2020年3月17日火曜日

コロナウィルス にかんして20200317

これまで経緯を見てきて、そしてウィルスの感染について考えてきて、おそらくここから先は60-80%の人が感染し、免疫ができたり、ウィルスと共存していくという領域に入っていく。
逆に言うと日本政府のゴテゴテだった対策でよかったんじゃん?となりかねないけれど、問題はそこではない。
見えない分やはり不安を煽り、謎に子供達の行動を抑え、それでいいのかといくつかの自治体が疑問を投げかけた。鳥取県内の高校は明日から、一部小中学校も自治体判断で動き始める。そもそもこれらの判断を国が行うこと自体が憲法を飛び越えた行為でもあり(このドタバタで大きく扱われていない)、それを戻していくだけなのだけれど、2月末とは条件が異なり、今はどのように広げパニックを起こさせないかになっていくと捉えている。

もちろん手洗いなどは行うべきだし、高齢者、病床にある方などへの配慮は必要だが、ここから先は経済活動をいかに続けながら、生活を続けていくかにシフトしていくべきだろう。それはEUやアメリカが過敏には判断しているけれども、中国(ただし表に出てくる情報が本当に正しいのかは疑問)や韓国を見て思うことである。

日本にいることで情報が歪むと言うことは結構怖い。
海外の人が入るからと言うのではなく、そもそも検査も十分にしていない状況、そして情報が操作されている可能性。そんな中で私自身は免疫力などもあり生き残る覚悟はあっても、他の人にうつす可能性までは自信はない。
おそらくオリンピック以前に、日本国内の現状は知るべきだし、それを知らないまま抑え込んでいると勝手に思い込むことに不安を覚えるし、現政権のリーダーシップを評価(疑問視)する必要があると思う。

この情報格差。
それが悲しい。


個人的にはオリンピックが延期になると思っている。出場国が減ったためなどの理由をつけ、日本の責任にはならないとして、ごまかすと思われる。
開催できると言う希望を引き継ぎながら、この災いを過ごすのだろう。

私は多くの災いはそれなりの理由があって生ずると感じている。
復興を歌ったこのオリンピック、それでいいのか、と言う神の声にも聞こえる。
いろんな形で無理をし、また人間の力を超えた何かが働いているような気がしていて、ここで踏みとどまれと言われているような気がする。
コロナ、と言うよりは、そもそもの人間の生き方、考え方を見直す時が来ているのではないか、そんな気がする。

オリンピックは中止してはいけないと言われてきた。
実際、過去5回しか中止されていない。(そのうち2回は日本の1940年東京、札幌オリンピックだ!)しかし中止するかしないかではなく、人はいかに生きるかを問われている時ではないのか。
今を生きよ。そう言われている気がする。



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