2019年11月30日土曜日

とりあーと地区事業

学校がお休み(予備日という台風などに備えて4クォーターごとにある日)で気が抜けたのか、熱を出しました。山口組(大脇夫妻と凡ちゃん)が来た時にも熱でそうとドキドキしていたが、そこは耐えたもののその後にきた。身体がバキバキになって動けない、起き上がれないだけではなく、熱が出る。薬を飲んで大丈夫だろうと思いきや、ここで来たか。
仕方がないので東部地区事業の手伝いに行かなきゃと思っていたけれど、当日だけ伺うことにしました。
とりあーとはメイン事業と地区事業に分かれていて、地区事業が今日明日で開催しています。本来、この2つが連動したほうがいいはずで、しかしそこがうまく行っていないとは思っていました。今年より鳥大ダンス部が参加することになり、見に行き、様々な展示や屋台を見ました。銀河鉄道の時には行けなかったから、そういう意味でもよかったです。井上さん、お疲れ様です。
個人的には表でコーヒーを出していたAffectionate coffeeさんとお話でき良かった。
元々は医療系で働いていた時代もあるものの、世界中を旅し、コーヒーを作っている土地の多くが貧しい現状があり、そこにちゃんと正当な賃金を払い仕事ができるようにならないかと考え、コーヒー文化を広めるべく活動しているとのこと。中学校と連動してコーヒーを通じて世界を学ぶ授業を展開しているとのこと。面白いですね。
ちょうど札幌のコーヒー屋さん友人がそんな話をしていたなと思い、ちょっと嬉しくなりました。今日飲んだエチオピアコーヒー、美味しかったです。飲み物も食べ物も、そこにある文化、人ととの繋がり、ドラマも含めて受け取っていくものだとも思います。

とりあーと東部地区事業は明日まで。実は西部でも行われていて、西部の米子市児童文化センターにも、白枝さん他西部の皆さんにもお会いしたいのですが、明日は大学の入試業務で拘束されているのです。残念。

2019年11月27日水曜日

砂連尾理さんが登場

にんげん研究会に砂連尾理さんが登場。ワークショップを学生向けに行ってくれる。
前半は体をほぐすためのいくつかを行い、(ヨガ、気功、合気道というわけでなんだか懐かしい)後半は2人組で自己紹介をしたのち、①相手のことを相手になって説明する、さらに話したのち、持った印象を元に②言語を用いず身体等を用いて表現をする、というもの。
もともとメディア研究会に来ていただいていたこともあり、身体をメディアとして用いるという話をしていたせいもあるが、先日の奥村さんの話していたことと同じようなことに。
このような試みは川口隆夫さんの「大野一雄について」でも言えることだし、先日授業で取り上げたウースターグループ「初期シェーカー教聖歌」でも言えるのだけれど自己を離れてみることで客観視できるようにしていくということだと思う。

私は個人的には超当事者研究型で作品を作っているので、そこはあまり興味がないということに気がついた。精神障がいを持つ人とのワークに興味があると話しているけれど、私はその中の混沌に身を投じていく方に興味があり、それを見える化していくことには一切興味がない。今はむしろ常になにものかと対話しながら作品作っているし、ノイズがたくさん入ってくるからそれを少しずつ減らしていく作業をしていく感じ。

ただ、言語ではなく体を通すことによって飛躍する可能性は感じていて、だからこそ当事者の思いや念は根底にあるべきと私は思っている。


ワークショップがあるということもあって山口から大脇さん、イフクさん(と凡ちゃん)が来てくれた。夏至祭の時にはあまり話せないしね、ということでコンタクトワークや、ハルプリン、地域ダンスあるあるなどダンスに関して色々話せ、とても良かった。
アスリートダンサーじゃないタイプのちゃんとコンテンポラリーな考え方を持っている人が近く(とはいえ汽車で6時間)にいるのはちょっと心強い。でも逆にいうとバレエに近いアスリート型コンテンポラリーな人たちが多くって、なんでこんなに今の時代を見れていないのかSNSなどを見つつ不安になる。
そして長い目で見てどのようなダンスがどのように広がっていってほしいか、またどのように生きていきたいかという目がないまま作品作品ってなっているところも気になる。
地域で活動しているとこの土地から何を発せれるかということを考えるけれど、何か東京の方とか全然違うお金と動きになっているなあと思う。

