2018年11月19日月曜日

わらべ館ワークショップ20181118

わらべ館ワークショップ
11月18日
講師:やぶくみこ、田中悦子

主な内容
12:30— 顔合わせ、ワークショップの流れ説明
                使用する小道具(新聞紙くん約10体)の作成、準備
                
 13:10〜 子供達が少しずつ集まり始める

 13:30〜 高橋さんからの簡単な説明
(写真、ビデオの撮影に対する許可など)
木野の簡単な説明の後田中さんの進行スタート

新聞君(仮名)の真似をしてのアップ(5分)→導入と合わせ実際には10分程度。⑴
  参加者に名前をつけてもらう(なにかなさん)
  田中さんが動かし、それに合わせて皆で動く。
新聞を動かす人を交代する。(10分)
  子供達を中心に新聞紙を渡していく。
→初めはやりたがらないことも。だんだん打ち解けていく。⑵
二人組で動く。(15分)
  様々な新聞紙くんを並べ、その中より1体を選んでもらい、名前をつけてもらう。
  ひとりは新聞を動かし、もう一人はそれの真似をする。
                →親子などの場合は3人、4人で1グループになることも。
         →ペアがいない人のところに受講生の方が入ってくださいました。⑶
  途中役割を交代する。
  何組か動きを紹介してもらう。
→初めの話し合いで半分ずつに分けて見合う形に変更してもらいました。⑷
  新聞紙の回収。⑸
新聞を使った音の即興(15分)⑹
  休憩を兼ねて一回円になって座る。
  新聞を扱った音を考えて様々な音を出してみる。→やぶさんが参加者の動きを見ながら拾い上げ、みんなでやってみる。
  新聞を読む声など→子どもたちには難しかったらしいのが残念。⑺
  使う新聞はの活動までに使ったものとはかえる。
  即興の終わり方を考える。
新聞を使った音と動きとの即興(15分)⑻
  音楽チームと踊るチームに分かれる。音楽チームは屋根のあるゾーンへと移動(音響上)。固まって演奏する。
 事前打ち合わせでは流動的に流れたらという話でしたが、一回切り上げ、二回目のグループの時にゆるやかに演奏しながら踊る形へと促しました。

 14:25ごろ まとめの時間
 14:30 スタッフ振り返り(参加者だった高齢の男性がそのまま参加してくださり、「正解がないのがいいんだよ」と感想を積極的に述べてくださいました。)

振り返りの際に上がったことなど。
    新聞紙くんについて
今回田中さんよりカラーではない新聞をということでしたが、これはマジックで書く時にわかりやすいようにとのことでした。またマジックももう少し太いもの(あるいは何本か線を引く)だとより見えやすいです。
木野の講座では1枚の新聞からどういう形にしてもいいから人形を作ります。平面の人もいるし、ねじったりして変わった子が出来たりします。また、2枚分をつないで、寝っ転がってそれに合わせて人形を書いて実際に自分の分身を作ったりもします。
今回は時間が短いということもあり、こちらであらかじめ用意しましたが、長めに設定して試みることも可能です。作る作業や名付け作業は愛着を生み出すとともに、創造する面白さ、それぞれが違うことの発見につながるので、こちらもぜひまた試してみてください。
なお、新聞紙は身近にある素材ということで、学校教材としても多用されています。文部科学省のダンスブックレットなども参考になるかもしれません。
    この時積極的に参加してくれた子は三回目の参加で、今回は妹さんは参加しないと言ったので、一人で来てくれました。嬉しいことですね。あと、3人組の小学生たちは飛び入りだったのですが、夏至祭の時にあった子たちではないかと思います。
    グループや2人組に分ける作業が難しい時にうまく講師あるいはサポーターが間に入れると助かります。ある程度固定のメンバーで行う場合は動き慣れている人と慣れていない人を合わせるなどファシリテーターがセッティングをする時もありますが、このわらべ館シリーズのように初めて会う人同士だとなかなか入りにくいことがあります。特に男性。
    人に見せるという行為はかなりハードルが上がります。その瞬間に自我(よく見せようという意識)が生まれてしまうためです。ダンスは確かに人に見せる舞台芸術ではありますが、もともとは純粋に楽しむためのものだったはずだと私は捉えており、「鳥取銀河鉄道祭」も「鳥取夏至祭」も見る人と見られる人の垣根を壊すための工夫として開始しました。(その理論は論文に書きました)見ることで動きのボキャブラリーが広がるということもありますが、何のために行うかを考えてみる必要があります。2人組の模倣遊びなども(実体と影)入れ替わりながら相手の動きを真似しつつ学ぶ他、他のグループを同時に展開させていくことで、恥ずかしさを減らす効果と、何をしたらいいか迷った時に周りから動きをもらうことができるようにするのが望ましいです。これは特に小学生中学年以上の時に配慮してみてください。(今回のように半分ずつなど複数グループがあると大分ハードルが下がります)
やぶさんより土地柄はあるかもとの指摘も。関西人のノリと鳥取県民のシャイさは違うかもしれません。
    人を書いているだけにぐちゃぐちゃにするのは子供達に混乱を与えるので1度回収しました。(田中さんの配慮です)ちなみに持って帰る子もいました。
    音楽やぶさんより、円形ゆえの場所の問題は指摘がありました。音が回ってしまい、ききにくくなってしまう。この場所を変えることはできないので、マイクを入れるなどの提案もありました。(しかしみんなで作っている感が少し落ちてしまいますね、、、)個人的には物を持つと皆テンションが上がり過ぎてしまい(前半戦が踊るだけにより一層)細かな音に気がつきにくくなってしまうこと、他の人の音を聞けていないこと、0状態を味わえれないことあたりが気になりました。楽しいカオスの時間とその逆の静けさの時間があるとそのコントラストを感じることができ、より面白いことになるような予感がしています。俗に言うクールダウン的な時間なのか、導入の部分なのか。音楽演奏については音楽だけで1時間コース(あるいはもっと)できる可能性を秘めている気がします。
    新聞の読み上げで意味がなくなっていくことが面白かったという意見。死者の書再読の冒頭でも読んでいますが、言葉の可能性はまた別に模索したいものです。ただ、問題はこの子供達には難しすぎるので、大人(あるいは小学生以上など)のワークショップを開催してみてもいいのではないかと思いました。
    音楽の中でベースの人がいるとやりやすいのではという田中さんからの指摘がありました。やぶさんはサポート側で行うことはあるけれども、基本的に自由度が減ってしまうので、参加者にはお願いしないとの事。音楽、ダンスともにどこまでルールを作り、どこまで緩めておくかはワークショップの肝の部分です。私はこのわらべ館空間がちょっと特別ななんでもしても良いところになっていく事を望んでいて、どちらかというとできるだけ緩める方向に進んでいます。一方でやぶさんの指摘のように「小学校低学年くらいは小さいルールが大好き」というのも事実で、対象に合わせ、臨機応変に対応していくことが大切です。
   最後の踊りが印象的だったというコメントがありました。モノを持つことで意識を開放することができます。やぶさんは日本舞踊の扇の話をしていましたが、民俗芸能は依代と言って神様が持っているものに降りてくるといいます。それが動いてくれる(人を動かしてくれる)んですね。なので、日常ではどう見えるか気にしてしまいがちな大人たちもモノを持つことで解放されやすくなり、普段しないような動きを生み出すことにつながります。危険性には注意をしながら、楽しく遊んでいきましょう。




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