2019年12月31日火曜日

鳥取銀河鉄道祭とはなんだったのか。

鳥取銀河鉄道祭とはなんだったのか。
それを説明のするのは難しい。そこで現在様々な人にお願いしながらドキュメントを作成しています。鳥取夏至祭を行なって、その先として作る舞台作品版でありながら、舞台にとどまらない実験的な試みを多く行なってきました。その全貌はわかりにくいですが、おそらく現状の舞台芸術全般に大きな疑問を投げかける作品だったと思います。
10年近く前の私の小さな思いつきがこのように大きな力になりました。
どんな小さな一言もいつか実になる。鳥取の皆さんから学んだこと、鳥取で考えたことそれらの集大成でもあります。
鳥取銀河鉄道祭についてはHPをご覧ください。
https://scrapbox.io/gingatetsudou-tottori/
またこのブログ内にも鳥取銀河鉄道祭のできるまでが残されています。


以下はドキュメント制作のために書いた文章。実際にはまだまだ変わる可能性はありますが。



とりアートとは鳥取県総合芸術文化祭の愛称です。2011年に『とりアート構想』が作成され、前文には「県民一人ひとりがこの事業に主体的に関与し、生活の中に文化芸術を活かすことで、文化芸術を通じた地域の活性化と県民生活の質の向上に寄与するために実施する」とあります。
2016年度のとりアートの専門家評価員として参加し、この事業自体の今後の可能性として以下のようなことを考えました。
  税金を投入(約2000万円)して制作する公演であるが、参加者、関係者は多くない。出来るだけ多くの県民がアートに触れる機会とするにはどうするか。
  大きな舞台で1公演を打っておしまいではなく、複数回の公演を行い、作品と出演者のレベルアップを図っていくことができないか。
  県内の地区事業のネットワークと連動していけないか。
  西部、中部、東部を横断することで、県内文化人の横の交流を作り出していくことができないか。
  障がいの有無、国籍、性別、年齢の垣根を超えた交流を目指したい。鳥取の今を示す作品をつくる必要がある。

芸術の意味は拡張し、公共事業としての意味合いも含めソーシャリーエンゲイジドアートや社会包摂が求められるようになって、より多くの人が関わるようにしていくためには、衣食住といった生活全てが芸術(アート)につながっていくとなると考えました。その際に必要となるのは「特別な人が特殊訓練を積んでいくハイアート」ではなく「あらゆる人が芸術家であり、生きることとアートは密接に結びついている」という考え方であり、とりアートの理念はある種時代の先端を行く考え方になりうるのかもしれないと思いました。さらにいうとこれまでのとりアートの価値転換を測る必要があるのではないかと感じたのです。
 日本におけるコミュニティダンスの進化の形として祭の存在を取り上げた自身の論文(木野、20162017)を踏まえて、鳥取の人による鳥取の人のための新しいお祭りを開くのが良いのではないかとし、その実践例として『鳥取夏至祭』をスタートさせていた私は、その延長としてこの作品をイメージしました。
なお、その論文の中では鶴見俊輔の『限界芸術論』および内発的発展論について触れており、宮沢賢治の『農民芸術概論綱要』をもとに理論を立てました。
<図>


ほぼ同時期に、ウェブマガジン『totto』(2017-)の立ち上げに関わったこともあり、『鳥取藝住』はなくなってしまったがその緩やかなネットワークを継続できないかと努力する元事務局の2人と話をしながら、鳥取の西部中部東部でリサーチやワークショップを行いながら作品を制作していくことを思いつきました。リサーチやワークショップを通じてまず私自身が学び、そこで得た鳥取の人々の暮らしや生き方を作品内に織り込んでいくことが必要です。また最終的な公演は劇場空間だけではなく、まさしくお祭りのようなものになるのではないかという構想を立てました。
舞台芸術は総合芸術です。そのもともとに立ち返り、様々な県内の活動と出会い紹介しながら、私たちの暮らしをよりよくしていくといくことを目指すべくこの企画を立ち上げました。模式図にすると以下になります。

<図:これまでの流れ、当日パンフレット参照>
元々は倉吉でも公演を行う予定でしたが予算の関係で断念しています。これは2019年3月ごろに作成した模式図です。

作品としては宮沢賢治の名作『銀河鉄道の夜』を基とし、総合芸術として多くの人に関わってもらえるよう音楽劇としました。また個人的に劇場空間以外の空きスペースや公共空間の活用に興味があったこともあり、応募時より移動型という提案もさせていただきました。その大枠は応募当時より変わっていません。

2017年(2019年事業)よりこの事業が公募となりましたが、当時私はまだまだ来鳥して1年目の若輩者でした。しかしわずか1年でも鳥取県は人口最小県ではありますが、芸術文化活動は熱心な個人の努力によって継続されているように感じられました。その人々を繋いでいくような役割をこの銀河鉄道が果たすことができたら。鳥取県は「星取県」と言いますが、実は県民がそれぞれ星であってそれらをつなぐ架け橋のような作品になるようにといのってこの作品作りは始まりました。

2017年度は公募と選考で終わってしまい、(契約ができたのは3月でした。)20184月より事務局として働いてもらうことになった野口明生さんと走り始めました。佐分利育代先生をはじめとする実行委員会ができ、サポートアーティストとして心強い門限ズと藤浩志さんが登場し、支えてもらいながら模索してきました。県民が自発的に活動するような場とはどういうことだろうか。より多くの人が参加できる環境とはどういうことか。
2年弱の間に数多くのワークショップ、イベント、リサーチが展開され、その全てを見ることができたのは私と野口さんしかいません。全てをお伝えすることはできませんが、この2019年の今、鳥取でなければ、そしてこの鳥取の人たちでなければ作ることができなかった奇跡のような舞台の断片を道標として、三角標のように残すべく、このドキュメントを作成しました。
 
鳥取銀河鉄道祭の目指したところ
  県民による県民のための県民による舞台
構成を門限ズにお願いしていますが、作中にできる限りワークショップで話したり出てきたものを取り入れてもらいました。門限ズ達にも鳥取を知っていただくよう努めつつ、皆の言葉を待ち、リードではなく一緒に歩いてもらうことにしました。
  既存の劇場文化に対する疑問の投げかけ
舞台は客席でおとなしく見るものだと思い込んでしまいます。今回移動型を取り入れることやフォーラムの試みで、観客もまた出演者でありうるという設定になっています。今回の出演者は「同じ学校の子」だったり、「隣のおじさん」だったりします。私自身も舞台の人間としてその魔術を知っています。しかし舞台上の人もまた人間です。どんな人の言葉も本心から出る言葉であればそれは人の心を打つのです。
  芸術文化概念の拡張
芸術文化は特別な人がするものという概念を覆すべく、祭としました。かつて日本の祭りはある種のカオスの中観客も演者も関係なく危険を冒して盛り上がるようなものでありました。その熱量を生み出すには「我がこと」として受け止める人が増える必要があります。特に衣食住に関するものを取り込むべくケンタウル⭐️自由市場は始まりました。しかし鳥取市の木の祭と重なっていることもあり、苦労した点は否めません。
  出演者と観客、プロとアマの境目の消失
⑵で述べたように出演者と観客の境目は薄くなります。しかしそれゆえのリアリティを生み出します。出演者たちは鳥取県民のプロであり、それぞれの年代の、それぞれの感覚と考えを作品に取り入れてくれました。
門限ズの力は大きく、ワークショップの進行も作品作りの上でも大きく助けてくれました。それと同時に出演者としてあまり出ないようにお願いしました。様々なアクシデントはありましたが、そんな中で大きく支える人であり続けていただきました。出演者としてのプロではなく、作り手としてのプロとしていてくださいました。
  それぞれの人の「ほんたうの幸い」を探すための引っ掛かり
この公演は終わってしまいますが、何年かのちにあの時あれがあったからと話すような公演であってほしいと思いました。そしてそのためにも記録を残していく努力をしています。現代は1つの幸せのかたちではなくなっています。そしていろんな情報が飛び交い見えなくなりがちです。ここから先は出演者が、観客がそれぞれの力で掘っていかねばと思います。
  今、この鳥取で、この人たちにしかできないものを作ること
パフォーミングアーツはライブです。この場にいなければこの感動を共有することはできません。この人たちがこの土地が鳥取の財産です。ここでしかできないものを作り県外から思わず見にきてしまうレベルのものを作りましょう。

