2020年2月2日日曜日

壬生寺の鬼

とりあえず呼んでいることはわかるけれども、そして行きたい気落ちもあるのだけれども、我慢する。朝から色々迷いに迷い、珍しくやめることにする、でも止まらない勢いでとりあえず京都に向かう。
節分ということで壬生寺の狂言を見に行く。今日はお焚き上げもあってものすごい煙を浴びてしまう。実は昨年も行ったのだが、このお焚き上げは初めてで衝撃を受けた。すごい。
節分は同じ演目「節分」を8回(約45分の作品を1時間に一度)上演する。2日間続くので演者も大変だと思う。女性がイワシと柊を柱に備え、豆を用意していると、おじいさんが出てきて(どうでもいいけれど耳が犬か狐っぽい)言祝いでくれる。ホッとしていたら鬼がやってきてびっくりするが、鬼も考えて打ち出の小槌で出した衣装で変装。女性にも着物や帯をあげて喜ばせる。さらにお酒を出してきたところで、鬼に飲ませる女性。女性は自分では飲まず、酔っ払った鬼から小槌を盗む。さらに鬼の衣装を剥ぎ取る。そうしたらなんと鬼で驚き!!ごめんなさいーとお経をあげつつ、豆を投げて追い払う。
さて、いま冷静に考えてみて、鬼、本当に悪いやつなんだろうか。
鬼、もしかしたら惚れた女に貢いじゃう困ったやつかもしれないが、実は悪いやつではないかもしれない。
ここしばらく佐渡島含め鬼話を読めば読むほど、鬼、ちょっと可哀想なやつだったりする。

狂言の解説によれば、欲がくらむことをよくないという教訓のようだが、よく見れば女性の欲も見えてくる。初めの着物の時よりも帯の時の手の差し出し方が強くなっていたり。つまりどんな人の中にもそのような欲があるということを示している。鬼、むしろ欲がなく、いいやつなんじゃないか。
鬼はおぬ、隠れ(隠)から派生した言葉だという説もあり、余計に気になってしまう。


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