2019年5月20日月曜日

舞踏について一般学生さんに話す

舞踏を一般学生に講義する芸術入門の授業はかなり大変で、毎年すごい準備する。でもその中で何人に届くのだろうかと迷う。学生の反応もかなり悪い。でもやる。
私自身が『ダンスハ體育ナリ』で大野一雄を扱ったこともあり、よしとさんに来てもらったこと(2017年2月)も踏まえて思い入れの深いこの単元。今年はよしとさんフューチャーしてみました。緑のテーブルにはじまり、土方さん、大野一雄さんを経て、それを真似ながら最終的にウサギにたどり着くまでの旅。私は、ある種の継承のようなものを感じ、またある種の当事者性を感じ、今、彼が残すことに興味があります。
6月8日シアターΧには伺えないのですが、今話を聞くべき人でしょう。
一方で川口隆夫さんのように完コピしてしまって大ヒットというのも含め、では舞踏はどこへいくのだろうか。そんなこともお話ししました。
ダンスはその場所にいないと体感できません。消えてしまう。
演劇は戯曲があるけれど、それすらない。そういうものを共有するというのはどういうことか。
批評家、あるいは文学者による言語化は不可欠だったと思います。舞踏の盛り上がりは渋沢、三島他様々なジャンルへの波及効果ゆえのことで、そういう流れが今はない。なぜ。ダンスの持っている力はもっとあるはず。

知ってもらうことの重要性を感じます。

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