さて、これらのどこまで実現したのでしょうか。実現できなかったのでしょうか。おそらく、それらはこれからの課題として残されます。とりアート自体が変化しつつあるいま、鳥取県民がもう一度芸術文化について考えていく時なのだとも思うのです。鳥取という銀河をめぐる私たちの旅はこれからも続いていくことでしょう。この小さな県で起こった奇跡が様々な土地に伝わり、また宮沢賢治の思想をもとに新たな作品が作られていくことを祈ります。




プログラムの言葉

今年のとりアートメイン事業は『鳥取銀河鉄道祭』。宮沢賢治の代表作『銀河鉄道の夜』を元に、2年越しのリサーチとワークショップを重ねてきました。リサーチの成果を示す映像等の展示、それを元に作り上げた鳥取県民による鳥取ならではの移動型音楽劇、ゲキジョウ実験!!!「銀河鉄道の夜→」、主人公ジョバンニが訪れたであろうお祭りをイメージしたフリーマーケット「ケンタウル⭐️自由市場」を開催します。

宮沢賢治はすべての農民が芸術活動を行うことを理想としていました。『銀河鉄道の夜』では死の間際まで改稿を重ね、最終稿でジョバンニが親友カンパネルラの死という悲しみを乗り越えて母の待つ家(日常の暮らし)へと帰っていくように変更します。2年間かけて東中西部を駆け巡って来たリサーチやワークショップを通じて、私たちは鳥取の日常の暮らしの美しさを再発見してきました。生きることと芸術はそのまま繋がっていて、それぞれの暮らしは星のように輝いています。日常の暮らしの美しさを星に見立て、星座のようにつなぐことがこのお祭りの目指すところです。

誰人もみな芸術家たる感受をなせ

個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ(中略)
おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ 
われらのすべての田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようでないか
まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう
(『農民芸術概論綱要』宮沢賢治1926年)

ジョバンニの探す「ほんたうのさいわい」の答えはありません。おそらくそれぞれの人がそれぞれの「ほんたうのさいわい」を一生を通じて探し続けていくのでしょう。しかし今日この鳥取で星たちに出会って起きたことは出演者・観客・スタッフ、皆の記憶に残り、道標として三角標のようにいつまでも輝き続けると信じています。
米子のプラネタリウム劇場、倉吉のワークショップと併せ、私たちの鳥取という銀河をめぐる旅で出会い、関わってくださった全ての方に感謝を込めて贈ります。



鳥取銀河鉄道祭実行委員 一同



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教育について2019

教育について
先日教大協の会で某先生とお話ししていたら邦正美の「身体育成法」の話になった。
札幌時代の先生のもとでは「身体育成法」をもとにクラスが展開されていたので、今でも身体に入っている。「からたち」「からたちから」で触れているように3歳からそれを続けていて、セリフは覚えられなくても動きだったら覚えているという謎の覚え方でこなしたようにできてしまう自分がいた。
牧野先生のもとはバレエとグラハムテクニックと江口隆哉メソッドがベース。大学ではスィングリリース(現在でも大学の授業でコンテンポラリーダンスのクラスはスィングリリースをベースに動きを構成、間に少し作る時間などを加えている)と神戸に代表される大学ダンス。
つまり本人の意思とは関係なく自分自身がこの国の舞踊教育の歴史の変遷をたどってきたということでこれだけ網羅している人はそんなに多くはない。フランスイギリス時代を合わせるとかなり幅広く学び、そのどれでもない状況になっている。それが私の基本ベースとしてあり、それを否定しながら作品を作る。
そんな中、私はダンス教育について何を求めてるのだろうと最近考える。体育の現場で行われているダンスも、教大協で行われているダンスの創作法や教材も今私がやっているダンスとは明らかに異なるものである。
「ダンスハ体育ナリ?」を作りながら女子体育、体操、そして今回は特に表現の自由について触れ、ダンスが体育の中にあるべきだとする声を理解してきたが、それでも、私のアイデンティティが歪んでいる気がしてしまう。そのずれをどのように解決していくか。

まず現在のダンサー(あるいは振付家)と呼ばれる人たちが生き延びていくすべを作るにはどうするかを考えると、イギリスのコミュニティダンスやクリエイティブパートナーシップ制度を思い浮かべられ日本でいうアーティスト派遣制度が広まることだろうと思う。
体育にあり必修でありながら、運動会や体育祭でごまかし今も50%は授業内で行われていないとされるダンス授業。その一部を学校間を循環しながら担うだけでおそらく生きていける。一学期はA中とA小学校、二学期はB中とB,C小学校というように各地域にダンサーが一人くらいいてもおかしくない。
担任の先生方がその役を担えるように研修を行っていくというのも一つの手で、それでもかなりのダンサーの生きるすべとなっていく。現在豊岡市では小学生、中学生にコミュニケーション教育の一環として演劇が導入されているが、学校の先生方の講習なども平田さんが積極的に行ってきた結果である。おそらくこれと同じことがダンスでも起こりうるし、実際に教科である分導入はしやすいと考えられる。
アーティストにそこで求められるのはある程度の社会的適応性と、自分が行なっていることの言語化、ワークショップファシリテーターとしての力量。作品の方向性によっては全く合わない可能性があるが、(私は合わなさそうだが、教員歴などでカバーしているところがある)それでもダンスが広まっていく一つのきっかけだろうし、できるだけ応援したいと思う。

しかし体育のダンスとなっているときに私に残る疑問は変わらない。
⑴音楽に乗って踊るのは確かに楽しい。でも音楽にダンスは従属していなければいけないのだろうか。そもそも音楽もダンスもそれぞれの人の呼吸や間合いから生まれてくるものなのに。

⑵動きを教えてそれを応用させるという現在の手法ではそれぞれの子供達から出てくる動きではなく、知っている動きをつなぐ事にしかならないのではないか。
⑶そもそも踊りは見せるものだったのだろうか。
わからないといけないのはなぜか。
また、かっこいいとは何を指すのか。
私たちは他者の評価に乗っかってしか踊ることはできないのだろうか。

