鳥取銀河鉄道祭とはなんだったのか。
それを説明のするのは難しい。そこで現在様々な人にお願いしながらドキュメントを作成しています。鳥取夏至祭を行なって、その先として作る舞台作品版でありながら、舞台にとどまらない実験的な試みを多く行なってきました。その全貌はわかりにくいですが、おそらく現状の舞台芸術全般に大きな疑問を投げかける作品だったと思います。
10年近く前の私の小さな思いつきがこのように大きな力になりました。
どんな小さな一言もいつか実になる。鳥取の皆さんから学んだこと、鳥取で考えたことそれらの集大成でもあります。
鳥取銀河鉄道祭についてはHPをご覧ください。
https://scrapbox.io/gingatetsudou-tottori/
またこのブログ内にも鳥取銀河鉄道祭のできるまでが残されています。
またこのブログ内にも鳥取銀河鉄道祭のできるまでが残されています。
以下はドキュメント制作のために書いた文章。実際にはまだまだ変わる可能性はありますが。
とりアートとは鳥取県総合芸術文化祭の愛称です。2011年に『とりアート構想』が作成され、前文には「県民一人ひとりがこの事業に主体的に関与し、生活の中に文化芸術を活かすことで、文化芸術を通じた地域の活性化と県民生活の質の向上に寄与するために実施する」とあります。
2016年度のとりアートの専門家評価員として参加し、この事業自体の今後の可能性として以下のようなことを考えました。
① 税金を投入(約2000万円)して制作する公演であるが、参加者、関係者は多くない。出来るだけ多くの県民がアートに触れる機会とするにはどうするか。
② 大きな舞台で1公演を打っておしまいではなく、複数回の公演を行い、作品と出演者のレベルアップを図っていくことができないか。
③ 県内の地区事業のネットワークと連動していけないか。
④ 西部、中部、東部を横断することで、県内文化人の横の交流を作り出していくことができないか。
⑤ 障がいの有無、国籍、性別、年齢の垣根を超えた交流を目指したい。鳥取の今を示す作品をつくる必要がある。
芸術の意味は拡張し、公共事業としての意味合いも含めソーシャリーエンゲイジドアートや社会包摂が求められるようになって、より多くの人が関わるようにしていくためには、衣食住といった生活全てが芸術(アート)につながっていくとなると考えました。その際に必要となるのは「特別な人が特殊訓練を積んでいくハイアート」ではなく「あらゆる人が芸術家であり、生きることとアートは密接に結びついている」という考え方であり、とりアートの理念はある種時代の先端を行く考え方になりうるのかもしれないと思いました。さらにいうとこれまでのとりアートの価値転換を測る必要があるのではないかと感じたのです。
日本におけるコミュニティダンスの進化の形として祭の存在を取り上げた自身の論文(木野、2016、2017)を踏まえて、鳥取の人による鳥取の人のための新しいお祭りを開くのが良いのではないかとし、その実践例として『鳥取夏至祭』をスタートさせていた私は、その延長としてこの作品をイメージしました。
なお、その論文の中では鶴見俊輔の『限界芸術論』および内発的発展論について触れており、宮沢賢治の『農民芸術概論綱要』をもとに理論を立てました。
<図>
ほぼ同時期に、ウェブマガジン『totto』(2017年-)の立ち上げに関わったこともあり、『鳥取藝住』はなくなってしまったがその緩やかなネットワークを継続できないかと努力する元事務局の2人と話をしながら、鳥取の西部中部東部でリサーチやワークショップを行いながら作品を制作していくことを思いつきました。リサーチやワークショップを通じてまず私自身が学び、そこで得た鳥取の人々の暮らしや生き方を作品内に織り込んでいくことが必要です。また最終的な公演は劇場空間だけではなく、まさしくお祭りのようなものになるのではないかという構想を立てました。
舞台芸術は総合芸術です。そのもともとに立ち返り、様々な県内の活動と出会い紹介しながら、私たちの暮らしをよりよくしていくといくことを目指すべくこの企画を立ち上げました。模式図にすると以下になります。
<図:これまでの流れ、当日パンフレット参照>
元々は倉吉でも公演を行う予定でしたが予算の関係で断念しています。これは2019年3月ごろに作成した模式図です。
作品としては宮沢賢治の名作『銀河鉄道の夜』を基とし、総合芸術として多くの人に関わってもらえるよう音楽劇としました。また個人的に劇場空間以外の空きスペースや公共空間の活用に興味があったこともあり、応募時より移動型という提案もさせていただきました。その大枠は応募当時より変わっていません。
2017年(2019年事業)よりこの事業が公募となりましたが、当時私はまだまだ来鳥して1年目の若輩者でした。しかしわずか1年でも鳥取県は人口最小県ではありますが、芸術文化活動は熱心な個人の努力によって継続されているように感じられました。その人々を繋いでいくような役割をこの銀河鉄道が果たすことができたら。鳥取県は「星取県」と言いますが、実は県民がそれぞれ星であってそれらをつなぐ架け橋のような作品になるようにといのってこの作品作りは始まりました。
2017年度は公募と選考で終わってしまい、(契約ができたのは3月でした。)2018年4月より事務局として働いてもらうことになった野口明生さんと走り始めました。佐分利育代先生をはじめとする実行委員会ができ、サポートアーティストとして心強い門限ズと藤浩志さんが登場し、支えてもらいながら模索してきました。県民が自発的に活動するような場とはどういうことだろうか。より多くの人が参加できる環境とはどういうことか。
