2019年12月20日金曜日

鳥について

この週末見た作品が2つ続けてなぜか鳥が出てくるものだったので、追記。
それぞれ全然現れ方は違うのだけれど、なぜか鳥になってしまうのはなぜなのだろう。
片方は、「いや何か照れ隠しみたいなものです。」という。本人曰く和むものを少しずつ入れようとしたときにぴよぴよしたものとか思い立ち、鳥が登場するのだという。

鳥は古来より魂を運ぶものとされていて、私の作品にも多く登場している。「死者の書」も「耳をすます」も結構大事なシーンとして現れる。銀河鉄道に至っては集団渡り鳥のシーンまである。(鳥捕りのシーンもある)鳥取に住む鳥捕りとしてはやはり鳥のことは欠かすことができない。鳥取だと普通にサギが目の前の畑にいたりする。隣(豊岡市)のコウノトリもたまに鳥取まで来るらしい。(逆にカラスはそんなに多くない気がする)

あの世とこの世をつなぐ存在であり、自由に羽ばたくものの象徴として古来より扱われてきた鳥だが、それを演じることでより「自由に羽ばたけない人間の肉体」というものがあらわれでてくるなあと再認識。(本人はきっとそんなことは思ってないと思う)「来い」と言われてもね、いけないんだよね。現実的に。そんなことを思い出す。
(なお私の作品では私自身が鳥を演じたことはない。眺むんです。あ、大学の時に壺の中の鳥はあるかも。先日の小学生向け授業の最後で踊った踊りをみた子は鳥みたい!と花がひらひらしている!の2択になっていたけれど)

イメージは空間を飛び越えることができる。それを想像させることもできる。しかし生身の身体は在り続けなければいけない。それが生きるということらしい。


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