子供達とのワークショップを行いながらずっと疑問に思っている。子供達はすでにいろんなことができるけれど、私たちはなぜ枠にはめようとするのか。
創作ダンスをグループで行うことは集団性や社会性を養うように見えつつ、大きな声(経験者やうまいとされている子)に任せて大人しく従うその他大勢を育てることになっていくのではないか。
本来は様々な身体、様々な動きがあることを認め合うのが1番で、そのための環境づくりが一番重要で、その次に自分を出していいんだという自己受容が現れる。自分のことを自分で認める。自分で生きていていいんだと思えるようになるそこがダンスにとってそして生きる事にとって大切な力になる。
そこに評価という軸を持ってくることが効果的だとは私は思えない。
二人組で踊るからこそできる動きや発想もあるが、グループでのワークになればなるほど効率を重視し、見えにくくなってしまう。
かつて厚木凡人さんは「まずはソロを。そうしたら群舞も作れるようになる」と言っていたが、(残念ながら私はまだソロができていないので、群舞を作ることはできていない)自分を知らずして踊りを作ることはできない。ましては人を動かすことなんてできない。本当に時間があるなら全ての子が作者となりみんなに振り付けたり様々なルールを作ってやってみてもらう時間を取るといいのかもしれないが、余裕がない中、グループで作品を作り発表するのは本当に必要なのだろうかと私は思う。

現代的なリズムのダンスはある意味リズム体操などにそのまま移行しておかしくない。実際に現在の体育祭や運動会で行われているダンスはダンスというよりは体操になっていることを「ダンスハ体育ナリ?」で解説した。民俗芸能なども型の習得という点では等しい。ある種の身体の規律化につながっており、体育の中でも体操の内容に合致していく。
しかし創作ダンスは創造性つまり心の問題に依存したところがあり、心と体の健康のためにという考え方からは理解できるが、上記の2つのダンスとは異なる側面を持つ。私たちは人の創造性に評価をつけることができるのだろうかと私は問いたい。

コンクールが私はこれまでも苦手だった。自分がそういうところの出身だったけれども(大学時代および横浜ダンコレ)そしてそこで評価されたからこそ、今があるのだけれども、それでも耐え難いと思っていた。しかし先日森達也さんとお話をした時に「自分も評価という点では気にすべきではないと思うが、これを機会に映画(私たちの場合はダンス)について話したり議論したりする場が設けられることが大事だ」という考えを知った。これは前に横山さんとお話しした東京演劇祭のコンペにも通ずる。しかし若い世代特に高校生、大学生くらいの世代ではその視点は理解できないし、それに一喜一憂してドロップアウトしてしまったり、燃え尽き症候群が発生したりしている。そして年々ダンスの競技化は進んでいる。
ブレイクダンスはとうとうオリンピック種目にもなった。

ダンスは互いの表現を認め合い、高め合うものであって競い合うものではなかったはずだ。

ダンスの持つ可能性について、私は論文内で祭りとカーニバルを取り上げて、ある種の自己融解について問いている。没頭し、燃焼しながら周囲の人と溶け合い、その体験がコミュニティを作り上げていく。神楽のように練習期間の酒飲み交流を通じてできるコミュニティもあるが、本質的にはカオスの中の自己消滅。しかしその状態は非常に危うく、集団統率などに利用されたりもする。実際にワーグナーの例やオリンピックの熱狂で愛国心の増長が促されること、カルト教団などでダンス的なものが取り入れられることなども近しい。ダンスは楽しい一方その使い方によっては危険も伴うことを知っておく必要がある。
しかし身体を介したコミュニケーションの可能性は今後ますます重要になると考えられる。人との距離感の取り方、自分をオープンにする方法、そんなことを含めて学んでいく必要があるだろう。

各自の身体に全ての答えはある。
身体はミクロコスモスと三木成夫はいう。
誰かが決めることではなく、自分で自分の身体に聞き、そして知っていくことが大事であり、誰かに教えられてできるようになるものではない。教えてもらってできるようになることはすぐに忘れてしまう。だからひたすら楽しく踊りながら自分の身体の声を聞き続けていこう。そして一人一人の発見を面白いと気がつくことができるよう。それは確かに時間がかかることだけれど、民主主義はそのようにしてできている。
早く進むことではなく、いかに無駄道を通り、ゆっくり歩んでいくか。平田さんは「下り坂をそろそろ下る」と書く。この国の将来はかなりくらい。しかし自分の言葉を自分で持ってちゃんと話せるようになることで転がり落ちる石を少しでもせき止めるくいのようなものになれるかもしれない。
現場はそれどころじゃない!って怒られそうだけれど、根本的にそれぞれの子供達が生きていてよかったんだと思える、そのような教育であってほしい。
自分の意見はそれでいいんだ、でもそこに行き着くために最大限の努力をそれぞれの範囲で行なっていきたい。


2019年12月28日土曜日

着信履歴

昨日の夜は流石に冷や汗をかいた。

SOSを受け取ったのに気がつけなかったこと、普通に眠りこけていたこと。それでも微妙に早く起きて、でも、そこで助けに行くことができなかったこと。助けに行くべきではないということ。

現実的にそばにいなければ助けに行くこともできない。
神様が離れていろといったのかと思うくらい絶妙なタイミングだった。

これまでも様々な予兆や予感があった。そして実際にそういうことが起き続けてきた。だから、どうにもならないことがあるとどこかでわかっていて、どこかで投げなければいけない。
私の人生ではないし、同じ軌道にはないものだから、私は見ててあげることしかできないからだ。

そんなことはこれまで何回も起きてきた。
彼らを守ったり手を差し伸べたりできなかった。
それは私が異常者で愛情(友情)を持てないからだと思って自分を責めた。しかしもっと言えばさらに多くのカタストロフに対し私は何もできていないとも思った。

今私が言えることは、私が見ているものが彼女と近しいものであるとすれば、私の思いや感覚を超えて、大きな流れがあり巡り巡るものだから、どこかで手を離さざるを得ないということもある可能性。さらにいうとそれは彼女にとって不幸ではないということ。

私が同じものを見ながらここにいられているのは、預かった人がまだこの世にいて、一緒に走らねばならなくなっているという事実だと思う。私が正しく道を見出さねば彼らが道を失う。私の能力もかなり怪しいが、できる限りの努力をし、予知予言するのかと思う。

この歳になり思うのは、「死ぬな」ではなく、それぞれの人の思う死の形となりますようにということ。ただ、私は思う。私は彼女とおそらく同じものを見ている人として思う。それでもあきらめるなと。



アートハウス

総社のアートハウスを預かる豪太郎さんは元々建築家。
あるときアートに専念したく、建築家を辞めてしまい、アートハウスで作品作りに没頭することにしたそう。中途半端にはできなくてさ、という。
体を使って描くのが好きなんだと大量に大きな作品(畳1枚程度)を大量に作り続けている。昔の町長の家だったというアートハウスは10以上の部屋があるがそれを埋め尽くしている。
ロールシャッハのような抽象画がほとんどの中、立体の作品もあり、ピラミッドのような(備前焼らしい)造形の横に様々な電子備品が。「街みたいだろ」とおっしゃる。小さな基盤たちがビルや家々のように立ち並ぶ。
基盤いじりはちょっとまちづくりに似ている。大きな視点で街を見る神様のよう。
男の人が機械いじりにハマるのはそういうこともあるのかもとふと思う。

アートハウスは日々手直し中。その時もストーブを作ろうとしてさ、と蔵の部分に入れる途中のところだった。金子さんたちはこれまでもパフォーマンスをしたりもしているのだそう。アートにかける人たちから新しいスペースが生まれてくる。

