2020年2月27日木曜日

表現の自粛はいいものなのか。

コロナウィルス の影響で私も主催しているワークショップが開催できなくなり、落ち込んだりする。仕方ないよね、自粛だよね、安倍さん言ってるしね。とみな納得している。
人が集まることは避けた方がいい。たとえ自分たちに免疫力があっても自分たちから他に感染してしまう可能性があるから。でも、今の時代できることは他にもあるはずだ。
急激な休校措置に戸惑う家は多いと思う。共働き状態で学校が休みになったらどうしたらいいんだろう。もっと早い段階でできることをしないで、今更慌てて対処している感は否めない。と同時に戒厳令のシュミレーションのようにも見えてくる。(自分の一声で日本社会を動かせることに気がついて面白い!と思ったというのが正直なところな気がします)
でも芸術は、どんな中でも生まれてくる。今回人を集めるようなパフォーマンスはできないとしても文章で、映像で、様々な形で表現活動はし続けることができるはずだ。私は小さい存在のままできることをしていきたいと思う。

舞台公演を作るのは1年前から決まっていて、それなりのお金が動いている。
ある意味掛売りのような状態で、今回のようなキャンセレーションは対応しきれない。チケットの払い戻し、しかし会場費を払わねばならない、人件費は、、、となってくる。
正直友人ダンサーやワークショップで仕事を得ている人たちが困惑している状況を知っている。公的施設はともかく(なんらかの救済があると信じる)個人で活動している人ほど、それこそ小規模なNPO団体こそどうにもできなくなるだろう。
これを機になんらかの策を立てる必要があるだろうとも思う。

このような大きな規模のものではなくとも活動している人は、できれば、このような状況でもできることを模索していくべきと思っている。私もそうしたいし、今もその方向で動いている。今を表現するのがコンテンポラリーダンスであるのだとすれば、今でなければできない表現が生まれるはずだから。常に困難な時に新しいものが生まれる。表現形態を変えるところから。ウイルスとは何か。それは本当に排除すべきものか。そこからまず考えてみよう。


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