2020年3月30日月曜日

コロナウィルス にかんして20200330

今回の新型コロナウィルス 対策で星の数ほど舞台公演やパフォーマンスが中止になっている。職業柄舞台に関わる人が多くいるので、心が痛い。それぞれの舞台ごとに思い入れがあるのが分かるからだ。
この数日の間にも代役が回ってきて消えてみたいなことも起きていて、自身のワークショップの企画や鳥取夏至祭など私自身もその渦中にあるのだけれど(実際今も調整が続いているのだけれど)、先のことが見越せないのが痛い。1ヶ月とか3ヶ月とか凡その目安(1年とオリンピックは考えているけれど、それで間に合うのか?という声もある)が立たないので、皆不安になってしまう。

とりあえず生きるための最低限の食、住を確保することが大事なのは分かる。でもそこに私は踊ることも含まれる。舞台で踊る踊りではなく、毎日簡単なストレッチとともに、身体を動かし、空や自然につないでいく作業。広い場所はいらない。でも毎日それは確実に行われる。
生きることに必要なことがその人にとって何かは人によって違うし、そういう人は少ないと思われる。(スポーツクラブで汗を流すというのともちょっと違う)ただ、おそらく人として必要なことなのではないかと私は思い、授業でもダンス以前の身体の話をする。
私のように身体について考えることが日常だと思う人が増えていき、食住と等しく身体となっていったら、今の学業カリキュラムも変わっていくのではないだろうかと思うことがある。医学、東洋医学、漢方などの知識とボディマインドセンタリングや野口体操、GAGAなどの身体知覚を高める運動を行いながら、自身の心地よさを追求するようなもの。それぞれの人が自分で身体を整えることができるようになったらいいなと思う。ウィルスに勝てるようになるわけではないけれど、おかしいなということに気がつくことができるとかそんなことには繋がるだろう。身体には全ての情報が含まれていて、それを私たちは読み解いていく。
演劇もダンスも当事者にとっては特別なことではなく、ずっと継続していくものに過ぎない。どこから特別なものになってしまったんだろう。


舞台公演の中止はやはり悲しい。でもいつかちゃんと花をひらかせようと思ったら、それは次への希望の種子になる。延期というと何か残念な気持ちになるけれど、熟成期間だと思ったらちょっと楽しみになる。大豆と塩と麹を混ぜ混ぜして熟成させると味噌になる。混ぜ混ぜの時にそれぞれの人のもつ菌や空間にいる微生物が入ってその土地でしかできない味になる。ウィルスもきっと悪気があってしているわけではなく、それはもしかしたら熟成しなさいという神様の声かもしれない。
スポーツの場合ピーク年齢がとかタイムがとかあるのかもしれないが、舞台にはそれがないから。もしかしたら一生熟成が続くのかもしれないけれど、その時ごとの美味しさが生まれるものなので、無事花ひらくときを楽しみに待ち続けていたいと思う。




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