2019年12月24日火曜日

クリスマスとこどもの話

子供を産み育てるということ。
子供の出生数が68万人であるという報道が出る。予想の2年前倒しで、人口の減少も進む。
自然減が50万人。これはおよそ鳥取県が毎年消滅しているのに等しい。
しかし私の世代からすればそれは当たり前だと思う。
私は俗にいう定職についているが、それはあくまで特殊事例に過ぎない。
その私ですらこれから真っ暗闇に進んでいくこの世の中に子供を残したいとは思えない。

長く私はできるだけ早く死にゆけるようにと思っている。
私は生まれてきてはいけなかったのだと思っている。
出会った人がしにゆき、精神を病んでいく姿を見続け、人の仕事を奪って生きてきたのかと思うと今でも心苦しい。もちろんそれは当時思っていなかったことだったとしても、実際、結果として人が死ぬ。
神(?)が生きろといい、どこにいっても切り開けるというのであれば、私は場所を転々と移動し続けていくしかない。
また、いつ死ぬことになってもいいように、そういう選択ができるように子供は産まない、育てないという選択をすることにした。運動性無月経によって妊娠できないのではなく(その可能性はないわけではないが)私自身が選択をしてきた。
その選択は小学校の頃で、付き合う人がいても、海外で生活をしても変わらなかった。なぜならこの世の中は滅びるべくあるから。その映像(あれをなんと呼ぶのかは今ひとつわからない)を見た身としては普通にいう結婚をすることができなくなった。

ある日、お祭りのような現場で真っ暗闇に触れた。
その人には幸せに生きて欲しいと思う。個人のものかと思っていたが、そうでもないらしい。
でもその暗闇はおそらくどうにもならないこの世の闇。それを預かり、私はどうしたらいいのだろう。死者の書はそんなところから作られた。

自分の保身を考える人たちが政治をしているうちは変わらない。
自分を捨てて生きていけるか、そこからがスタートなのに。

原発の再稼働も理解ができない。それが中2病だというのであれば私は中二で構わない。そんな世の中に子供を残していけるか、いやだろ。
今でも帰れない、苦しんでいる人が多くいるのに。
そしてその電力が都会に送られていく。
オリンピックもその建設ラッシュで人件費が高騰し、生活の立て直しが遅れていく。
地域の子供達が都会に取られ、帰ってこないという。
東京に住む多くの人は地方出身者で占められている。そこに夢があるからとか大学時代の友人がとかいろいろいうけれど、結局お金で結論づけられる。

自分の大切な人には生きて、と思う。でも同じようにできるだけこの世の中は早く滅びるべきだとも思う。
2020年がオリンピックだけではなく革命を起こすべき時だと私は個人的に思っている。
香港も、ウイグル族も、台湾も、そんなに離れた別ごとの話ではない。私たちはそれくらい近いところにいると思っている。

クリスマスです。この世の中はそんなにハッピーではない。でもそれでも回り続けている。
美味しいケーキ、食べてくださいね。

岡山県総社市インプロビゼーションの会

岡山ということでちょっとついでに総社市に行ってきました。
来月わらべ館ワークショップにくる金子泰子さんの主催するインプロビゼーションの会を合わせて開いてくれるということで、ふらりと立ち寄り。冬至の日なだけに勝手に「岡山冬至祭」と名付け遊ぶことにしました。
日曜日の夜だったのにみなさまありがとうございました。

近くの公民館を借りて行っているこの会は大体月に1回、3年半ほど続けているそう。
今回は10人ほどのダンス、舞踏、音楽(トロンボーン✖️2、時々ピアノ、ギター、ダブルベース)、絵、詩の朗読など様々な表現者が訪れ、みんなで遊びました。ジャンルの縛りはなく、また各人思い思いに入れ替わりながら参加していきます。
始まりはわらべ館の時同様にみんなで体を動かしてさすったり、揺すったりするところからスタート。輪くぐり遊びなどをしながら緩めて行って、その後めくるめく即興タイムに突入していきました。

終わった後にも皆さん持ち寄りのおにぎりやお菓子を食べつつお話しし、総社について色々教えていただきました。翌日教えてもらった様々なところに伺い、(堀家、アートハウスにもいきましたよ!)鳥取へと戻りました。総社、小さい街だけれど、いろんなことが起きていて、また面白い人が多くて(金子さんが呼んでいるのかもしれない)楽しかったです。あと、所々可愛い建物とか古民家があって、発掘しがいがありそうです。

夜、金子さんとたけさんとお話ししながらついつい遅くなってしまい(2時ごろ)寝たのですが、普段5時半ごろに起きる(ちょっと前までは3時台に起きてて大変だった)のに10時まで昏睡するという事態が起きました。疲れていたのでしょうか。
そして声が出なくなりました。2日目の今日も全く声が出ません。
ワークショップで開放しすぎちゃったのだろうか。。。

そんなわけで電話使えません。メールかメッセージでお願いします。

ストリートダンスの流行について

毎年開講されている教大協の舞踊研究会のワークショップだが、今年は現代的なリズムのダンスということでストリートダンスを教材として取り入れるための講座となった。参加している学生がダンスが好きな、あるいはダンス部の学生のため、経験者も多く含まれてはいる。
簡単なステップをしてそれに自由に手をつけてみたりアレンジを加えていったのち、2人組で真似をしていく、対話をしていく。
その上で音楽に乗せて構成を覚え、舞台上で発表できるようにまとめていくというもの。
時間も短かったので、構成を作っていくのと流れの確認であっという間に時間が過ぎてしまう。
実際の舞台上ではその小作品が行われた後、DJブースが設置され、先生方とその友人ダンサー(プロ)の4対4のダンスバトルが展開された。学生たちは拍手係。
多くの技が繰り出され、ノリノリで展開していくものの、学生さんは唖然。すごい!というよりも、へぇーっという感じかもしれない。教員の中には確かに上手い人もいて、というよりはプロとしてきている人よりもうまかったりする。でも技だよね。

その光景を見て思ったのは結局「俺、かっこいいだろ?」っていうことなんだなあと。

ここしばらく感じてるのは「見て見て!俺すごいだろ」、「私すごいでしょ」という自己主張の連続で、それは強者の原理だなあということ。オリンピック種目(パリ五輪2024年)になるくらいだからスポーツ色も強いのかもしれないが、できるかできないかの話になってしまう。授業はできないなりに楽しめるように簡単なことだけ教えるね、となる。
根本的にどこかで習っていた子は有利となるだろう。

かといって少し前までの鳥大ダンス部のようにとにかく揃えることに美学を感じているのも困った話で、もともとギャングたちの抗争を収めるためにストリートでダンスバトルを始めたんだからいろんな身体があっていいんじゃないのといい続けて、最近やっと少し遊び心が出てくるようになったのに、教員たちのダンスバトルで学生たちが追いやられてしまうというこの状態。


コンテンポラリーでもやたらヨガとかやってたりコントーション技とか投入してくる作品が流行った時期あったけれど、流石に薄れたと思う。ジェロームベルあたりの時代で一回、踊れる身体に対する疑問が生まれて、いろんな身体が舞台に乗るようになり、で、その次って何となって結局思想に戻っていく。