子供はカニ類はアレルギーの危険もあるので食べれないけれど、鳥取今だとカニの季節です。いつでも遊びに来てください。


2019年11月25日月曜日

筒井さんの美術講座にお邪魔する

銀河鉄道が終わり、様々なところにご挨拶回りをしつつ、授業(これまでのツケがいろいろ)をこなす日々。文化庁事業が実は平日に入れられているので、それを少しずついくので結構いっぱいいっぱい。
先週は筒井先生の講座で、星野太さんと奥村雄樹さんというアーティストさんがきてくれました。
星野さんは前に東大でなぜか私が講演をしたのがきっかけで、時々お会いする超秀才。研究テーマが崇高論とのこと。当時も「表象の王子様」と呼ばれていましたが(筒井先生曰く)、それそのまま受けるそのキャラクターがすごいと思います。(そのときの講演は身体系で山田せつこさん、山崎広太さんとの3点セット。元同僚がコーディネーターだったのです)
その講座の中で、自分がよくわからないものになりたいと「雲になる」というタイトルをつける星野さん。そして出会った人の身代わりとして人に会いにいき、新たな人脈を作っていく奥村さんを見ながら、そういえば私は消えたかったんだというそんなことを思い出しました。
2014年に行ったその講演でもそんな話をしたはずです。超越、そして消える、でも肉体は消えない、どうしたらいいんだろう。ふと、消えたかったの思い出しました!と言った矢先、星野さんが、「分かります」といわれ、そうか、あの時からそんなことを言っていたんだということを思い出しました。
「Edge」は生贄、「箱女」は消滅の美学、そこから後も「IchI」自分ともう一人の自分、「からたち」「からたちから」キリスト教の伝播と贖罪、「mobius」永劫回帰、「死者の書再読」とずっとそんな話をしています。いや、約束しちゃったからもう少し生き延びなきゃいけなくて、そのために作った銀河鉄道。でもその後どこへいくんだろう。
この世の中には生まれてきてよかった人もいるが生まれてきたこと自体が良くなかった人もいる。私は様々なものを破壊しなければいけない星回りで、最小限にするべく気をつけていきている。でもそれでも被害は出るし、それが次の創造につながると思えるようにするべくいきている。
破壊したくて破壊するわけではないし、その分の重みは負い続ける。銀河鉄道でも出演者の方から終了後にお前がすべて背負うのだなと念をおされる。神を冒涜するのだそうで、あれだけ神々しい作品だと私は思うけれども。死ぬ覚悟をして、望んでいる身にこの人は何をいうのだろうと思うけれど、にこやかに返す。伊達にこれまで人死なせながら作品作ってきたわけではない。
そういう時とタイミングであり、それを引き取ってあげるのが仕事かもしれない。

いろんな作家がいるとは思うのですが、私はそんなにたくさん作品を作れる人ではないし、個人活動なので、できることを少しずつ。でももうすでに作るべきものは全て作ったのではないかというきもしている。
(すでにダン体については依頼もあるけれど、レクチャーパフォーマンスだからね)

体はどんどん弱っていく。
でもその弱っていく身体を酷使するだけではなく、そこに新しい可能性を見出すことができたらいいのだと思う。

ただ、私は自分のような生き方を人には勧めないし、普通に生きる人になることを学生さんには望んでいる。私は普通ではないのか、というと疑問で、ずっとおかしくないですと言い張ってきたけれども最近根本的に普通の人とずれているということに気が付いた。私はいきていたいと思っていないし、できるだけ早く死ねるように努めている。もう何年も。
車を持つのをやめたのもおそらく隙を見て突っ込むに違いないと思ったからだし、今もそれは変わらない。約束はしていていても、その危うさの中で暮らしている。こういう考え方が当たり前だと思っていたら、これはすごく特殊だということを最近知った。


2019年11月23日土曜日

恵みの雨

天気は全てのエネルギーの流れによって決まるので、私がいるから晴れるとかいうものではありません。このプロジェクト自体は全てに喜ばれるものではない。しかしそれでも人として打ち出さねばならないものであればするべきで、そしてそれにより世界は少しずつ変わっていくものです。雨は恵みの雨でもあります。
この病んだ地上の闇を洗い流すことができるのであれば束の間の晴れよりもずっと良いに違いありません。
正直にいうと私自身はできれば避けたかった。
そして直視できない自分がいます。

人は何のために表現をするのか、そのために他を排除できるのか、何のために生きるのかを問うそういう問題だからです。私たちが生きる権利とそこで暮らす人びとが生きる権利と本来は等しい。それを経済的圧力で動かしていいのだろうか。動かすにしても、どのような対話がなされていくか。私は自分が河原乞食であると思っているから人ごとには思えません。
大学時代、卒業後の数年を過ごしてきただけに綺麗になってよかったねではすまされないと私は感じてしまいます。


ここしばらくパソコンも携帯も死にかけています。冗談ではなく、銀河鉄道祭直後から突然電源が落ちるとか消えるとかメールなくなるとか起きていて、危険。ちなみに銀河鉄道祭の時にも死者の書同様照明の卓が機能しなくなり至急手配しました。これまでの無理が祟っているのかなんなのか。前に野村さん(携帯を持っていない)を羨んではいましたが(そして私の今使用している携帯が壊れたら携帯なし生活にしようかなとは話していましたが)、意図していないこととはいえすでにかなり周りに迷惑をかけている状態です。ごめんなさい。

2019年11月22日金曜日

授業やってるんですかという質問に対して

ここしばらく銀河鉄道まで減らしていた授業のツケが回ってきていて、とにかく毎日パワポを作る日が続いている。入門などのクラスだとオムニバスが多くて、ダンス全般の概要を説明するみたいなことになる。
パフォーミングアーツ入門ではダンスの歴史を3回、実際に踊ってみる授業が1回、
スポーツサイエンス入門ではダンスハ体育ナリ?に出てくる明治期からの舞踊教育の歴史とオリンピック、芸術スポーツと呼ばれるものに関してで3回。
前期にやっていた芸術入門、ダンスと多文化コミュニティもなんやかんやと入門なので、結局にたような話を何回もする。
さらにはスポーツ健康とか。
でもそれ最低条件で、そこまできてやっと今私がやっていることの話になって、創作ダンスの領域ではない話に入れるのだから仕方ない。逆にいうと、ダンサーを育てるわけじゃないけれど、自分の専門に入るまでに話すことが多く、私はほぼ自分の専門の話ができていない。

