2019年5月25日土曜日

さよならミニスカート

突然ゼミ生が降ってきて(本来は文化人類学に進もうとしていた)、美について考えたいと言い始める。(本来は春までに所属が決まっている)
話を聞いてみると胸が大きい、小さいに女子は多かれ少なかれコンプレックスを抱いてる。自分もそのうちの一人だ。でも世界を見てみたらいろんな美意識がある、時代を超えたらいろんな美意識がある。その変遷を知りたい、そんなことを言う。

最近になってジェンダーやLGBTなどの言葉も増えて、認識されるようになって、テレビドラマや漫画にも現れるようになって見えてきたこの事象。
ダンス教員的には無茶振りのようだけれど、色々お話し始める。
その流れで「さよならミニスカート」と言う少女漫画を買い読んでみて、色々考えさせられる。

私自身は特にLGBTではないが、周囲に多くいた(海外ダンス業界は特に)ので違和感もない。ここで描かれていたのはその前段階の女性・男性を作り出してきた社会性だった。かわいい女性イメージや強い男性イメージはどこからきたのだろうか。家庭環境や、メディアに影響を受けていないだろうか、それは本当はもっと違う形であるべきだったのではないか。ダンスは体育なりで学ラン着てたりなんでダンスは女子のもの?と話してる身としてはまあ近いうちにちゃんと調べなければいけない分野ではある。

高校の頃、顧問陣の中にファンクラブがあったり、著作が大量に送られてきたり、バレンタインに大量のチョコをもらったり、宝塚を勧められたり色々してきた高校時代を考えてみても、その時演じた演目が「お気に召すまま」だったことを考えてみても、この問題は一度ちゃんと扱うべきな予感はしている。
「お気に召すまま」はシェークスピア時代だと全て男性が女性役をやっていると言う状況である中で、さらにもう一度女性役なのに男性を演じると言うすごいひっくり返りを繰り返す作品。でも最後はハッピーエンドで終わり、シェークスピア喜劇の一つとして取り上げられている。たまたまか今年上演が増えているけれど。実はそんなに簡単な話ではないはずだ。

重要なのは男か女かではないよねと言うところかと。


社会制度に従わなきゃ行けないのは死を目前にした時。
身内は認められるけれどパートナーは認められない。その大切な瞬間を共に過ごすためにどれだけの戦いがあったことか。
でもね、同性でも異性でも同じです。
いくら大切な人であっても、婚姻関係や肉親でなければ入り得ない領域がある。そもそも緊急事態ですら教えてもらえない可能性がある。それはそれでしんどいし、でも祈り続けてしまうんだろうなあ。


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