そんな流れの中「俺、すごいでしょ」は、「俺の国一番」や「金メダルサイコー」につながっていて、私の感覚的には恥ずかしい。みていても恥ずかしい。
そして残念な気持ちが残る。

結局人に認めてもらえる承認欲求を満たすためのものでしかないのだろうかと考えてしまう。役者さんもダンサーもそういう人が増えていてすごく残念に思う。


教育大学協会舞踊研究会

教育大学協会(通称教大協)舞踊研究会が岡山で開催されていってくる。
@岡山シンフォニーホール

国立大学はもともと各都道府県の教育と医学を担う人材育成のために設置され、教育学部と医学部から分化していった歴史がある。舞踊は体育に含まれていたことから保健体育部門に属するが、研究と実践の場として研究発表、ワークショップ、上演と学校間交流を行う目的から研究会が発足し、今年で39回を数える。国立大学とはいえ、ダンスの専門教員がいない学校も増えつつあり、教員の定員の削減が急激に進んでいる。また鳥取大のように教育学部がなくなってしまう学校もあり(なので私は地域学部国際地域文化コース創造性とコミュニティプログラムの教員である)、参加者も減少しているが、ここ数年私立や短大(幼児教育系)の先生方の参加も増えてきている。

鳥大はすでに保健体育教員の養成はなくなっており、私自身も教員養成課程を受け持っていないので、ダンス部さんのみが参加している(逆にいうとダンス部さんが参加したいというので私は必然的についていかないといけない)。とにかく行動力があるダンス部さんなのだ。

様々な学校の演技を見ながら、創作ダンスについて考えさせられる。私自身もこの大学ダンスの中にいたのだけれど、それでも当時から批判的に見ていたところがある。ストーリー仕立てだったり、笑いに持っていったり、でもそれだったらなぜ話さないんだろう。お客さんが「わかる」ように作らなければいけないってなんでだろう?集団の中で明らかに浮いてしまう自分について考え、そして結果として一人で作品を作るようになった大学時代から基本的に変わっていない。そして枠組みを作って体をその中に放り込むという手法に向かっていった。枠組みを作るのに物語や神話や舞台構造を使っていて、そこに理論があり、その先に届くために「身体を放り込む」。普段の生き方で身体の「あり方」を作っていくことにした。だから私の身体を使って実験を常に行い続け、身体が変容していくことを見続けていく。
現在私の授業のうち専門科目で行なっているものについては考え方についての講義と実際にワークショップを作ってみるという試みにしている。ダンスの作り方とはそのまま体に対する見方と考え方で、多様な考え方をいかに舞台上にのせていくかが問われていく中、皆で考えをまとめて一つのテーマを表現しようという時代ではない。そして人によっては最終的に出来上がったものは踊りではない手法となるかもしれないが、それで良しとしている。
そもそも集団で表現をする前に、自分の考えを持ち、発することができるための場が必要だったりしているので、こういう集団性だけで疲れてしまうらしい。様々な身体があって良いということを鳥取の人に知ってもらうために鳥取夏至祭を始めた身でもある。ダンスハ 体育ナリ?というレクチャーパフォーマンスも作った。しかも1の時は女子体育の歴史、2の時は体操の大流行とダンスの体操化について触れ、?までつけた。
創作ダンスのプロセスが合わなかったから自分のやり方を考案してきたし、創作ダンスのアンチテーゼとして存在してきたのにそのシステムを守るために動かなければいけないのだろうか。すべての子どもがダンスに触れる機会を作りたい、その気持ちはよくわかる。現状としてはダンス必修化から10年が経過したけれども運動会・体育祭のダンスを除くと実際の授業でダンスを行なっている比率は50%程度にとどまっているという。さらにいうとその多くは現代的なリズムのダンスと称しているもので、先生やビデオのダンスを覚えて踊るというものが多い。それよりは近いのかもしれない。でも、それは少なくとも私が踊りたいダンスではない。

会場を借りたり、照明をつけたりということで舞台上演はお金がかかる。学生の公演ということでチケット収入もそれほど高くない。協賛を集めても限界はある。さらに各大学から集まってくるための交通費、宿泊費もかなりの金額になる。(これは夏の神戸の大会でも言えることで、鳥取大は参加できなくなった分のお金を使って鳥取で自主公演を開くことにしたくらいの予算がかかる)
そもそもこの大会の継続意義についても考えなければいけないところに来ている。創作ダンスとはなんだったのか。体育でなければいけないのだろうか。創作ではないダンスではダメなのだろうか。創造性とは何か。
現在あるシステムを根本から見直していくこと。そこから新しいものは生まれてくる。

来年は愛知教育大学での開催です。




2019年12月20日金曜日

糸賀修平さんのコンサート

オペラ歌手の糸賀修平さんのコンサートが大学であって行ってくる。@アートプラザ
とりあえず、糸賀さん本当に歌うのが好きで楽しくってしょうがないんだなということがわかる。アンコールで5曲くらい歌う。これでもか、これでもかと歌う。
うちの学校のアートプラザはそれほど広くなく、椅子を増席したけれど70−80が限界。満席だったせいもあるし、学生たちが一生懸命照明を工夫していて、それが嬉しかったのかもしれないが、とにかくサービス精神が溢れ出ている。

先日の森さんの話じゃないが「見て見て!!」ってこういうことなんだなあと改めて思う。他の人にはできないこんなすごいことができます!こんな大きな声が出せます!拍手たくさんください!そういう文化なんだということを思い出す。

オペラの背景になっているイタリアの生活を知らないと歌が歌えないから暮らしてみる。それを皆さん知らないでしょうがクリスマスはお店がみんな閉まってしまって静かなんですとお伝えする。かつて旅芸人にしても吟遊詩人にしてもそうやって異国の生活を知らせて歩いたわけで。でもヨーロッパあたりはすでにもう知られるようになってきて、それがアジアやアフリカに移りつつあるのがコンテンポラリー。

日本で能などを学ぶ外国人が増えているのも同じようなことだなとも。


とりあえず糸賀さんは2月に行うオペラに出演するらしく、そのための講座で鳥取に来たのだそう。つまり今回のコンサートは前振り。でもその割にはチラシができていなかったりして、マネジメント講座なのにマネジメントができていない状況。涙。

森さんインタビュー

ドキュメンタリー作家森達也さんのインタビューをtottoの取材で行い、ちょっと遠出。境港まで行ってきました。そのために東京からトンボ帰り。そのうちweb上に公開されます。
個人的には「A3」を読んで、その後「ダンスハ 体育ナリ?」の延長で「放送禁止歌」をよんでということで映像よりも文章の人という認識だったのですが、一気に映画と過去に作成したテレビドキュメンタリー番組を見させていただきました。
20年で4、5本だから寡作ですと本人はおっしゃるが、それぞれかなり中身が濃いので、仕方がない。映画はもちろん集団での作業で作るものですが、ほぼほぼ個人行動でカメラを回し、編集しており、そのバイタリティはすごいと思う。
現在公開中の「Iー新聞記者ドキュメント」はちょうど先日民事裁判の判決が出た伊藤詩織さんの話も挿入されており、リアルに今動いているこの世の中をものすごい勢いで編集まとめたもの。(11月の東京映画祭で公開されたものからさらに再編集がなされており、ある意味出来立て)ドラマとはまた違う形にまとまっているので、こちらも是非ご覧ください。
(おまけ:ドラマ版とドキュメンタリー版を両方作るという案は初めから想定されていたのだそうで、そういう企画の力ってあるなあと思う)