3年生たち(現在の夏至祭、銀河鉄道祭で育てた子たち)がやっと少し理解する。2016年に作った「mobius」と南方曼荼羅の話や、教育の弊害について、また昨日は「初期シェイカー聖歌(ウースターグループ)」の話やシュタイナーの話をしながら、神とか霊とか呼ばれる私ではないものの関与についてお話をする。先週は中動態の話をした。
この見えていないものの存在をなんと呼ぶか、人は様々に工夫してきた。それを現出化させるのが舞踊であるとするならば、踊り手の個性や主張は必要なくなっていく。

ある一定のレベルまでであれば訓練していない体の方が面白いことがある。ノイズにあふれているというか、想像を超えた動きが出てきたりもする。しかしこの領域を見ようとした時に訓練ではなく、それらを消す作業をしなければ微細なものが見えてこなくなる。
面白いとか面白くないの問題ではなく。
人は空気が変わると話す。

従来の教育で求められている像でもないし、少なくとも見て面白いかどうかではないので、エンターテイメント化も難しいだろうとした時に、圧倒的に美しい何かに昇華するくらいしか考えられない。でもそもそも人に見せることを前提条件にすべきかどうかも分かりかねる。
舞踊は明らかに宗教に近く、それらを呼び寄せ、感じ取るようなものであった。
ただわかること、共有することを目指すのであれば言葉で話せばいい(私は半分演劇人として演劇の持つ力も信じている)が、それをあえて避けたのは主体的にものを感じ取るための工夫であろう。受け取る側がアクティブでなければ感じ取れない。そのような微細な現れを作り出す。
それが「死者の書」や「mobius」で行ってきた試みでもある。



2019年11月20日水曜日

インスタントラーメン

昨日岡山に行っていて、帰りが遅くなったのと、非常食として備蓄していたインスタントラーメンの消費期限が近づいてきていたので、食べたら具合が悪くなってしまう。

袋に入っているタイプのものはまだ大丈夫なのだけれど、この2年くらいカップに入ったタイプのインスタントラーメンを食べると必ず体調を崩す。吐いてしまう。冗談見たいだけれど、本当に。

非常食としておいているので半年に1回くらいは食べるのだけれど、私の体が受け付けていないんだなと毎回再認識する。

食べ物は大事にしなければいけないと再認識。
普段はちゃんとご飯を作り、お弁当を作りしているのだけれど、(大学には学食もあるし)こんなところに年齢を感じる最近。

ちゃんと食べた方がいいですよ。


ボランティア

鳥取銀河鉄道祭では今回全出演者に本番当日の交通費およびお弁当などの代わりを少しずつだが現金でお渡しすることにした。遠方から来ている人に関しては少し上乗せしているが実際には宿泊費用などもかかっていてそこは負担いただいている。
また受付や駐車場などのスタッフで入っていただいたかたにもお支払いが派生している。
野口さんのように常駐で働いているスタッフはもちろん、舞台、照明などスタッフワーク、学生見習いにも支払いが派生している。
(ちなみに私は公務員でもあるので、もらっていない。実行委員会メンバーは基本的に無給状態になっている)

このような市民劇の場合これまでは参加費を求めることはあれども、支払われるということはなかったと思うので、ある意味とても珍しい。
私は基本的に芸術活動はせざるを得ないものだし、学生たちにもそう簡単に収入が得られるという風には思ってもらいたくないので、この風潮はどうかと思う。
しかし、実質かかっている経費として捉えなければ行けないだろうというのが今回長く話し合いながら出した結論でもある。

例えばオリンピックなどでもボランティアは求められるが、研修などに参加しなければいけないなどの実際の時間拘束がある他、交通費、宿泊費などは各自で負担しなければならない。(大学のスポーツ、体育関連学部の定員が増加しているのもこの人員集めという噂があるくらいで、学徒動員みたいなどと言われてしまう。)
どこからどこまでを有償とするのだろうか。
英語や医療などの特殊技能を持つ人もボランティアなのだろうか。

鳥取銀河鉄道祭では駐車場の整備の人をつけるように劇場に言われ、シルバー人材センターさんに委託した。その人たちには当然それなりのお金が支払われる。でも色々動いてくれている出演者や美術部スタッフ達にはそこまでの金額は払えない。自由市場の出店者達も払えない(彼らは彼らで販売できていれば収入を得られているが展示だけの人などもいる)。どこからがボランティアでどこからが仕事になるのだろう。

私は一応プロとして踊っている時もある。
実際に海外にいる間は週給で払われていたし、そういうものだと思っていた。日本に帰ってきても依頼を受けたり委託されて作品を作ることもある。
しかしなんとなくお金をもらえるから作る、踊るという人にはなりたくないと思ってきたし、自分でギリギリ採算がとれるように回してきた。これからも多分そうだと思う。
収入を得るための手段になることで失うこともあるのではないか。

