2020年2月3日月曜日

対話はつづく、多分。

今から10年近く前帰ってきて上演した作品「IchI」は自分の中にいるもう一人の自分との対話がテーマになっていた。背後に隠れていた光持ち係(黒子)がいつの間にかパーソナルスペースに侵入し乗っ取られてしまう。一方その黒子も背後に浮かび上がる影に飲み込まれて全ては闇に包まれる。(はじめに戻る)「からたち」に出てくヨハネの言葉のように。

その後自分で自分のことを自己紹介するためのダンス「北海道札幌市中央区南6条西26丁目」を作り、その延長上で、家と祖母のことをもとに作った作品「かめりあ」がうまれた。この頃から私は作品が答えではなく作品自体が問いかけとなるような作品を作り始めている。クエスチョンとアンサー、謎の作品文通が始まって、いろんなところと呼応しながら1つ1つ作り続けてきた。Mobius、死者の書、銀河鉄道、全ては対話とともに作られている。
札幌自己紹介ダンスを見て「私小説ダンス」だと佐東さんはいう。珍しく、でも見れてしまうのはなぜだろうとも。当たり前だ、なぜなら全ての人が同じような私の小学校、中学校、高校をたどっているからだ。多かれ少なかれ家族のことや学校のことを抱えて私たちは成長してきた。だから、そこは一番触れやすいところでもある。
個人の小さな記憶や思い出は実は壮大なお話にも繋がっていたりする。
だからあなたのつぶやきは結構大事なのだというメッセージを作り上げていくために、ほとんどの作品はソロ作品になっている。個人だからできることがあるし、個人がきちんと個として生きていなければ社会は成り立たない。
個が自由にある場、そして個だけれども個ではない背景が見えるようにしていく作業それが作品づくりであり、夏至祭などに至るまで全てそのための仕組みになっている。夏至祭も銀河鉄道祭もそれぞれの人がどのように振る舞い、何を発見するかは委ねられている。集団だけれどもあくまで個の作品である。

集団を動かしていく作品はまた異なる視点が必要になる。大きな流れを俯瞰するという意味で神様の目に近くなる。でもそれもまた、それぞれの個がありて集団が成り立つべきであり、一つのリーダーシップや方向性に引き寄せる形ではないのではないだろうか。インパクトを出し、集団としての個性を打ち出していく必要があるので、一概にはいえないが、10年前と今だと目指すべきものは変わってきているような気がする。
それでも変わらないのはそれぞれの個がもう一人の自分を持ち、対話をしている状態は、悪いことではないような気がする。茂登喜に似て、同行2人ににて、ともに考え続けている。規模も違うし、空間も違うが呼応しながら今もある。目に見えるものばかりが全てではないし、それをあらわしていくことがおそらく演劇ではできない舞踊(ダンス)の行うべきことなのだろうと思う。

言葉の世界を超えて受け取ってしまったものは言葉化できないのかもしれない。

演劇はある種社会の縮図でもある。ギリシャ悲劇の時代から市民の公を作り続けてきた。それに対し、舞踊は様々な形で法や秩序を破壊するエネルギーでもあったので、禁止されてきた歴史を持つ。今でもいかがわしいなどのイメージが根強く残る(風営法は改正されたけれども)。社会に還元できるような形に転化していくことも一つの方法で、大事な学校教員としてのお仕事だが、そもそも、舞踊とはなんだったのかを問うことも今の立場だからこそできる重要な役割なような気がする。新しい社会はどのようにあるべきかを示すのが演劇の理論力だとした時に、舞踊はおそらくそのエネルギーとして存在し、批判的に批評的に捉えつつ、実際に前に進む一歩を踏み出させるのだろうと思う。
人間の生命力と、本能の力を私は信じたい。

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