余談ですがこの森さんの言葉の中にこんなところが。

本質的に人って生きるからには人を傷つけるわけで。生きる上で他の人の命を全く害さないで生きることは無理ですよね。肉食やめてベジタリアンにとかそういうことではなく、この瞬間にも数歩歩いただけで何千万、何億という微生物が死んでいくわけです。

なんと土方(巽)さんと同じことを言いますね。
さらにいうと

表現することは誰かを傷つけることだ。

とも。
それでも見てもらいたいものがあるということ。それをエゴだというけれど、それはそれで潔く感じる。ちょっといい言葉をあずかりました。

鳥について

この週末見た作品が2つ続けてなぜか鳥が出てくるものだったので、追記。
それぞれ全然現れ方は違うのだけれど、なぜか鳥になってしまうのはなぜなのだろう。
片方は、「いや何か照れ隠しみたいなものです。」という。本人曰く和むものを少しずつ入れようとしたときにぴよぴよしたものとか思い立ち、鳥が登場するのだという。

鳥は古来より魂を運ぶものとされていて、私の作品にも多く登場している。「死者の書」も「耳をすます」も結構大事なシーンとして現れる。銀河鉄道に至っては集団渡り鳥のシーンまである。(鳥捕りのシーンもある)鳥取に住む鳥捕りとしてはやはり鳥のことは欠かすことができない。鳥取だと普通にサギが目の前の畑にいたりする。隣(豊岡市)のコウノトリもたまに鳥取まで来るらしい。(逆にカラスはそんなに多くない気がする)

あの世とこの世をつなぐ存在であり、自由に羽ばたくものの象徴として古来より扱われてきた鳥だが、それを演じることでより「自由に羽ばたけない人間の肉体」というものがあらわれでてくるなあと再認識。(本人はきっとそんなことは思ってないと思う)「来い」と言われてもね、いけないんだよね。現実的に。そんなことを思い出す。
(なお私の作品では私自身が鳥を演じたことはない。眺むんです。あ、大学の時に壺の中の鳥はあるかも。先日の小学生向け授業の最後で踊った踊りをみた子は鳥みたい!と花がひらひらしている!の2択になっていたけれど)

イメージは空間を飛び越えることができる。それを想像させることもできる。しかし生身の身体は在り続けなければいけない。それが生きるということらしい。


2019年12月15日日曜日

米子映像フェスティバル

昨日は米子映像フェスティバルへ。
主催者水野さんの2年越しのオファーで森達也さんが鳥取にお越しになり、『iドキュメント新聞記者』の上映やかわなかのぶひろ監督とのトークがあり、満席に。鳥取の映画愛を満喫することになりました。ミニ打ち上げの席でも米子映画人が大集結しており、すごい盛り上がり具合に。

個人的には放送禁止歌の上映を見たかったのと、(文庫本で出版されており、知らず知らずに自主規制する方向に向かっていくメディアという点ではiはその延長線の視点ともいえる)、大きな流れに流されず、1人称単数形の言葉の大切さに着眼しているところに共感を覚える。かわなかさんが個人ドキュメンタリーの作家であり、様々な規制や禁止を受けながら(かつてはゼロ次元などの記録も撮っていたらしい)自分の責任で自分で出せるように個人の作品へとシフトしていった話などもとても興味深かった。
1960年代は芸術もメディアももっと様々な声をあげていた。それは今はない。

今日は2日目で銀河鉄道に参加してくれていた波田野州平さん、佐々木友輔さんの映像も紹介されます。実は木野は参加できないのですが(仕事の都合)ぜひ。
明後日色々あって森さんインタビューを取りに再度伺う予定です。
(この森さんインタビューは無事収録し、そのうちtottoに公開予定です)

パフォーミングアーツ入門

パフォーミングアーツ入門では4コマの中で
鳥取銀河鉄道祭という思想
西洋の舞踊
日本の伝統芸能(能狂言、歌舞伎)と日本の民俗芸能(盆踊りを中心に)
コミュニティダンスを体験してみる
ということを入れようとしました。

鳥取銀河鉄道祭はかなり大規模なもので、おそらく私が手がける中では最大規模であるにも関わらず(予告もし、授業の課題にもあげていたのに)結局見にきていないということが起き、個人的には衝撃を受けた。
見にきた学生は面白かったとかすごかったとかいうが、見ていないひとに説明してもはー?っていう顔になるので、ほとんど授業にならなくて、結局すっ飛ばして後半をあつくすることになり、本当に残念に思う。

舞踊は宗教というかあの世との結びつきが強く、それを感じてもらえるような作品セレクトをしている。
伝統芸能がいかに新しいものを取り入れようとしているかの話をしたり、(ナウシカ歌舞伎やワンピース歌舞伎なんかは典型例で、もともと歌舞伎とはそういうものだったんだよという説明にはとてもわかりやすい)抽象的だった能が、みるからにわかりやすく具体的、かつエンタメ的な歌舞伎に変わっていく様などを話してみる。

でもエンタメの意味は初めの授業でするはずだったから不十分だったと思って反省もしている。最終日には、では、これからのダンスは何ができるんでしょうねということでみんながそれぞれ違ってそれだから面白いよねというダンスの形として実技を展開。
最後に楽しいと思っているわけではないけれど、それでも作り続ける人の例としてグレングールドのゴルドベルグのアリアで即興で1曲踊り、解説をつけて終了する。
即興とは何か
また一生を通じて作り続けるということはどういうことかをお話しする。

私の場合はこの身体がそのまま作品なのだけれど。
55年、82年で2分近く変わるその曲の変化に彼の人生が詰まっているということでもある。
そういう生き方をしている(してしまう)人もこの世の中にいるんだということを知っておいて欲しいというお話をしました。どこまで伝わったか、わかりませんが、ただ楽しいよねでは済まされない領域は確実にあると思う。コミュニティダンスや学校教材のダンスはできるけれど、私がやっていることとは、ずれがある。ずれなりにこなすこともできるし、行ってきているが、私は根本的にダンスを楽しいとは思っていない。みんなの楽しいを損なわないよう気をつけている。
楽しかった時とはいつだろう?と考えて作ったのが鳥取夏至祭で、ブートキャンプなりにハードなことになっていたりするけれど、新しい出会いを生み出すことができると信じて、皆さんのために頑張っているけれど、私自身が楽しいというものでもない。
無邪気に暴れていた幼少期まで戻らねばならないらしく、それでわらべ館ワークショップを行うこととした。

それ以外はずっと否定され続けてそのコンプレックスとの戦いの歴史だと思う。もしくは修行。
静かに自分のすべきことを続ける。ただそれだけのこと。


スポーツサイエンス入門

スポーツサイエンス入門という名前の授業を担当することになった。本当はスポーツ系の先生が担当していたのだけれど、人文系も人文科学という点ではサイエンスだろうということから瀬戸先生(鳥取大学にいる人類学の先生。なんと応援団の研究をしていて、いつかご一緒したい)が入れてくれた。無茶振りだけれど、とりあえず頑張ってみる。

今年初めてで3コマ分ということで
明治期からの女子体育の歴史、(ダン体1)
昭和初期の幻のオリンピックと体操の大流行(ダン体2)
スポーツの進化
とし、まとめる。

