そんなわけで
アシュフォードさんが津波のように押し寄せ、かなり色々ぶっちゃけた話をしまくって去っていきました。エネルギー量が高いのでもはや津波です。
ちょうどAerowaveの前身でイギリスのResolution!(若手のための作品ショーケース1ヶ月で100作品ほどを紹介する)に20作品くらいのヨーロッパ各国の作品を紹介していた頃から私は知っていて、その後EUにアプリケーションを出し、現在の形に立ち上げ、さらに次の世代に引き継ぐべく新しい仕事Spring Back Magajin を初めてしまう。74歳、パワフル。元気そうで、あと30年くらい生きるんじゃないかと思うけれど(なんなら私の方が先に倒れそうな気がする)それでも自転車通勤をやめたり、食べるものを変えたり、色々していて、所々に老いは見えます。ああ、あれから10年経つんだなあとしみじみ思いました。
イギリスのコンテンポラリーダンスの中核的存在だったThe Place(元々はローザスなどを紹介したのもここでした)が、学校との連携で、若手育成に力を入れるようになり(それゆえにできたResolution!やPlace Prize)そこに引っかかって、私はイギリス時代にいくつかの作品を作らせてもらいました。元々はそんなに公演をしたい人間でもないので、その時自分の中にある問題を一個一個解決するべく、1年に1作くらいの形で行なっていきます。
Edge,OvO,Angel's bone,The Three cornered world, IchI。The three corneredとIchIは好評をえ、改訂版の再演もさせていただきました。この創作活動があったからこそ、私はあのイギリスの暗いなかを暮らしていけたのだと思います。
また、ラッセルワークで仕事がなくなった時にThe PlaceとSadler'sがビザの発給先になってくれて、その間にThe Three corneredとIchIは作ることができました。そしてその作品を作っている頃、アシュフォードさんは仕事の定年をまじかに控えていて、エディに任せてお外にお散歩に行くようになり、木野の人生相談を聞いてくれました。またAerowaveの構想を話してくれました。実際にアプリケーションの応募が間に合わなくってポストに走ったのも覚えています。(大きい小包でした)
2008年ー9年くらいのイギリスのダンス業界、経済状態の激変は結構すごくて、その後のコミュニティダンスへのシフトチェンジにつながっているのですが、その最中、私はどうしようかと迷っていました。イギリスのダンスに興味のある人はいない。でも今から他の国に行って開拓するのか、それとも日本に帰って日本の環境を変えるのか。イギリスで何ができるんだろう。そんなつぶやきを言葉にしていきました。それを聞いてくれる人がなぜカンパニーの仲間とかではなくアシュフォードさんになってしまうのかが謎ですが、命の恩人でもあります。
こうして話す人がいたから私は日本に帰ろうと決めることができたし、おそらく、私の友人が亡くなったりしたのはそういう逃げ口が見出せなかったからだろうと思ってもいます。
その代わり、あまりにも色々イギリスダンス業界の裏が見えてきてしまったこともあり、早々近づきたくないし、早々売り込もうとは思いません。(アシュフォードさんに売り込んでもらうとかはしないんです。絶対)
ちなみにアシュフォードさんは木野の作品はそんなに評価をしていなくて(ちょっと残念)、彩子が踊るんだったら良い、という言い方をしています。もともとがおそとダンスを気に入った人なので、のびのび踊っているのが一番だと思っているようです。誰かに振り付けて見てはとは言いますが。ただ、死者の書は全て投げ込んできたというのがわかるらしく、それを心配してくれていました。こうして見続けてくれている人がいるのも作家としては嬉しいことなんです。
まさか10年経って鳥取で会うなんて。次の10年後はどこでしょう?
もう一人の恩人ラッセルさんも日本に来た時には会いにいきますが、さすがに鳥取に来てくれる予定はないですねぇ。
。
アシュフォードさんが津波のように押し寄せ、かなり色々ぶっちゃけた話をしまくって去っていきました。エネルギー量が高いのでもはや津波です。
ちょうどAerowaveの前身でイギリスのResolution!(若手のための作品ショーケース1ヶ月で100作品ほどを紹介する)に20作品くらいのヨーロッパ各国の作品を紹介していた頃から私は知っていて、その後EUにアプリケーションを出し、現在の形に立ち上げ、さらに次の世代に引き継ぐべく新しい仕事Spring Back Magajin を初めてしまう。74歳、パワフル。元気そうで、あと30年くらい生きるんじゃないかと思うけれど(なんなら私の方が先に倒れそうな気がする)それでも自転車通勤をやめたり、食べるものを変えたり、色々していて、所々に老いは見えます。ああ、あれから10年経つんだなあとしみじみ思いました。
イギリスのコンテンポラリーダンスの中核的存在だったThe Place(元々はローザスなどを紹介したのもここでした)が、学校との連携で、若手育成に力を入れるようになり(それゆえにできたResolution!やPlace Prize)そこに引っかかって、私はイギリス時代にいくつかの作品を作らせてもらいました。元々はそんなに公演をしたい人間でもないので、その時自分の中にある問題を一個一個解決するべく、1年に1作くらいの形で行なっていきます。
Edge,OvO,Angel's bone,The Three cornered world, IchI。The three corneredとIchIは好評をえ、改訂版の再演もさせていただきました。この創作活動があったからこそ、私はあのイギリスの暗いなかを暮らしていけたのだと思います。
また、ラッセルワークで仕事がなくなった時にThe PlaceとSadler'sがビザの発給先になってくれて、その間にThe Three corneredとIchIは作ることができました。そしてその作品を作っている頃、アシュフォードさんは仕事の定年をまじかに控えていて、エディに任せてお外にお散歩に行くようになり、木野の人生相談を聞いてくれました。またAerowaveの構想を話してくれました。実際にアプリケーションの応募が間に合わなくってポストに走ったのも覚えています。(大きい小包でした)
2008年ー9年くらいのイギリスのダンス業界、経済状態の激変は結構すごくて、その後のコミュニティダンスへのシフトチェンジにつながっているのですが、その最中、私はどうしようかと迷っていました。イギリスのダンスに興味のある人はいない。でも今から他の国に行って開拓するのか、それとも日本に帰って日本の環境を変えるのか。イギリスで何ができるんだろう。そんなつぶやきを言葉にしていきました。それを聞いてくれる人がなぜカンパニーの仲間とかではなくアシュフォードさんになってしまうのかが謎ですが、命の恩人でもあります。
こうして話す人がいたから私は日本に帰ろうと決めることができたし、おそらく、私の友人が亡くなったりしたのはそういう逃げ口が見出せなかったからだろうと思ってもいます。
その代わり、あまりにも色々イギリスダンス業界の裏が見えてきてしまったこともあり、早々近づきたくないし、早々売り込もうとは思いません。(アシュフォードさんに売り込んでもらうとかはしないんです。絶対)
ちなみにアシュフォードさんは木野の作品はそんなに評価をしていなくて(ちょっと残念)、彩子が踊るんだったら良い、という言い方をしています。もともとがおそとダンスを気に入った人なので、のびのび踊っているのが一番だと思っているようです。誰かに振り付けて見てはとは言いますが。ただ、死者の書は全て投げ込んできたというのがわかるらしく、それを心配してくれていました。こうして見続けてくれている人がいるのも作家としては嬉しいことなんです。
まさか10年経って鳥取で会うなんて。次の10年後はどこでしょう?
もう一人の恩人ラッセルさんも日本に来た時には会いにいきますが、さすがに鳥取に来てくれる予定はないですねぇ。
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