2019年3月4日月曜日

明日からさっぽろです

いろいろあって明日からさっぽろです。
もはや自分で映像を撮ることになるかもしれない勢いで、とにかくお話を聞きに行きます。多分今回は撮影はできないと思うのですが、この話をちゃんと捉え直すと実は世の中の問題にそのまま直結する問題なのではないかと思うのでした。






追記3月5日
Amanogawaプロジェクトはそもそも銀河鉄道の最終章を作るべく行うだろう市民参加型の部分を独立して映像作品にしたものでした。
その後「からたち」」(2012)に組み込まれ、「からたちから」になったりもしましたが、放っておくと忘れてしまうと思い、札幌編を作ることにしたのが今から4年前の2015年。
札幌を作っている頃故郷とはなんだろうと思い、どこにいるのがいいのかなと迷っていました。しかしそのワークショップでの様々な言葉を受けてわたしは必要とされるところで生きていくしかないと思って結果鳥取に飛ぶことになりました。
その時から4年、鳥取に来て3年。本来は鳥取で行うはずのワークショップですが昨年の地震をうけ、改めてこの人たちの言葉を聞くことにしました。
2015年版の作り直しです。
2015年彼らは象徴的に原発の話をしていました。何が起きても故郷にいたい、しかも若い子ほどそう思っているという。たとえ20年でも自分を作った要素があるこの土地を離れたくない。自分の記憶があるこの土地を離れたくない、記憶がわたしを形作っているという話をします。
彼らの言葉はテキスト化しており、私は読み返してみても、かなり面白いと感じました。映像も良いのですが、テキストや写真で見るとそれぞれの視点が見えて来ます。

昨年大規模なブラックアウトが起き、電気がないという状況で様々な問題にたちあたり、その時に感じたことを聞いています。
同時に今の生活を。
原発よくないよねと言いながら、でも電気がない生活はできない。自然エネルギーや様々なものに転化していくことはできるかもしれない。でもそうしない国の力、その意味を理解しながら、グレーの中を生きている、グレーの中を生きていかなければいけないそういう言葉を聞くのです。
家族が、教え子が、様々な愛情の形がそこに見えてきます。大切な何ものかを守るために今私ができることはなんだろうかという。しかし一方でその思い入れゆえにゆえに道を誤るひともいる狭間でもあります(凡庸の悪というのもその中に含まれるのかもしれません)。
世の中が真っ暗闇に、それこそ石炭袋に進んで行く中、一人一人の言葉というものが一人一人が自分で考えて判断するということが実はどんなに重要なことか、その自由が今まだあるのだとしたらそれを表すにはどうしたら良いのだろう、そんなことを思います。

銀河鉄道祭とは別物ですが、私は私の問題として置き残してきた宿題と向かい合わねばなりません。
札幌編、新百合ケ丘編いずれもテーマも場所も異なりますが、おそらくずっと同じことを問い続けているのです。


追記:3月6日
岩内に来ました。そして泊も。激しい雨でしたがだんだんやみ、美しい夕日が現れました。(ちょっと顕れのようなシーンでもありました。)
この問題掘れば掘るほど沖縄の基地問題に似ている。その土地で生きる人の権利もありつつ。



3月7日
図書館で資料を当たる。新聞記事の取り上げ方に時間の流れを感じる。また北海道ならでは情報が載っており、本州では報道されていないようなものも多くある。ちなみに震災で一番大変だった頃札幌の五輪誘致が報道されていたりする。
また天神山アートスタジオに比較的近い清田へ向かう。震災により液状化現象を起こし、現在も人が住むことができなくなっている地域がある。ただし、通りを隔てて一本ずれるとそこには普通に暮らしている人がいる。(ただし現在も水道管など工事が続く)揺れの具合もインフラの復旧も地域差があり、誰がどちらになってもおかしくないことがわかる。
Amanogawaの皆さんは話が止まらなくなるので、個別にそれぞれ来れる時に集合してもらいお話を聞くことに。


3月8日9日
Amanogawa関係者のインタビューをとり、地域差で大変な地域もあることはわかっているけれど、比較的のんびりした反応でありました。9月の時と2月ではまた感じ方も異なるけれども。
ただ、あまりにも自然災害がおおすぎてマヒしている感は否めないとはなす。9月の時は実は台風でかなりの被害を受けていてそれはすでに忘れ去られているけれど、実は地震の被害よりも大きかったかもしれない。また9月の夜だったからよかったけれど冬時期だったら、あるいは日中におきていたらかなりのパニックだっただろうとも。
意外にテレビなどもつかえないので、家族ではなしたとか、トランプや人生ゲーム(!)で盛り上がったなどというなんだかハートウォームなコメントも出てくる。(一方で一人だから懐中電灯かかえて寝るしかないと思ったという声もある)
混乱もなく、そして皆冷静に粛々とうけいれたという。
また銀行、学校などで働いている人たちはいかに職場に行くかでかなり苦心したことをはなしてくれた(何分電気が使えないので信号が動いておらず、電車だけではなくバスも運行していなかったが、だれもそのさまがわからない)。携帯の充電ができるということで近くの公民館の存在を初めて知った、それもものすごい列になっていたと様々な証言があがるものの、きがつけば省エネなくなったよねという言葉も。金融機関の場合見栄の問題もあるとも。忘れちゃう。
その心の揺れ具合がすごい。


311にあわせた脱原発集会もありその話も聞く。
ただデモをすることでは何も変わらないしかえられないし、そこに参加している人たちの声も小さい。(小さくとも大事な声でもある)
そんな中、放射能の測定をし続けている市民団体の方のはなしもきく。
脱原発を推す以前の問題として、自分たちの置かれている状況を知ろうとし、そのようなうごきが全国的に広がりつつある。しかし出版物他あくまで事実を述べるところにとどめている。重要なことは読んだ人、見た人が自分で判断をするしかないということだ。なにかおかしいな、変だなと思ったときに自分で調べるという権利を私たちはまだ有している。そして自分で判断することができる。少なくとも今のところ。
デモ行進では押し付けに過ぎないと受け取る人もいるだろう。偏った教育も批判のまととなる。なので、私のような教員や表現者ができることは双方の意見を取り上げながら、つっこみをいれながら、一緒に考えていくことしかできない。「ダンスハ体育ナリー建国体操を踊ってみた」では凡庸な悪についてとりあげた。半分お笑いのようだけど(今でも5月版のチラシの写真は話題になるとともに、愛だねえと言われる)、事実に即し、わかる内容を目指している。この世の中は正解のない時代にはいっている。そんな中だからこそ自分なりの答えを導き出していくしかない。私もあなたも。だから一緒に考えていくのだと私は思います。
情報過多の時代だからこそ、直接会って話すことの大切さを感じる旅でした。


今は帰り途中。なんとそのままではかえれなくて兵庫で一泊しないとなのです。このまま大学行ってチラシ刷ってわらべ館ワークショップへGo。明らかに生活がおかしくなっているとさすがの私も思います。




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