グローバル時代の国家と社会と重なりそうでありながら、スポーツと体育についてフォーカスを当てることで、よりわかりやすくなったと思う。
さらに学生たちとの話により、ダンスは特別な人がするもので、苦手、できない、恥ずかしいの三点セットが出てきて、これ、なんとかしたいよねと思うんだよねと話しながら、見られることや他者に評価をされることで恥ずかしさが増してしまうということを指摘した。
そうじゃない、みんなそれぞれに身体があるからそれぞれの表現があり、それぞれの面白さがあるんだという当たり前のことをなぜ教育は否定するのか。それは教師がそうしたいだけではないのか。
ダンスは恥ずかしいか。に書いたように、学校教育がダンスの可能性を狭めてきたことは否定できないと思う。

なぜ技術の習得に向かってしまったのだろう、見栄に向かってしまったのだろう。

最後の授業では芸術スポーツ(新体操やフィギュアスケート)で何を美とすると言えるのだろうか、手足の長さや身長やそういう見た目で美しいか美しくないかを判断していいのだろうかということを時代の変化とともに見ていくことをした。ザギトワが事実上引退したようにより若く、より細くを目指していくことは幸せなのだろうか。成熟した女性の美しさ、あるいは年をとった人の生き様もまた美しい。それが競技だからといって切り捨てて良いのだろうか、それは幸せなのだろうか。
スポーツ選手の引退後のセカンドキャリアは常に問題になる。(バレリーナも40歳定年のパリ・オペラ座がストを行なっている)怪我を含め体を壊していく選手たちをみ、そこでしか評価できないこの世の中が残念だなと私は個人的に感じていてそれを取りあげてみた。
工学部学生も多いことからYCAMの未来の運動会やゆるスポーツ協会の運動を取り上げ、テクノロジーとスポーツの持つ可能性やスポーツはアスリートのためのものではないという考え方、スポーツを作るという視点を取り上げるとそれはアートとなっていく話をした。

最後に、ミュンヘンの1972年オリンピックを取り上げてテロがありながらも競技を継続したIOC、(誤報を発しても続けさせたことも含め)と一方で芸術展示としての上演は全て中止となり、寺山修司はセットを燃やしその件に抗議したという事例を取り上げた。
(他の作家たちはデモ行進を行ったらしい。これら寺山の「死者の書」に記載されている)
そもそもミュンヘンの芸術展示はオリピックを批判的に捉えるようなものが求められたそうで、歴史を踏まえた内容であったという。芸術はテロに屈せざるを得ないのだろうか。
あいちトリエンナーレの電凸でテロを起こす側を取り締まるのではなく、被害者を罰する(助成金を交付しない)ようなこの国を見たら彼はなんというだろう。
表現の自由とは、そして芸術の持つ力とはということを問いかけて終了することとした。



2019年12月11日水曜日

イルミ


うちのダンス部さんたちが大学内でパフォーマンスをしている。イルミというらしい。なぜ?

ダンス部は部活動で体育会系に属していて、体育館で練習する時間も週に3回あるが、夜練と称して屋外で(この寒空なのに!)夜10時から練習していて、大学から目をつけられている。(それをすり抜け頑張っている→私も卒業してから大学の体育館に忍び込んで練習していたから似ていてその気持ちはよくわかるし否定できない自分がいる。)
私が来てから3年くらいでテクニックのレベルは落ちたかもしれないが、遊び心は増している気がする。揃えることではなく、いろんな人がいていいんだよねということは伝わっていると思う。(思いたい)
ショーケースと呼ばれる彼らの作品を見て、今作っている『創作』ダンスよりははるかに面白いし、彼らの考える『創作』とはなんなのだろうと考える。勝手に創作イメージを作っていて、それらは神戸や教育大学協会の研修会で見たものを指しているのではないかと感じて、悲しくなる。
そんなものぶっ壊して自分たちの作りたいものを作ればいいんだよといくら話してもなかなかわからないらしい。伝統や構造の力を感じて凹む。

ひょんなことからアイドル育成番組を見る。国民投票で選び抜かれたアイドルを作ろうというテレビ番組。商業的にも応援者を作らなければいけないし、投票により選ばれたアイドルが誕生するという形はAKBと同じパターンで分からなくもない。学生さんたちがそういうものに憧れるのかと思うと少し残念に思う。
メディアに必要とされる人に合わせて自分を変えていくという生き方もあるが、新しい価値観を作り出す人はおそらくメディアからはみ出した人である。
この楽しいを続けていきたいよね、この楽しいには何かがある、そう思って道を切り開く方がおそらく、人生は豊かになるだろうと私は思う。
私のダンスは確実に祈りという点で必要だということはわかった。しかしそれをあとつぐ人はいない。でも踊るのは楽しいよね、踊りたいよねという人は私の後から出ていくだろう。
全ての人が幸せにいきていけることを望んでいる。この無邪気な学生さんたちが幸せに踊り続けていけることを私は祈っている。


週末女子会

この週末立て続けに友人たちが鳥取にやってくる。
棚川さんは20年以上前からの大先輩で、すごい久しぶりにお話しできたのでそれだけでももう盛りだくさん(前日はあまりにも話が飛び回り気がつけば12時半過ぎまで話していたらしい)だったのだけれど、翌日も城崎、京丹後チームが車を乗り合わせてやってきて、「山陰アートミーティング(仮)女子会」が勝手に開催されることになる。

そもそも山陰アートミーティングは城崎アートセンターの吉田さんが声かけ係になって開催されていたゆるい、超ゆるいつながりの場で、鳥取や京丹後も含めた皆さんで集まって色々おしゃべりをするという会。吉田さんが忙しくなり、あまり開催されていなかったものの、なぜか鳥取で開催。しかも女子だけ。
銀河鉄道も見にきたかったんだけれど、それだと話せないなあということに気がついてと宮北さん。確かに。夏至祭の時も、死者の書の時もカオスすぎて、話す暇はない。無目的にとにかくみんなであって話す、それだけのことがあってもいいよねという。
皆山陰なのでカニを食べるわけでもなく、鳥取の美味しいご飯を味わい、一押し展覧会塩谷定好展を見に行き、しかし博物館展示の凄まじい雑多感の方がインパクトとして残り(オオサンショウウオがやはり気になってしょうがない)、美味しいケーキと紅茶を味わい(今回はダウラをご紹介)、どう考えても女子っぽくない4人が勝手に考える”女子会”のイメージが再現されたと笑う。

これは前回の大脇夫妻(と凡ちゃん)との対話でもあったのだけれど、このゆるさの中でダンスやパフォーマンスについて熱く語るのはなんだか元気になっていく。実はそんなに近くない(京丹後は2時間越え)のに。
みんな忙しいはずなのに、わざわざ鳥取まで来てくれてありがとう。

週明け立て続けにあった銀鉄実行委員会とメイン事業部会の報告ももらった元気で乗り切れました。ありがとうー

わらべ館 即興音楽とダンスのワークショップ 20191207

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わらべ館 即興音楽とダンスのワークショップ
わらべ館 即興音楽とダンスのワークショップ
レポート
日時:2019.12.07. 13:30-15:00(通常は14時半までですが30分延長しました)
場所:わらべ館いべんとほーる
ファシリテーター:棚川寛子
サポートスタッフ:荻野ちよ、田中悦子、森本みち子(ドラムサークルがらがらどん)、高橋智美(わらべ館)、蔵多優美(鳥取大学)、きのさいこ
参加者:10名(うちファシリテーター講座受講者1名)

