2019年5月4日土曜日

笑いについて

天皇制や憲法、政治問題などなんとなく話題にしにくい昨今。真っ暗闇のようなものを表現するのにそのままストレートに言ってもわかってもらえないので、笑いを織り込んでいく必要があるという話を前にした。正しくは笑いに持っていくしかない。

戦前、それこそ1930ー40年ごろエロ小唄が流行り、実はエンタメ業界もすごく盛り上がっていた。自粛ではなく、むしろ息抜き、ガス抜きとして使用されていた感じがある。今お笑いブームが来て、わかりやすい娯楽がもてはやされる様をみると、なんとなくその頃を思い出してしまう。みんなこの現実を見たくない。なかったことにしておきたい。ある種の逃げでもあるし、そうしないと観客がいないと成り立たない舞台は難しい。
(一応ダン体のコスプレは単なるプロデューサーの好みではなく、ちゃんと意図したものではあります)
私は笑いの要素があまりよくわからないところがあって、それを意図的に作るということができないのだけれど、今の作品の流れはそう動いている。もちろん純粋娯楽作もたくさんあって、ファンタジーワールドなミュージカルを見て、クラシックバレエとおんなじ構造だよなと思ったりもする。(あの王子様お姫様みたいな作品構造を分析し社会構造にみせていくのが芸術入門の授業)
一応コンテンポラリーと呼ばれる作家なので、それらを踏まえて表現を作る。ファンタジーワールドやりたかったら18の時に宝塚に行ってたと思うし、今私がすべきはそういうことではない気がする。(実際ものすごく受験を勧められた。道あやまらなくてよかったとも思う)

小さくても笑いの中にチクリチクリとさす針を仕込んでみるか。


おまけ
木村敏「あいだ」を読む。
おそらくここの部分が今私におきている問題。


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