そのような考え方がマイナーであることはわかるけれども、今回は色々考えさせられた。
そしておそらく本質的には理解できていないのだと思う。なので、今回は収入をもらわないこととした。(大学への届出の関係もあるが)

2019年11月18日月曜日

鳥の演劇祭2019

鳥の演劇祭

後半2週間分のみ見る。
今年はbeseto演劇祭ということでよりボリュームアップ、時期も少しずれ込んで銀河鉄道と重なってしまい、半分は見れなかったのは残念(毎年の時期も夏休み中で見れないことが多い)。

年々拡大していて、週末だけのまちの店など鹿野の街中全体あちこちで開催しており、舞台の演目だけで5演目見続けるのは正直ちょっと大変。でもそうやって裾野を拡大してきたのだとも思う。12年目とのこと。毎年この規模を繰り返していくのかあと銀河鉄道祭を経験した身としては思う。鳥取銀河鉄道祭また来年もとか私はやらないなあと思うので、正直すごいなあと。

今年の作品少なくとも後半はバラエティに富んでいて、良かったと思う。いろんな表現の提示はできていたと思うし、比較的小さな規模での公演作品を選んでいるので、ここでしか見られないものも多い。
帰りの汽車でご一緒した女性は夜行バスで来てそのまま5演目見たとのこと。すごいパワフル。そういう演劇好きの人が皆を支えていくのですね。

いろんな人に会えたのも良かった。
冬は創作の時期です。(と、昨日あった目黒大路さんに言われる)
早く身体治そう。


2019年11月17日日曜日

わらべ館 即興音楽とダンスのワークショップ 20191116

わらべ館 即興音楽とダンスのワークショップ
2019.11.16
子どももおとなも一緒におととからだを使ってあそんでみましょう
レポート
日時2019.11.1613:30-14:30
場所:わらべ館いべんとほーる
ファシリテーター:古川友紀
サポートスタッフ:高橋智美(わらべ館)、蔵多由美(鳥取大学)、きのさいこ

12:30 ファシリテーター集合、今日の内容について話す。古川さんより、前半は体をほぐすための運動と、ペアワーク、後半で照明を用いて影で遊ぶという2部構成の説明を受ける。照明については実際に影がどのように出るかをこの時点で確認、ドラムや置き位置を確認する。

13:00ファシリテーター講座受講生も合わせて相談し、場づくりを行う。受付や、荷物を置けるよう机を並べる。楽器のセレクトを古川さんにお願いし、隠し場所を用意する。子どもたちは動き回りたいらしく、前回同様既に走り回っている。
今回照明を使用する関係からはじめより水銀燈を使わず少し薄暗い感じでの照明で行うことにする。

13:30 ワークショップスタート
ファシリテーターの自己紹介、注意事項の確認の後、ワークショップをスタートする。
今回の参加した親子連れは友人同士のようで親しそう。また大人の参加者も鳥取銀河鉄道祭関連ですでに知り合っていることから積極的に参加してくださる。
目の周りをほぐすところから簡単なストレッチを行い2人組のペアワークに入る。

体格差はあるもののはじめは親子など近くにいる人と組んでもらう。引っ張り合いっこ、背中合わせ、背中乗せのほか、背中合わせのまま横移動をし、他の組みと出会ったらメンバーチェンジを繰り返していく(これにより、いろんな人の背中に出会い、初対面の人でもすんなりと入ることができた)
身長の高い男性と小さい子供など工夫が必要なこともあり、参加者たちが様々な体制を取り始める。

その様子を話題として古川さんより「大人の身体と子供の身体ってあるよね。」とその違いを知るためのワークの提案がなされる。(注1)
1つ目は立っている大人を子供達がみんなで支えて寝かせてあげる、起こしてあげるというもの。
2つ目は大人たちが寝っ転がり列を作り、その上を子供たちが滑るように転がっていく「まぼろしの橋」のワーク。(みんなで空を飛んでみよう、橋を渡ろう)
はじめは子供たちもおっかなびっくりだったものの、だんだん積極的に参加するようになり、あっという間に30分が過ぎる。

14:00
一度水を飲んでもらうなどの小休止を挟み、再集合し、みんなで大きな円を作る。音楽は古川さん持参の曲でテルミンのような不思議な曲調なので、皆を待ちながらふわふわ漂う。
その後円のままゆっくり横に寝っ転がり、「おやすみなさい」部屋の明かりを消す。
子どもたちは休憩後だったせいか、動き始めてしまう。
「夜はどんな風に寝てるかなあ」など声かけは行うものの、暗い環境が楽しいのか静まらない。(注2)
照明のドラムとライトを用意し、「太陽は沈んでしまったけれど、お月様が出てきました」と点灯するとホール内に影が映し出され、子どもたちも驚いた様子。
わらべ館は円形のため影が大きく歪み、それもまた面白く、子どもたちがどんどん動き始めていく。
その後子供たちを一度集め、大人たちが動く時間を設定、お互いに影の動きを作る側と見る側の両方を体験しました。