12:30 ファシリテーター、サポートスタッフ集合、今日の内容について話す。棚川さんより、音楽のワークショップでもまずは体を動かすことから始めるとのこと。その後は選択肢を多く作りつつ、子供達の様子を見て、からだ方向に行くか、音楽方向に行くか判断したいという意向を聞く。
事前に新聞紙で音楽を構成する案などが挙がっていたことと、ドラムサークルの森本さんの協力により、楽器が充実し、選択肢は増加する。
今回は多くの楽器の中から、初めの段階で出しておくのはカホン1つとRemoのドラム3つのみとし、小さな楽器はカーテンの裏に隠してしかしすぐに出せるように用意しておくこととする。
(このとき用意した楽器はチベタンベル、ネパールのシンギングボール、ホース、チャクチャス、フレームドラム、各自が使えるようなエッグシェーカー、パネル、各種ばちなど)(注1)

13:00ファシリテーター講座受講生も合わせて、場づくりを行う。早く来た参加者の中で棚川さんがよくやるという導入のための「ハンカチ落とし」を行う。
棚川さんは小学校などにワークショップで行く際によくウォーミングアップとアイスブレイクを兼ねて「ハンカチ落とし」を行うという。ハンカチ落としの通常のルールに追加して、カホンを叩く棚川さんがいて、カホンが止んだら自動的にハンカチを落とさねばならないというルールが加わる。
これによりゲーム性が失わされそうではあるが、参加者より「すごい優しいハンカチ落としかも!」という声が出る。この子に当たっていないなというのを見ながら棚川さんが調整しているという意味だけではなく、音により走る人が気付きやすくなり捕まりにくくなるという点で、ある意味「優しい」。


13:30 ワークショップスタート
注意事項の確認の後、ワークショップをスタートする。
まず、棚川さんのカホンの音に合わせて動き、音が止まったら止まるというワークからスタート。その際に出されたお題をしてみることになる。片足でストップ、三人組で〇〇など。
「片足でストップ」の時に「お昼ご飯何食べた?」と参加している子供達にきく棚川さん。
「うどん」「食パン」「ラーメン」という言葉に合わせて動きを作り皆で動き始める。
「うどんからのー、食パンからのー、ラーメンーー」というフレーズとともに皆で動きを繰り返す。

3人ずつグループにわかれた時には「遊園地」、5人ずつグループにわかれた時に「夜の鳥取砂丘」というお題が出され、遊園地や砂丘を体で表現し見せ合う。グループが子供、大人が混ざった状態で分かれ、それぞれに感じた夜の鳥取砂丘を表現し発表し合う。棚川さんもこの発表者の中に混ざっている。(注2)

一回お水を飲み、再度集まってきたところで、棚川さんが子供達に「何がしたい?」と話しかけると「動きたい!」「もっと!」との声。そこで動き続けるが大人たちは少々疲労気味の様子。
「実は選択肢がある」と楽器があることを示唆すると、楽器に興味が移ったのか、「身体を動かす」のと「楽器を演奏してみる」の2手に分かれてみることに。
子供達も大人も音楽に行ったり、踊ったりを交互に入れ替わりながらとにかく動き続ける。
サポートアーティストの森本さんがベースのドラムリズムを維持し、それに乗るように音がどんどん増幅していく。途中で随時小物楽器を出していき、少しずつ音の幅も広がりが出る。動き(踊り)ながら演奏もする。
途中、「うどん、食パン、ラーメン」が戻ってきたりしつつ、ひとしきり踊り、演奏し続けてきて盛り上がった感じで終了する。

ここで時計を見ると1時間が経過していた。
そこで一回区切った上で、もしお時間ありましたら少し延長しても良いでしょうか、と参加者の皆さんにお話しし、ワークを追加して行う。
1430
新聞紙ワーク
棚川さんより楽器がここまで揃わないことを考えて、身近にある素材から音を作ってみるという提案があったので、その部分をやってみることに。
新聞紙は昨年もやぶくみこさん、田中悦子さん、金子泰子さんほか様々な方が使用しており、使いやすい素材の一つ。
今回はくしゅくしゅと丸めたり、ちぎったり、吹いてみたり、いろんな音が出るね、というところに着眼し、はじめは展開していた。子供達が布団に見立てて寝っ転がったり、かけてあげたりという見立て遊びも始まる。(注3)その後サポートアーティスト田中さんが紙鉄砲を作り、皆で教わる。作っているうちに、もっと大きな音を出すにはどうするか相談が始まり、カラー印刷かどうか、1回目が一番大きな音が出る、丁寧におっておかないといい音が出ないなどの意見をもとに皆が作成、一列になって紙鉄砲選手権大会がスタートする。(注4)
最後にみんなで順番に鳴らしてみて30分ほどの延長ワークショップが終了した。

15:00
終了後ファシリテーター講座受講者とともに振り返りを行う。
講師の元々のやりたかったこと、今回できたこと、できなかったことを聞きながら、受講生、サポートアーティストらも意見を交わす。

注1目に見えるところに楽器があると、子供達がそこに反応してしまうので、基本的に見えないところに用意をしておくこととした。関係者全員で置き場所などを確認し、すぐに出せるようにしておくことが大切。


注2: 棚川さん(ファシリテーター)も積極的に動き、一緒に参加するという姿勢がありました。演奏に徹さず動き回る棚川さん。一方で今回森本さんが演奏部分に関してはフォローをしており、このように生演奏で展開する場合、サポートをする人がやはり不可欠という意見がでる。

注3:棚川さんより、今回参加しているお子さんの年齢が3、4歳くらいであったため、音楽のアンサンブルに引っ張っていくのは難しいと判断したとのこと。 小学校くらいの年齢になるとそこから工夫し始め、音楽(曲)へと広げていくこともできるとのこと。

注4:子供達は折る作業が難しく、大人たちが折ってあげる。各親子間だけではないコミュニケーションが生まれており、子供達が集団に馴染んでいる様子がうかがえる。棚川さんによると、他の場所でも工作を取り入れると自然とコミュニケーションが生まれ、苦手な子も入りやすいという。棚川さんはお面を作るなどをしたことがあるという。木野の開催する教員免許更新講習でもお面作りや絵を描いたり、ティッシュペーパーでお花を作るなどの手を動かす時間を取ることがある。(その後それらを用いて踊る行為へとつなぐ)おそらく音楽、美術、ダンスといった垣根をなくした「表現の時間」が必要だと個人的には感じている。

棚川さんは「芸術家と子どもたち」(東京)などの仕事として学校の授業の一環として子どもたちと舞台作品を作ることも多い。その際には演劇というジャンルを用いている。演劇は総合芸術であり、音楽やダンスだけではなく、衣装を作ったり、美術を作ったり、台本を書いたり様々な関わりしろがあるという。
自分が作るというよりも、子どもたちが進みたい方向に一緒に乗っかっていくと話す棚川さん。それができるのはこれまでの様々な経験により、何がきても大丈夫という安定感ではないかと感じられた。そのためにも準備は怠らず。ジャンルを横断できる柔軟性を持ち、自由に表現をしていい場所を作っていくことがこのワークショップシリーズの課題になっていくのかもしれないと感じられた。