今この世の中のあやうさ、やばさ。
インターネット世代の人たちは薄々気が付いている。
香港のデモの凄まじさ。
皆必死だ。自分たちの生活を守るために。生きるために。あの小さな島で200万の人が集まる。最後かもしれないと命をかけて。
本当は日本でも同様に起きてよかったはずだ。例えば安全保障法制、秘密保護法、テロ等準備罪問題あたりは似たような話で、死ななければいいということではないと思う。また、沖縄問題や、自衛隊派遣、そして改憲など市民感覚的には理解ができないことが多数おきている。祖父が議員だったこともあり、本当に悲しく、残念に思っている。
それ、認めていいんでしょうか。
しかしこれまでの生活に慣れてきたそして、メディアにより情報が入りにくい高齢者層は気がつくことができない。選挙に確実にいく彼らによって全ての政治は動いている。
そしておそらく私の世代の多くはそういうものと思っているか、日々の生活に忙しすぎて気がつくことができていない。だって仕事して子育てして、ですよ。しかも多くの家が独立していて、親や親戚、地域の力を借りないで暮らしていて。確実にかつての子育てとは背負っている重さが異なります。
さらに今の若い人たちも教育のせいか気がつくことができない。
私たちの頃も受験だなんだと現代社会は後回しにされてきた。明治維新の意味、昭和初期の時勢を知っていたらきっともう少し違っていたと思う。
私がそのことに気がついたのは鳥取大で教員になってからで(正しくは2016年のダンスハ体育ナリかもしれない)、学生さんはとてもとてもいい子達で、素直で、従順で、あれ?と思ったのでした。教員になってからの3年でも学生の質は大きく変わりました。なんでかな、と思っていた時、仲野先生(元地域学部教授、残念ながらお亡くなりになってしまいましたが)の言葉を思い出しました。年々意欲を持つ学生が減ってきている。外へ出るきっかけが必要だ。
新しい世代の子達は、ぶつかってきて当たり前だと思っていたので、すごく変な気がしました。反抗期や親との軋轢や反発がない子達。ある程度偏差値が高いから余計にそうなのかもしれません。優秀です。でも、それは既存の価値に対しての優秀さ。
現在の教育システムは新しい時代を作るのではなく、今の時代に合わせる能力を育てている。
本当はいろんな生き方がある。公務員になったり、大企業を目指して就職活動する生き方もあっていい。でもちょっと今の時代に合わなくても、周りを変えていくことができる人であればきっと生きていくことができる。その多様性こそが社会の豊かさにつながるはずです。
あなたが生きやすい社会へ自分で変えていくということです。
鳥取夏至祭は多様性のあるコンテンポラリーダンスというジャンルをこの鳥取に紹介するにはどうしたら良いかと思って3年前に始めました。私がいくら踊っても1つの色しか見せれません。本当は純粋に楽しかった時代があったはずだと、即興で遊んでいた頃を思い浮かべました。
3年目になり、学生さんたちに触れながら、今伝えたいと思うのは、自分で自分の世界を作ることができ、それによって社会を変えることができるはずだということです。
パフォーミングアートは劇場を飛び出して、社会と繋がっていくことでしょう。ソーシャリーエンゲイジドアートという言葉はありますが、社会問題に、あるいは人を救うために、外へ出ざるを得ない。鳥取夏至祭は出会いの場でしかない。そして多様な社会を見せるための仕組みでしかない。しかし、そこから新しい生き方を作り出す人が生まれることを私は祈ります。
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