その後2グループに分かれてポーズを作って集団で不思議な影の生き物を作るゲームを行い、発展させたあと、だんだん夜から朝になっていく言葉掛けで戻ってきました。
「おはようー」
暗いところから明るいところに出ると目が慣れるまでに時間がかかるから気をつけてね。という言葉掛けの後、今日のワークは終了となりました。(注3)、

14:30
終了後ファシリテーター講座受講者とともに振り返りを行う。
講師の元々のやりたかったこと、今回できたこと、できなかったことを聞きながら、受講生、サポートアーティストらも意見を交わす。

注1:大人の身体と子供の身体の違いとあえて分けることで、見えることもあると古川さんの言葉。今回行わなかったが大人たちがトンネルなどの構造物を作るというアイデアもあった。また、これらの比較的入りやすい活動(そして人数が必要な活動)を行うことで、前回課題として上がっていた離れて見ている親たちも巻き込みたいと考えていた。(今回の参加者は大人も子供も皆全編参加していました)


注2:非常灯が点灯していることもあり、真っ暗な空間にはならず、子供たちのテンションは上がっていった。この小休止の入れるかどうかについては古川さんとも始める前に難しいと話していた。休憩があることで集中力が切れてしまうという例もある。

注3:参加者より声が聞こえにくいというフィードバックはあったものの、全般的に細かなところへの配慮が様々に行われていました。このような気配りはぜひ見習いたいものと思います。

注4:終了後、もし後2030分あったら、もう少し動きたかったですねという古川さんの声。不思議な空間を漂う経験をするワークとしては良かったものの、子供たちとしてはまだ動きたい様子を見ての提案。今回は音楽要素をほとんど使わないで進行したが、もし時間があればここから昼間の活動(そして夕暮れまで)へと入ったとのこと。

振り返りののち古川さんより自身が行っているワークショップ活動の事例を紹介していただきました。
1つは京都でおこなっているDance and Peopleの活動。
障害を持っているアーティストがナビゲートするワークショップなどを紹介していただきました。月に1度20年近く続いている運動だとのこと。わらべ館のワークショップは性質上毎回異なる人が来る形になっていますが、同じメンバーで集まっていくことでできるコミュニティもあります。そのメンバーに会うために遠くからでも通うということが起きていきます。

もう一つは自身がおこなっているお散歩ワークショップ。
完全に即興でお散歩をするものの、終わった後に今辿ってきた道を皆で追いながら書き込んで地図を完成させていくタイプのものと、神戸の街の歴史を実際に歩きながら辿っていくというもの。後者は事前にルートを定め、途中に様々なワーク(阪神淡路大震災に関するテキストの朗読や石碑を読み上げるなど)を組み込んで構成しているもので、過去には鳥大の教員も関わっていたとのこと。
自分の見方を持った上で、伝えたいことを一般の人におろすのではなくひらく感じと話す古川さん。
古川さんはダンサーですが、ダンスに限らず身体を用いて暮らしや生きることを感じたり考えたりするためのワークショップであると思うのでした。
ワークショップは工房あるいは実験の場でもあります。
ファシリテーター養成講座の受講生の皆さんにもダンスに限らず様々な視点で自分なりのワークショップを組み立てていってもらえると嬉しく思います。

2019年11月14日木曜日

福祉の「アート化」セミナー レジュメ

福祉の「アート化」セミナー@鳥取市文化センターさんでお話ししてきたときのレジュメ用題目。大学と社会との連携についてということだったのですが、とりあえずついこの前終ったばかりの銀河鉄道祭の話をしました。

なんと、エイブルアートを播磨さん(たんぽぽの家理事長)がはじめたときに出していたのが農民芸術概論綱要だったそうで、賢治話につい盛り上がってしまいました。今見つめ直すべきときなのだなあと改めて感じます。
エイブルアートの近畿での活動を18年分まとめたブックレット「Bridgingアートと社会の橋渡し」がちょうど完成したとのことでいただきました。(出来上がったばかりとのことでした)今後の活動も楽しみです。

ここにきていたリベルテさんが長野の方で長野のゲストハウス犀の角(静岡時代の制作さんが経営している)の話で盛り上がりました。活発に活動なさっている様子。世界は狭い。




社学連携:アートを通じて暮らしをみつめなおすこと
鳥取大学には芸術文化センターがあり、芸術文化活動を通じた社会貢献活動を続けてきました。近年は市民、県民参加によるリサーチプロジェクトも増えつつあり、主体的に動く地域住民とともに学問として構築する活動へと変化してきています。よりよく生きるとは。地域の持つ可能性とは。201911月に開催した鳥取銀河鉄道祭の実践を通して、人と人をつなぐアートの役割についてお話しします。

木野彩子(きのさいこ)
大学にて舞踊教育学を専攻、元中学高校の保健体育教師、フランス・イギリスにてプロのダンサーとして活動したのち、帰国。2016年より鳥取大学地域学部附属芸術文化センター所属。鳥取夏至祭、鳥取銀河鉄道祭2019主謀者。即興音楽やダンスが街の中で自由に展開するようになったらいいなと野望を持ち、日々自転車で鳥取中を疾走中。https://saikokino.jimdo.com

