2020年1月22日水曜日

田中泯さんの舞台を見て

久しぶりに東京に行ったついでに舞台を観に行った。田中泯さんの東京芸術劇場公演。
多分舞台で踊るの久しぶりなのではないかと思ったのと、知り合いが出ているのと。
アフタートークによれば実際に何十年ぶりらしい。(ただ私のかすかな記憶だとやっぱり東京芸術劇場で巨大クジラを見たのだけれど)
というのも劇場なんてと行って外へ出て行って、身体気象農場などをやって(その時代にダンス白州というフェスティバルでお世話になっている)、最近はテレビだ、映画だと引っ張りだこになっているから仕方ない。近年は場踊りと称して屋外での即興(そういえば夏至祭の原型のような話だ)が活動の中心になっているのだという。
珍しく劇場公演というだけではなく珍しくアフタートークをするという。アフタートークでは(その日は)写真集の話をしていた。この写真集はずっと僕のことを撮り続けてくれてて、いろんな本当にいろんなところに行ったけれど、でもそのまま放ってあったんだ。でもそれを最後にまとめてなくなっちゃたんだよねとぽつりと話す。僕ももう80歳ですから、先のこともね考えるんです、という。泯さんの公演ではベケットの文章が引用されていて、それもまた、かなり直接的な死を意識させるものであった。

先に書いた大野さんのお葬式と合わせ、舞踏第1世代がいなくなるとはこういうことかとふと思う。ここ暫く笠井叡さんがものすごく精力的に活動している様を聞いており、そういう焦りを感じる。自分が見てきたもの、受け取ってきたことをどのように伝えていくことができるのだろうか。


そんなことを思いながら、ぽつぽつ歩いていて自分が死ぬときは踊る人として認識されて死にたいと考えた。最近学校とか銀河鉄道とかなんの人だかわからなくなっているけれど、でも多分私は踊る人なのだと思う。それはたとえたくさんの人でなかったとしても、せめて自分の周りの人達にはそのように認識してもらっていなくなるのがいいと思う。
そんな話を友人にしたら、すごい!大発見じゃないですか!となんだか喜んでいる。

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