銀河鉄道の夜は宮沢賢治が何度も書き直しを行なっている。膨大な書き散らしの中から遺族、研究者が調査、研究を重ね、現在は4回大きな変更が行われたとされている。第三次稿と最終稿の差はかなり大きい。
もっとも大きな点はカンパネルラの死が描かれるかどうか。
そしてブルカニロ博士の存在である。
ブルカニロ博士、第3稿では最後に登場してまるで自分が全て仕組んだかのような言動をする。何と!全ては博士の実験!というまさかの夢オチ。
さらにこの項ではジョバンニは賢治の分身とも言われるセロのような声をした人と対話し、宇宙の真理を教えてもらうという特殊な経験をする。(ちくま文庫宮沢賢治全集に収録p554-555)
第4稿ではブルカニロ博士は姿を消し、カンパネルラの死と直面するジョバンニ。ここでそれが描かれるのは妹とし子の死を受け入れることができるようになったとする人もいる。(鳥取県内的にはカンパネルラは緑石さんなのですけれど)
一生を通じて一つの物語を書き直し続けたそういういう生き方いいなと私は個人的に思います。生前の評価はあまり高くなく、苦労もたくさんしたし、結局はボンボンイメージもある賢治ですが。だって、そうなんだもん。
私自身もこの不思議体験に近い経験をし、結果としてそれを修論に書こうと試みました。その後さらに繋がって、死者の書再読のクリエーションでは私が作る作品も全ては織り込まれているんではないかという感覚を得たのでした。垂直の糸と水平の糸それを互い違いにあわせたのち、その間を行ったり来たりするのが杼としての木野の仕事。特殊な経験(ぽかっと見るものが私の場合は真っ暗闇という違いはあったものの)の方はすでにしていて油断していたけれども作品全てがリンクしているのかもしれないということに気づかされました。良いことでも悪いことでも。死者の書再読は作品自体について話していることはなかったということに気がつき、私はすごいことなのではないかと思いました。自分で作ったものだけれど、ずっと対話をしていてそれで構成されている。
もしかしたら私のほかわかる人はいないかもしれないけれど、その瞬間は時間と空間を超えるということだったのではないかと私は思いました。いやもっとずっと前から対話自体は続いていた。でも見ないことにしていた。そういうことなのです。作者の意図とか社会的意義とかとは関係なく。
そんなわけで2種類のブルカニロ事件。その謎を解くのがここしばらくの課題かもしれません。
やっぱ巫女るしかないかも。
眠ることができないここ数日。昨年も、一昨年もこの時期は眠ることができなくて夜中の3時に起きてしまう日が続き、その後少し治るけれど3時に寝る日と3時に起きる日がおき(昨年はそれが4時22分というすごく細かい時間だったが今年はちょうど3時のようだからまだましかもしれない)、耐えきれない身体が昼間に(空きコマ時間に)昏睡していることがある。ダンサーなのに体力なさすぎ。修行がたりません。
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