2018年9月2日日曜日

山下残さんとのトーク@HOSPITALE

鳥取に滞在中の山下残さんとのトーク
9月2日2時よりHOSPITALE

1ヶ月半近く滞在する山下さんとお話しするということで、どうしましょうかといったら、普通にダンスの話をしていないので(彼はマレーシアの選挙についてリサーチした結果をもとに作品製作中)ダンスの話をしましょうということで、それぞれの活動についてお話しする。
前から残さんの作品を私は見ているけれど、彼はほとんど見ていないはずで、なので、こういうことをしてきましたみたいなことと自分のこれまでのキャリアをかいつまんで話すことからスタート。
もともと音楽をやっていてしかし作曲のセンスに疑問を感じ、さらにダンスに行くも、ダムタイプなどのメディア系を見て衝撃を受け、自分なりの表現を模索した結果言葉と身体に行き着いた残さん。ここしばらくの興味やこれまでの作品などを見ても好みどころがちかく、あげる作家が痒い所に手が届く感じで、「わかるわかるー」と。

木野の現在行っているもののうち、レクチャーパフォーマンスが言葉を使うものだけれど、どこまで説明するのか、そして説明で終わってしまわないかなど、いろんな意味で微妙なさじ加減で、そんなあたりについてもいろいろ話す。

即興性ってどこまでとか。

即興を繰り返していくとある種の必然に行き着くという話なども。

個人的にツボだったのは演劇でもパフォーマンスでもなく、それでもダンスという言葉にこだわっている残さんの感じ。でも、作品とかダンスって言わないようにしていて、振付作品というだけにしていたりとか。ダンスって?問題のモヤモヤ具合がめちゃくちゃ出ていて、いろいろまた考えてしまいました。

現在木野の作品は現実の世界、社会に対して直接的に働きかけていくものと、舞踊の根源的なこの世とあの世の境目を行ったり来たりするものと2つの大きな流れがあります。後者は能や民俗芸能の感覚に近くて、ちょっと夢っぽい。

明日からは死者の書モードです。幽玄の世界へスイッチオンです。




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