2020年2月20日木曜日

大学との関係性

きっかけは些細なことだった。身内で勉強会をしようとしたら有料で行なってはいけないとのストップがかかった。
研究発表する場合はお金をとってはいけないのだそうだ。給料もらってるでしょ、って。これまでも夏至祭、銀河鉄道祭と支出はあれど、お金をもらわないボランティア以下の活動を行ってきていて、さらにそれらは私の公務とも認められないし、私のキャリアにもならないし、だとしたら、私はなんの人なのかと考え始めた。
銀河鉄道祭は自身が責任を持つ形になってはいけないと実行委員長を立て、作品の演出などを委託し、裏仕事を全てになっているがそれは表に出すことができない。
チラシにも実行委員の1人として並んでいるだけだ。
夏至祭は自身がはじめたが、学内の規定が変わり、実行委員会を作り、さらに自分はアドバイザーとしてしか存在できない。自分のお金をつぎ込んでやっている事業にも関わらず、大学にすら施設使用料が必要になってくる。
仕事をしなければしないほどいいこの状況、どうなのだろう、、、と思い始めた。
今後私は有料で踊ることができないらしい。
今後私は企画、主催で動いてはいけないらしい。
チケット代金なんて舞台を作るのにかかる経費の一部にしか過ぎないのに。


人から依頼があればいいらしい。
兼業という扱いになり、許されるのだそうだ。

こんな形でしか生きていけないのかと思ったらすごく悲しいし、私は踊子でたまたま教育にもついているだけなのに、教育者だから踊っては(企画しては)ダメとなることが本当に情けない。
芸術系教員は普通に作品制作ができているのに、なぜ私は許されないのか。昨年から度々戦ってきたけれど、大学のためにもなると思って引き受けたりした仕事をことごとく否定されていく日々。教授でないからいけないのか。私が相談したからいけなかったのか。
とりあえず、生き方考え直したいと思う。

大学にいたら助成金とかは取りやすくなることはわかるけれど、助成金に頼らないで生きるすべを求めて修論を書いた身なので、当惑している。そして今行なっていることはアーティストさん達にお金を回す努力をしているだけで私には利益はない。彼らの活躍する場を作っていて、それはいいことなのはわかるが。これは私がするべきことなのだろうか。

私以外にそれができる人がいないというが、それをして私は何もできなくなって2年経つ。これから一生そうなのだろうか。私が積み重ねてきた40年(舞踏とは何かで触れられたキャリア。3歳から始めているからそういう表記になってしまうんです)はなかったことになってしまうのか。
私は一生懸命大学の1員として努力もしてきたし、鳥取の地域貢献を行ってきたけれど、評価されないまま、ただ続けていきたいとは思えない。

評価を求めている時点で本質的ではないと思う。ただ、お給料をもらう分お返しするべく務めてきた。逆に言えばお給料をもらわなければこれらの活動はしていなかった可能性が高い。銀河鉄道までは私の念がこもっているが、ここから先はいつでも消えれる。

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