2年弱の間に数多くのワークショップ、イベント、リサーチが展開され、その全てを見ることができたのは私と野口さんしかいません。全てをお伝えすることはできませんが、この2019年の今、鳥取でなければ、そしてこの鳥取の人たちでなければ作ることができなかった奇跡のような舞台の断片を道標として、三角標のように残すべく、このドキュメントを作成しました。
鳥取銀河鉄道祭の目指したところ
⑴ 県民による県民のための県民による舞台
構成を門限ズにお願いしていますが、作中にできる限りワークショップで話したり出てきたものを取り入れてもらいました。門限ズ達にも鳥取を知っていただくよう努めつつ、皆の言葉を待ち、リードではなく一緒に歩いてもらうことにしました。
⑵ 既存の劇場文化に対する疑問の投げかけ
舞台は客席でおとなしく見るものだと思い込んでしまいます。今回移動型を取り入れることやフォーラムの試みで、観客もまた出演者でありうるという設定になっています。今回の出演者は「同じ学校の子」だったり、「隣のおじさん」だったりします。私自身も舞台の人間としてその魔術を知っています。しかし舞台上の人もまた人間です。どんな人の言葉も本心から出る言葉であればそれは人の心を打つのです。
⑶ 芸術文化概念の拡張
芸術文化は特別な人がするものという概念を覆すべく、祭としました。かつて日本の祭りはある種のカオスの中観客も演者も関係なく危険を冒して盛り上がるようなものでありました。その熱量を生み出すには「我がこと」として受け止める人が増える必要があります。特に衣食住に関するものを取り込むべくケンタウル⭐️自由市場は始まりました。しかし鳥取市の木の祭と重なっていることもあり、苦労した点は否めません。
⑷ 出演者と観客、プロとアマの境目の消失
⑵で述べたように出演者と観客の境目は薄くなります。しかしそれゆえのリアリティを生み出します。出演者たちは鳥取県民のプロであり、それぞれの年代の、それぞれの感覚と考えを作品に取り入れてくれました。
門限ズの力は大きく、ワークショップの進行も作品作りの上でも大きく助けてくれました。それと同時に出演者としてあまり出ないようにお願いしました。様々なアクシデントはありましたが、そんな中で大きく支える人であり続けていただきました。出演者としてのプロではなく、作り手としてのプロとしていてくださいました。
⑸ それぞれの人の「ほんたうの幸い」を探すための引っ掛かり
この公演は終わってしまいますが、何年かのちにあの時あれがあったからと話すような公演であってほしいと思いました。そしてそのためにも記録を残していく努力をしています。現代は1つの幸せのかたちではなくなっています。そしていろんな情報が飛び交い見えなくなりがちです。ここから先は出演者が、観客がそれぞれの力で掘っていかねばと思います。
⑹ 今、この鳥取で、この人たちにしかできないものを作ること
パフォーミングアーツはライブです。この場にいなければこの感動を共有することはできません。この人たちがこの土地が鳥取の財産です。ここでしかできないものを作り県外から思わず見にきてしまうレベルのものを作りましょう。
さて、これらのどこまで実現したのでしょうか。実現できなかったのでしょうか。おそらく、それらはこれからの課題として残されます。とりアート自体が変化しつつあるいま、鳥取県民がもう一度芸術文化について考えていく時なのだとも思うのです。鳥取という銀河をめぐる私たちの旅はこれからも続いていくことでしょう。この小さな県で起こった奇跡が様々な土地に伝わり、また宮沢賢治の思想をもとに新たな作品が作られていくことを祈ります。
プログラムの言葉
今年のとりアートメイン事業は『鳥取銀河鉄道祭』。宮沢賢治の代表作『銀河鉄道の夜』を元に、2年越しのリサーチとワークショップを重ねてきました。リサーチの成果を示す映像等の展示、それを元に作り上げた鳥取県民による鳥取ならではの移動型音楽劇、ゲキジョウ実験!!!「銀河鉄道の夜→」、主人公ジョバンニが訪れたであろうお祭りをイメージしたフリーマーケット「ケンタウル⭐️自由市場」を開催します。
宮沢賢治はすべての農民が芸術活動を行うことを理想としていました。『銀河鉄道の夜』では死の間際まで改稿を重ね、最終稿でジョバンニが親友カンパネルラの死という悲しみを乗り越えて母の待つ家(日常の暮らし)へと帰っていくように変更します。2年間かけて東中西部を駆け巡って来たリサーチやワークショップを通じて、私たちは鳥取の日常の暮らしの美しさを再発見してきました。生きることと芸術はそのまま繋がっていて、それぞれの暮らしは星のように輝いています。日常の暮らしの美しさを星に見立て、星座のようにつなぐことがこのお祭りの目指すところです。
誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ(中略)
おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ
われらのすべての田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようでないか
まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう
(『農民芸術概論綱要』宮沢賢治1926年)
ジョバンニの探す「ほんたうのさいわい」の答えはありません。おそらくそれぞれの人がそれぞれの「ほんたうのさいわい」を一生を通じて探し続けていくのでしょう。しかし今日この鳥取で星たちに出会って起きたことは出演者・観客・スタッフ、皆の記憶に残り、道標として三角標のようにいつまでも輝き続けると信じています。
米子のプラネタリウム劇場、倉吉のワークショップと併せ、私たちの鳥取という銀河をめぐる旅で出会い、関わってくださった全ての方に感謝を込めて贈ります。
鳥取銀河鉄道祭実行委員 一同
0 件のコメント:
コメントを投稿