2020年2月11日火曜日

TPAM2020

TPAMにて様々な懐かしい人に会う。
ちょっとずつ励まされ少し嬉しい。

私自身はダンサーであり踊子と認識しているのだけれど、学校という場を抱えていて、実質プロデュースや助成について考えていかなければいけない、鳥取という地域の作品制作環境全体を考えていかなければいけない立場なので、マネジメントの専門家の方々のお話を聞くようにしている。おそらくこれから多くのアーティスト(クリエイター)は自分で自分の生きる場所を作るだけではなく、他地域のアーティストを受け入れたり、地域の人を巻き込んだりが必要となってくるだろう。
今日は地域アーツカウンシルの話とハラスメントについて考える会の話を聞いた。
前者はおそらく鳥取でも必要となるであろう、そして大学がやればと思われているけれど、そんなに簡単なことではないというのを改めて感じた。また、当のパネルの人たちでもそもそも「都市部」と「過疎地域」では方向性が全く異なるものになっていることに気がつけている人と気がつけていない人がいることが明らかになった。過疎とは言わなくともいわゆる地域でも都市部からアーティストを呼ぶタイプの事業展開をしているところはたくさんある。しかしそれをやっていてはある種の植民地政策のようなもので、都市部のアーティストに収益が流れていく。地域の伝統芸能などに着目したり、既存団体のネットワーク形成のための支援をおこなっていくことが必要になってくる。
しかし地域の伝統芸能や主体的に動いている芸術活動がない地域はどうするのが良いのだろうか。そもそも何を持って「良い芸術」と言えるのだろうか。そもそも既成の芸術概念に疑問を投げかけ批判的に提示していくのが芸術の歴史であったことを考えた時に、すでに評価されているものを受け入れていくのではなく、独自の何かを生み出していけないものなのだろうかと思ったりもする。
後者はここ2、3年様々なところで話題になっており、(主に演劇業界)身内に関わるなあと思うので気になっていた。今回の説明ではセクシャルハラスメントと性暴力に重きが置かれていたが、ハラスメントそれ自体も問うべきであろう。と同時に、作品を作るという上で人との関係性がそれだけビジネスライクになってきているということの現れでもある気がする。(これはハラスメントを容認するということではない)
どんなアーティストにも言えることだと思うが、この人でなければできない、この人を生かすためのプロジェクトが立てられていくように各役者、ダンサーも考えていく必要があるのではないか。自分の個性をちゃんと立てること。
大学4年生の時に今でいうハラスメントを受けてそのショックから立ち上がれず、役者になろうとしたり、学校の先生になったり迷走し、今でもダンサーとしてはダメなんだと思ってしまう(大学時代もまたある種のハラスメントであったと思うし、それにより苦しんできた歴史がある)が、パフォーマーとして弱い人になるな、それは言える。
喧嘩売り返しちゃうようなところあるから、苦労もしてきたけれど、舞台上でちゃんと人としてあるために、普段生きるところから考えてみる必要もあるのではないか。
相談窓口なども作っているという。答えはなくとも、みんなで考えていくことはできる。そういう動きが起きていることを知って嬉しく思う。

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