2019年12月24日火曜日

クリスマスとこどもの話

子供を産み育てるということ。
子供の出生数が68万人であるという報道が出る。予想の2年前倒しで、人口の減少も進む。
自然減が50万人。これはおよそ鳥取県が毎年消滅しているのに等しい。
しかし私の世代からすればそれは当たり前だと思う。
私は俗にいう定職についているが、それはあくまで特殊事例に過ぎない。
その私ですらこれから真っ暗闇に進んでいくこの世の中に子供を残したいとは思えない。

長く私はできるだけ早く死にゆけるようにと思っている。
私は生まれてきてはいけなかったのだと思っている。
出会った人がしにゆき、精神を病んでいく姿を見続け、人の仕事を奪って生きてきたのかと思うと今でも心苦しい。もちろんそれは当時思っていなかったことだったとしても、実際、結果として人が死ぬ。
神(?)が生きろといい、どこにいっても切り開けるというのであれば、私は場所を転々と移動し続けていくしかない。
また、いつ死ぬことになってもいいように、そういう選択ができるように子供は産まない、育てないという選択をすることにした。運動性無月経によって妊娠できないのではなく(その可能性はないわけではないが)私自身が選択をしてきた。
その選択は小学校の頃で、付き合う人がいても、海外で生活をしても変わらなかった。なぜならこの世の中は滅びるべくあるから。その映像(あれをなんと呼ぶのかは今ひとつわからない)を見た身としては普通にいう結婚をすることができなくなった。

ある日、お祭りのような現場で真っ暗闇に触れた。
その人には幸せに生きて欲しいと思う。個人のものかと思っていたが、そうでもないらしい。
でもその暗闇はおそらくどうにもならないこの世の闇。それを預かり、私はどうしたらいいのだろう。死者の書はそんなところから作られた。

自分の保身を考える人たちが政治をしているうちは変わらない。
自分を捨てて生きていけるか、そこからがスタートなのに。

原発の再稼働も理解ができない。それが中2病だというのであれば私は中二で構わない。そんな世の中に子供を残していけるか、いやだろ。
今でも帰れない、苦しんでいる人が多くいるのに。
そしてその電力が都会に送られていく。
オリンピックもその建設ラッシュで人件費が高騰し、生活の立て直しが遅れていく。
地域の子供達が都会に取られ、帰ってこないという。
東京に住む多くの人は地方出身者で占められている。そこに夢があるからとか大学時代の友人がとかいろいろいうけれど、結局お金で結論づけられる。

自分の大切な人には生きて、と思う。でも同じようにできるだけこの世の中は早く滅びるべきだとも思う。
2020年がオリンピックだけではなく革命を起こすべき時だと私は個人的に思っている。
香港も、ウイグル族も、台湾も、そんなに離れた別ごとの話ではない。私たちはそれくらい近いところにいると思っている。

クリスマスです。この世の中はそんなにハッピーではない。でもそれでも回り続けている。
美味しいケーキ、食べてくださいね。

0 件のコメント:

コメントを投稿