2019年12月24日火曜日

ストリートダンスの流行について

毎年開講されている教大協の舞踊研究会のワークショップだが、今年は現代的なリズムのダンスということでストリートダンスを教材として取り入れるための講座となった。参加している学生がダンスが好きな、あるいはダンス部の学生のため、経験者も多く含まれてはいる。
簡単なステップをしてそれに自由に手をつけてみたりアレンジを加えていったのち、2人組で真似をしていく、対話をしていく。
その上で音楽に乗せて構成を覚え、舞台上で発表できるようにまとめていくというもの。
時間も短かったので、構成を作っていくのと流れの確認であっという間に時間が過ぎてしまう。
実際の舞台上ではその小作品が行われた後、DJブースが設置され、先生方とその友人ダンサー(プロ)の4対4のダンスバトルが展開された。学生たちは拍手係。
多くの技が繰り出され、ノリノリで展開していくものの、学生さんは唖然。すごい!というよりも、へぇーっという感じかもしれない。教員の中には確かに上手い人もいて、というよりはプロとしてきている人よりもうまかったりする。でも技だよね。

その光景を見て思ったのは結局「俺、かっこいいだろ?」っていうことなんだなあと。

ここしばらく感じてるのは「見て見て!俺すごいだろ」、「私すごいでしょ」という自己主張の連続で、それは強者の原理だなあということ。オリンピック種目(パリ五輪2024年)になるくらいだからスポーツ色も強いのかもしれないが、できるかできないかの話になってしまう。授業はできないなりに楽しめるように簡単なことだけ教えるね、となる。
根本的にどこかで習っていた子は有利となるだろう。

かといって少し前までの鳥大ダンス部のようにとにかく揃えることに美学を感じているのも困った話で、もともとギャングたちの抗争を収めるためにストリートでダンスバトルを始めたんだからいろんな身体があっていいんじゃないのといい続けて、最近やっと少し遊び心が出てくるようになったのに、教員たちのダンスバトルで学生たちが追いやられてしまうというこの状態。


コンテンポラリーでもやたらヨガとかやってたりコントーション技とか投入してくる作品が流行った時期あったけれど、流石に薄れたと思う。ジェロームベルあたりの時代で一回、踊れる身体に対する疑問が生まれて、いろんな身体が舞台に乗るようになり、で、その次って何となって結局思想に戻っていく。

そんな流れの中「俺、すごいでしょ」は、「俺の国一番」や「金メダルサイコー」につながっていて、私の感覚的には恥ずかしい。みていても恥ずかしい。
そして残念な気持ちが残る。

結局人に認めてもらえる承認欲求を満たすためのものでしかないのだろうかと考えてしまう。役者さんもダンサーもそういう人が増えていてすごく残念に思う。


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