1.        鳥取大学地域学部附属芸術文化センターってなに?
2.        インクルーシブに着目してきた鳥取の先見性
前任の佐分利育代先生の行ってきたインクルーシブダンスグループ星のいり口の活動を元に。
3.        鳥取銀河鉄道祭とは
201911月2、3日に開催したとりアートメイン事業「鳥取銀河鉄道祭」の簡単な概略と行ってきたこと。
4.        宮沢賢治の思想について
宮沢賢治の理想として書かれた「農民芸術概論綱要」をもとに今の時代で捉え直す。
5.        多様性を認めることができる社会を作るために
現在行なっている「鳥取夏至祭」、わらべ館での「即興音楽とダンスのワークショップ」といった活動を通じて自由な表現活動を行うことができる環境づくりを目指しています。
他者を認めるためにもまず自分を知ること、自分を認めることからはじめます。

2019年11月11日月曜日

ダンスを今行う意味

演劇はそもそもの始まりから政治とのつながりが深くありました。
ギリシャ悲劇・喜劇を見ても、当時の人々にある種問いかけ、そこから様々な意見を誘い出すための仕組みであった。
それに対し舞踊は元々が宗教的な祈りや鎮魂に基づいている。言葉がないせいもあり、より普遍的な領域に向かっていると思う。

現実的にこれまで演劇は社会を動かしてきた。が現代においては様々なメディアに追われ、社会的な影響力は落ちている。しかしそれでもある種の理念を発していくことは大切であると私は思っている。

小さな声を私たちは届けなければいけない。

私は舞踊の人間として、今この世の中には祈りが必要だと考えている。
神様というものを信用はしていない。様々な神がいる。
身を賭して捧げること
社会を変えていくための運動かそんな違いがあると最近感じている。


今日のフォーラムでダンスはそもそも皆で一緒に踊るものだったのではないですか?という問いかけがあった。
実際に様々な祭りにおいてそのような姿は見受けられる。
そのような儀式も多くある。
しかし、私は自然の発露であると捉えています。自由に、伸びやかに。
あの機械的に同じダンスを踊る同調性がなぜここまでもてはやされるようになってしまったのか、実はかなり重要な視点であると思います。
踊りとは何か。
演劇とは何か。
生きるとは何か。

難しい側面はあるけれど、私が今ダンスを作る意味はただただこれ以上の死者を出さないためと、私の大切な人たちを守るためだと私は思っています。すでに死んだ身としてはこれ以上の犠牲を出さないための努力と工夫を重ねてきました。鳥取銀河鉄道祭はいろんな意味で迷惑もかけたけれど、それぞれが得ることがあり、学んだ場だったと思っています。



追記
今日お会いした記者さんに舞踊の元々はみんなで踊るものだと思っていましたと言われました。集団性のあるダンスが流行り、それはすでに音楽に乗せられて踊る体操と変わらないよねというのが「ダンスハ体育ナリ?」の趣旨となっていますが、宗教儀式も皆で同じ動きをし、模倣しながらそれを伝搬していったもの。
カイヨワによればミミクリ(模倣)とイリンクス(めまい)の遊びである舞踊。同じ動きを行なっていくことによる感覚の共有、場の形成、シンクロニシティが舞踊の持つ力であるとすれば、また、自分自身の融解と他者との融合は確かに大きな特徴の一つで、だからこそ舞踊は宗教的だと感じます。
自分自身の中身を空っぽにし、そこに何者かを到来させやすくするための行為であり、それを導きやすくするのが振りであり、同じ動きをするということが目的ではないと私は考えます。また、自由にといえば自由になのですが、自己表現というものとは異なります。楽しいから踊るというのと異なってしまった時に、それを一般の人に広めるということではなく、自分は自分の仕事(研究とも求道とも言える)としてそれを追求していくことを志しています。
元々体育教師だった頃、自分が踊っているダンスと教えるダンスにズレがあり、おかしいなと思っていました。それを明確にするための作品が「ダンスハ体育ナリ?」であり、それを経て、そもそもこの世の中で需要のあるダンスと自分の踊りとの間にズレを感じるようになりました。未だ解決していません。そしておそらく生涯この違和は続いていくものと捉えます。
その違和を明確化し、私が預かったものを昇華していくのが現在私が作品を作るという作業です。



2019年11月8日金曜日

宮沢賢治について

私は宮沢賢治の思想が好きで鳥取銀河鉄道祭を立ち上げました。
その前から銀河鉄道の夜を舞台化しようとしたり、色々試みてきましたが、大人も子供も楽しめる舞台作品として(自身が高校時代に体験した演劇も含め)いい題材だと思っています。
しかしながら、あまりにも私が宮沢賢治愛を語るせいか、周辺で宮沢賢治化がおきました。

