ダンストリエンナーレが開催中である。
お世話になったこともあるが、興味深いプログラムが山積み。時間があれば青山に行くという状態がつづいている。
ある日、青山で開かれたアジアダンスを紹介するフォーラムとブラジルから来た振付家リアロドリゲスさんのワークショップを続けて受けた。(ただしワークショップは通院の都合もあり2日のうち1日しか参加できず、ちょっと残念)
正直まだまだ貧しい地域が多い。今回の話しでも都市部の中にスラム街が620もある(ブラジル)などの現状を受け、それ故にダンスを「しなければいけない」、ダンスを「広めることで社会を変える」という意識が高い。
実際にリアさんは学校をつくるなどの活動を行っているし、フィリピンのマイラさんはフェスティバルを開催している。
さて、日本で、そこまで切羽詰まって「ダンスをしなければいけない」人がどこまでいるのだろうか。社会の情勢、世界との関係、そのぎりぎりのところにいるだろうか。
アジアやアフリカ、南アメリカのダンスの面白さの本質はそこにあるのではないか。
同時にオリエンタリズムというか異国性の話しも話題に出た。
日本の独自性、面白さ、ヨーロッパの資本に合わせるならばもっとわかりやすく日本を打ち出した方がいい。でもそれでいいのか?ということ。(例えば伝統舞踊をアレンジしたり)
つまり最終的に「人(私)はなぜ踊るのか」ということと関係してくる。
「楽しいからおどる」それだけでいいのか?
今の日本にいてつくるもの、つくらねばならないものとは何だろうかと考えさせられる。
たまたまだが、舞踏の初期の頃の話しを牧野先生と話し、あの時代は戦争が終わりそれまでしめつけられていたものが一気に自由になり飛び出したという話しをしていた。当時必要としていたものと今必要なものは違う。今何をしなければいけないだろうか。
おまけだが
リアさんのワークショップで最も興味深かったのは
話すことが既に作品作りだということ
マルティンナッハバーさん(ドイツ)のワークショップで最も興味深かったのは
ドイツ表現主義を今の身体でやってみること
また、それはとても舞踏の感覚に近いということ
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