったかという疑問の投げかけをしました。
近代以降さらには戦後に作られたお祭りは行政のサポートを受けるとともに、そこに管理されている傾向があります。徳島阿波踊り問題にも触れました。
その上で鳥取夏至祭と鳥取銀河鉄道祭へと向かっていく思考を鶴見俊輔「限界芸術論」と宮沢賢治「農業芸術概論綱要」をもとに説明しました。ソーシャリーエンゲイジドアートの考え方を紹介しました。

昨年までだとここまでだったのですが、1時間のゆとりのおかげでその先を話すことができました。

ここまでだけだと、楽しく、そしていろんな分野をつなぐことができるアートの役割が見えてきて、鳥大アートマネジメント講座の価値が見えてくる内容です。実際ここまでで、学生たちも納得していました。

そこに追加して、私は個人的な話をしました。あるとき受け取ってしまった真っ黒いボールを引きついで、私はそれ以降さまざまな神(?)の啓示を聞くことになったこと、言葉にできないそのようなことを顕すべく暮らしていることを話しました。生きていく上で楽しいことばかりではない。能・狂言の時代から芸能者は河原乞食でありました。何らかの不器用さや、難しさを抱えているそんなマイノリティーと呼ばれる人々が発する声でした。
自分の周りを変えていくための声、既存の価値観を変えようとするある種の革命。
それが元々の芸術であること。
人が死なない革命。
マイノリティと呼ばれる人が、声を発せれる場所を作るための活動であり、さまざまな表現が生まれていく必要があると私は考えます。

俺すごいだろ、かっこいいだろ、というのもわかります。そういうとんがった人たちがいてもいい。
一方で私は集団性を持たないし、今後も個人的な活動を続けていくと思います。静かに粛々と。小さな人のまま、その言葉が大事だと思うんです。さまざまな価値観が現れるためにも、個々人が重要だと私は思っています。私は、そしてあなたは何を思いますか。

すべての人が芸術家である。
大きな流れに乗るか乗らないか、お金になるかならないか、よりも重要なのはそれぞれの人がどのように生きていきたいか、そしてどのように死んでいきたいかということです。


すべての人が幸せにありますように。

最後に1曲踊りました。これも昨年までしていなかったこと。
学生さんたちは3分ほどでしたが衝撃を受けたようでした。これ観れただけでこの講義とってよかったと思っただって。おべんちゃらだと思うけど。
私にとって踊ることはこれまでのさまざまな記憶を思い出す作業であり、涙が止まらない。
踊りながら涙が溢れ出てくる。どんな曲でも多かれすくなかれ。
しかしそのエモーションは何年経ってもつながっているものなのだろうと感じています。


悲しさやそれを振り払おうとする感じを指摘したり、表情の力を指摘する子がいました。そんな中、興味深かったのは「体全体から粉のようなものを散らして、周りの雰囲気を変えていってるなと感じがした。でも粉の分だけすり減っている感じがした」とか、「命の雫を受け止めている感じ」とか言い始め、言語化できない難しさを感じながら、自分の感じた何かを言語化してくれました。
芸術を受ける人次第、でもその人たちが言葉化しそれを広める、だからこそ芸術は無限だ。という子も。世の中にはバレエを始めとして多くの団体が存在しているが団体として何かをすることなどはもっと自由でいいだろうと私は個人的に思っています。



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