ぶっちゃけていうと、宮沢賢治になってはいけません。自分の好きな人が、あるいは家族が宮沢賢治になることを想像してください。あまりいい話ではありません。
というのも、そもそも花巻のボンボンで、高校まで出させてもらい、教員になって、農業学校で教えるものの(評判は良かったらしい)4年でやめ、農業を志し、(しかし親のすねかじり状態で)農民のための学校を作るべく羅須地人協会を立ち上げるものの長続きせず。その後石灰の販売員をしながら暮らすものの、若くして死んでしまいます。
その間に描かれた「銀河鉄道の夜」ですが、カンパネルラのモデルとされる妹も早くして死に、その行方を追うべくして描かれたという説が有力です。(鳥取的には河本緑石説が有力ですが、一般的には妹のとしこをさすことが多いです。書き直しを繰り返していることもあり、私もそのように捉えています。実際には彼女の幻影だと思うのですが)
つまりすでにこの世にいない人を思い、追い続け書き続けてきた本であり、その過程は正直幸せとは言えません。あまりにストイックになって結婚もしなければ(ちなみにモテないわけではないんですがすげなく断っています)、肉食を避け(ベジタリアン大帝とか書いていますが)、宗教とともに生きるようになります。早死にしちゃうし、生前に出した書物はあくまで自費出版(それも親のすねかじり)の2冊で、自身はその評判を聞くこともありませんでした。(銀河鉄道の夜も死後に弟たちが原稿を集め、並び替えながら完成させましたが、本当に賢治の意思のとおりかどうかはわかりません。その推敲は宮沢賢治記念館から出ている書物で見ることができます。木野研究室にもあります)
私は色々読みながら宮沢賢治が死ぬまでに改訂を続け、第3次稿から第4次稿へと移行できたことがこの小説の素晴らしいところだと思っています。
カンパネルラの死を受け入れ、(直接的には描いていない)現実の世界へと走り出すことができたこと。
第三次稿まではそれができていませんでした。カンパネルラは死んだとは捉えられなかった。(別の意味でセロの声の物事の真理という重要なシーンがあり、それはそれで興味深く思っています。また、その感触を私も抱いています)
一生をかけて作り上げる作品。
私はそういうことを素敵だなと思います。

しかしながら宮沢賢治になってはいけません。今年の正月にも書いた気がしますが、私たちは今を生きていかねばなりません。それを言いたくてこの作品を作ったようなものです。
自己犠牲は美しくも見えるけれども、そこで残された人はどうなるのか。賢治の思想はかっこいい。でもそれを飛び越えなければいけません。そうして作ったのが鳥取銀河鉄道祭であり、ゲキジョウ実験!!!「銀河鉄道の夜→」です。


生きましょう。一緒に。そして超えましょう。

福祉をかえる「アート化」セミナー


「福祉をかえる「アート化」セミナー」に出ることになりました。
主催はたんぽぽの家。(地域学入門などで度々お会いしていた岡部さんからの依頼なので、頑張ってお答えします)11月10日午前中です。
そもそも大学の社会貢献みたいな話をということだったのですが、銀河鉄道も夏至祭も大学と関係ないので、微妙だなあと思い、「アートを通じて暮らしをみつめなおすこと 」とタイトルを変えさせていただきました。
で、そののパワポを作成中ですが、銀河鉄道がどこからどこまでどのように説明すべきかわからなくて迷走中。ただ、前から思っていたのだけれど、福祉のためのアートや芸術ではないということ。全ての人に等しく芸術があるはずだが、それに触れることができる人は現代においてはまだまだわずかで、障がいを持っていようが持っていまいが、「知っている人は知っているけれど、知らない人は触りもしない」という現状があります。この世の中で生きづらさや引っ掛かりを持っている人がそれを表出して良いという当たり前のことを知る必要があるし、そのために芸術はある。(私のような人が教職についている理由でもあると思います)
障がい者アートという言葉があることでなんとなく障がいを持っている人と持っていない人で分けられてしまうけれど(実際に展覧会などでも「障がい者アート展」みたく区切られてしまう)本来は良いものは良い、好きなものは好き、ただそれだけのことにすぎない。
鳥取銀河鉄道はたまたまとはいえ参加者に恵まれ、老若男女、国籍、年齢、性別、障がいの有無を問わず様々な人が集まってきて、それが当たり前になっていました。それぞれにできることとできないことがあるので、お互いにサポートしながらやっていくだけのこと。今鳥取で当たり前のように起きたことだけれど、それはまだ一般的ではないということでもある。(だからセミナーがこのタイトルなんですね)
弱き人が言葉を発するための手段として芸術は本来あって、それぞれの人の当事者としての思いや念があってこそ表現は始まります。身体的な障がいに限らず、精神的、社会的障がい、障がいまで行かない引っ掛かり、つまづき、そのようなものがない限り、真摯な人の心をうつものは生まれないと私は感じています。同時にそういう人たちの心の支えとなり、励みとなるのが芸術です。
時代を超えて、空間を超えて、一人ではないということを知ることができます。

2019年11月6日水曜日

鳥取銀河鉄道祭のできるまで88

鳥取銀河鉄道祭のできるまで88

藤さんの衣装や美術で使われている素材のほとんどがゴミとされていたお菓子のパッケージや古くなったぬいぐるみ、竹(鳥取大学の古墳に眠っていました)などでした。衣装のベースになっているのもほとんどが市民の方が持ち寄ってきた古着で、古着屋さんに持っていっても売れないと言われたりしたものだそうです。(出演者だけではなく、と取りすがりの人なども度々お持ちくださいました)舞台3階から繋がる線路はチョコレートの包み紙です。
ものの価値や意味は見方によって変わります。

