2019年3月2日土曜日

化粧について

私は化粧をしない。
これまでもほとんどしない。一応舞台人なのでしていたこともある。でも高校時代に笑われたことがあり、できる限りしない。サドラーズで踊るときも結局汗で流れてしまうから良いのではないかとなって、しないことが度々あった。

先日門限ズの倉品さんとお話をしていたときに、化粧やめたのよという話をした。なんかね、そのままでいいんじゃないかと思って、とのこと。私もそう思う。化粧とは何だろうか、綺麗とか美しいとかその基準は私には理解できない。
テレビをふとみて何となく似ている女優さんたちの顔みたくなりたいとは思わない。
この基準のようなものは誰が作ったんだろう。
そしてなぜそれに合わせなければいけないのだろう。
それは若い学生たちの痩せたい願望や、整形願望にもつながる。顔で判断する男の子と付き合いたいと思うんだという事自体が個人的には理解できない。いや私的にはそんな人変に引き寄せたく無いと思う。


別件で先輩俳優さんと話していたときに、やっぱすっぴんはどうなのかという話が出てきたことを思い出す。いや、木野ちゃんはいいんだけれどねというけれどどうも気になる。(その人にとって私は昔からこの顔だから、ここで化粧されてもむしろ困ると思うが、自分は舞台人として認識されていないのだろうと思うとすこし落ち込む)
そのときにこんな話をした。
ダンスは、少なくとも私は私のままなんです。
演劇は自分ではないなにものかになるでしょ、だから化粧が必要になるのかもしれない。でも私は私のままあるんです。

たとえ歳をとろうが、醜くなろうが。私は私のことを語り、その小さな1市民の声であってもそれが普遍的な物語につながるということを示していくということ。役者さんは様々な役を演じることができるだろう。仮面をつけるのか化粧をするのか、何れにしても何者かの人生を解釈しながら自分ではない生を生きる存在。
ダンサーは踊り子は私のまま、私を失っていく作業。そんなことを思います。

でも今はダンサーも役者も境目がなくなってきていて、俗にいう巫女的なダンサーは減りつつある。実際ダンス自体が持っている力もあるし、みんなで踊る楽しさもある。しかしもし私が、この運動神経的にもちょっと、いやかなりやばい人が下手なりになんとか続けていける理由はどこかといえば、私の踊る能力ではなく、ちょっと先を見る巫女の部分なんじゃないかとおもうのでした。


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