2019年12月28日土曜日

着信履歴

昨日の夜は流石に冷や汗をかいた。

SOSを受け取ったのに気がつけなかったこと、普通に眠りこけていたこと。それでも微妙に早く起きて、でも、そこで助けに行くことができなかったこと。助けに行くべきではないということ。

現実的にそばにいなければ助けに行くこともできない。
神様が離れていろといったのかと思うくらい絶妙なタイミングだった。

これまでも様々な予兆や予感があった。そして実際にそういうことが起き続けてきた。だから、どうにもならないことがあるとどこかでわかっていて、どこかで投げなければいけない。
私の人生ではないし、同じ軌道にはないものだから、私は見ててあげることしかできないからだ。

そんなことはこれまで何回も起きてきた。
彼らを守ったり手を差し伸べたりできなかった。
それは私が異常者で愛情(友情)を持てないからだと思って自分を責めた。しかしもっと言えばさらに多くのカタストロフに対し私は何もできていないとも思った。

今私が言えることは、私が見ているものが彼女と近しいものであるとすれば、私の思いや感覚を超えて、大きな流れがあり巡り巡るものだから、どこかで手を離さざるを得ないということもある可能性。さらにいうとそれは彼女にとって不幸ではないということ。

私が同じものを見ながらここにいられているのは、預かった人がまだこの世にいて、一緒に走らねばならなくなっているという事実だと思う。私が正しく道を見出さねば彼らが道を失う。私の能力もかなり怪しいが、できる限りの努力をし、予知予言するのかと思う。

この歳になり思うのは、「死ぬな」ではなく、それぞれの人の思う死の形となりますようにということ。ただ、私は思う。私は彼女とおそらく同じものを見ている人として思う。それでもあきらめるなと。



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