2019年12月15日日曜日

パフォーミングアーツ入門

パフォーミングアーツ入門では4コマの中で
鳥取銀河鉄道祭という思想
西洋の舞踊
日本の伝統芸能(能狂言、歌舞伎)と日本の民俗芸能(盆踊りを中心に)
コミュニティダンスを体験してみる
ということを入れようとしました。

鳥取銀河鉄道祭はかなり大規模なもので、おそらく私が手がける中では最大規模であるにも関わらず(予告もし、授業の課題にもあげていたのに)結局見にきていないということが起き、個人的には衝撃を受けた。
見にきた学生は面白かったとかすごかったとかいうが、見ていないひとに説明してもはー?っていう顔になるので、ほとんど授業にならなくて、結局すっ飛ばして後半をあつくすることになり、本当に残念に思う。

舞踊は宗教というかあの世との結びつきが強く、それを感じてもらえるような作品セレクトをしている。
伝統芸能がいかに新しいものを取り入れようとしているかの話をしたり、(ナウシカ歌舞伎やワンピース歌舞伎なんかは典型例で、もともと歌舞伎とはそういうものだったんだよという説明にはとてもわかりやすい)抽象的だった能が、みるからにわかりやすく具体的、かつエンタメ的な歌舞伎に変わっていく様などを話してみる。

でもエンタメの意味は初めの授業でするはずだったから不十分だったと思って反省もしている。最終日には、では、これからのダンスは何ができるんでしょうねということでみんながそれぞれ違ってそれだから面白いよねというダンスの形として実技を展開。
最後に楽しいと思っているわけではないけれど、それでも作り続ける人の例としてグレングールドのゴルドベルグのアリアで即興で1曲踊り、解説をつけて終了する。
即興とは何か
また一生を通じて作り続けるということはどういうことかをお話しする。

私の場合はこの身体がそのまま作品なのだけれど。
55年、82年で2分近く変わるその曲の変化に彼の人生が詰まっているということでもある。
そういう生き方をしている(してしまう)人もこの世の中にいるんだということを知っておいて欲しいというお話をしました。どこまで伝わったか、わかりませんが、ただ楽しいよねでは済まされない領域は確実にあると思う。コミュニティダンスや学校教材のダンスはできるけれど、私がやっていることとは、ずれがある。ずれなりにこなすこともできるし、行ってきているが、私は根本的にダンスを楽しいとは思っていない。みんなの楽しいを損なわないよう気をつけている。
楽しかった時とはいつだろう?と考えて作ったのが鳥取夏至祭で、ブートキャンプなりにハードなことになっていたりするけれど、新しい出会いを生み出すことができると信じて、皆さんのために頑張っているけれど、私自身が楽しいというものでもない。
無邪気に暴れていた幼少期まで戻らねばならないらしく、それでわらべ館ワークショップを行うこととした。

それ以外はずっと否定され続けてそのコンプレックスとの戦いの歴史だと思う。もしくは修行。
静かに自分のすべきことを続ける。ただそれだけのこと。


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