2020年2月2日日曜日

蛍の光

前回取り上げた蛍の光、スコットランド民謡ですが、日本語の歌詞とは全く異なる内容です。ただ日本の歌詞も戦中は異なっていて、日本の領土拡大とともにどんどんと歌詞の範囲を広げていったのだそう。今ではすっかりスーパーの閉店の時の曲とか卒業式とかそういうイメージになっているけれども、この曲によくない思い出のある人もいるだろう。

東京オリンピックの最後の時にも蛍の光を歌ったという。
その本来の意味を思ったら、第二次世界大戦の復興を歌うオリンピックで歌うべき曲ではないことがわかる。
私たちは意外にものを知らないし、鈍感だ。
ファシズムは本質的に大衆運動であり、広義のファッション(流行)として国民の中に浸透して行く。
国家の下で行われた歌詞の改変、削除、墨塗り、そしてそのことに対する私たちの無知、無関心、そして忘却。震災にしても原発にしても、同じことが繰り返されているような気がしてならない。構造化したこの心性の持ち方こそ、現代における「あやうさ」だろう。唱歌や童謡は「懐かしさ」の中にある「あやうさ」を抱えている。それを心に留めながら歌を思い歌を歌うことが大事ではないか。

わらべ館で学生たちがミュージカルを作っているのを待つ間、図書資料を見る。赤い鳥とかもある。北原白秋も一時期は戦時下において軍歌を作っていた頃があったという。かめりあでも赤い屋根の歌をはじめとして童謡を使用しており、体操レクチャーのこともあり、かなり詳しくなってきた。明後日には大学の先代の先生より、昔の資料を預かる。続き作らなければと思い、今はなぜ日本は戦争をおこしたかをよむ。今日は3時起き。

肝心の学生さんは頑張っていたけれど、でもこの人たち、私が授業で言っていることぜんぜん伝わっていないんだなあと少し凹む。反省。根本的なところが理解できていないというか抜け落ちている。こうして色々なものが失われていってしまうんだなあとも。だから無知の教師だったのかもとも思う。


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