芸術の持つ可能性の一つとして既成概念を壊し、新しいものの見方の創出というものがあります。どんな作品であっても既成概念に疑問を投げかけ、またそれを乗り越える価値観を作り出そうとする行為です。
この鳥取銀河鉄道祭はとりアートという県の総合芸術文化祭という公的資金を得て行う大きな事業ではありますが、だからこそできたチャレンジでもありました。これまでの600~800名の観客を集めて1回ドンと公演を打つタイプ(なのでそれまでは95%の予算が3年目のみに投入されていた)のものと異なり、長い期間のリサーチ、ワークショップをへて作っていく今回の手法も、劇場の使い方も、120人という定員設定も、フリーマーケットの存在も非常に特殊です。またこのような機会だからこそと、財団、県立図書館、わらべ館など様々な施設も協力してくださり、通常ではあり得ないような使い方、可能性に挑戦することができました。これらを応援いただいた皆様に感謝申し上げます。
このような実験的な試みをこの小さな地方都市(鳥取県の人口は55万人、鳥取市は18万人くらいです)から起こすことができたことが何よりもある種の「革命」だと思っています。
とりアートは私たちの代から公募となり、ある意味節目の公演でした。あいちトリエンナーレ問題以降、公的資金を使うからにはわかりやすくないととか集客がなどなど、劇場、財団、助成団体側が二の足を踏み始めている現状ですが、それでも、新しい挑戦をし続ける県であって欲しいと私は思います。

たった1人の宮沢賢治好き女子の思いいれから始まったこのプロジェクトはいろんな人を巻き込んでこんなに大掛かりなことになってしまいました。皆様ごめんなさいとありがとう。楽しかったと言ってくださる皆さんの表情を見て本当にホッとしています。個人の辛かった思い出や悲しい記憶もいつか時が経つと様々な人に楽しい時をもたらすことになるのかと思うと、機が熟したと感じます。長かった。
クロージングイベント(11月4日開催)ではみんなでお菓子を食べながら(ウラギンと呼ばれるパッケージの裏が銀色のスナック菓子は卒業しました)映像を見るなどし、振り返りをしました。遠足は帰るまで終わらない。本番を振り返りながらこうして話す時間を取ることができたのも贅沢で、また楽しい時でした。参加者の子達から何故か帯に書かれたメッセージもいただきました。(ほのピンクでちょっとかっこいいのです)

最後に言えることは
ゲキジョウ実験!!!「銀河鉄道の夜→」ってあるでしょう?→。
だからその先へ進みましょうということ。また一歩先へ踏み出しましょう。


長く短い2年間(私的には3年間)、お疲れ様でした。


おまけ
この連載も88回。星座の数に合わせてみました。88箇所めぐりも考慮に入れたのですが、88箇所ではなく88エピソードになってしまいましたね。鳥取のいいところはまだまだあります。なので第2、第3の88エピソードが生まれていくのだろうと思っています。

鳥取銀河鉄道祭のできるまで87

鳥取銀河鉄道祭のできるまで87


この公演はお祭りとして開催している「ケンタウル⭐︎自由市場」とリサーチの成果発表を同時に開催していますが、正直皆その意味が今ひとつわかっていません。舞台の部分だけでかなりのボリュームであるし、団体で参加しているところは自分の出演部分以外を知らないからです。
しかし最終日、できる限り皆で見れるようにと後ろで暗躍し、今回参加したスタッフ、団体、皆が1度は見にこれるようにしました(ダンス部さんだけゲネを見る形になっていましたが)。
それでもリサーチなどは見きれていなくて個人的には残念だと思っています。

これはリサーチの成果発表についてのトークイベント(11月4日開催)のなかで話させていただきましたが、私の行なっているダンス、あるいは舞台芸術はその瞬間ごとに消えていってしまいます。見た人の記憶にしか残りません。だからこそ儚くも美しい。
しかし何かを残していこうとした時に映像や写真といったメディアの存在は大きいです。
それらを通じて私たちはそこにあっただろう物語を読み解き、新しく作り出していくことができます。また遠隔地の様子も取り込むことができます。つまり空間と時間を両方飛び越える可能性を有しており、今回はリサーチプロジェクトとして映像を加えました。

今回調査していただいた8mmのアーカイブは少し昔の生活の断片であり、映画人のインタビューは現在生きる人の声でありますが、いずれも蓄積していくこととそれをreveal(明らかにする)ことを目的としており、市井の人の暮らしや芸術感を見直す内容になっています。
鳥取には何もない、ではなく、なんでもできるしやってきた人たちがいる。そのような自由がある。それを形にし、見えるようにしていくのは舞台芸術だけでは難しいのではないか、またそれを残すためには映像化が不可欠になるだろうと感じました。何故ならば将来いまの状況を検証する上での大きな手がかりだからです。
舞台芸術は生身の体だからこそ起きる奇跡です。
しかしその場にいた観客としか共有できません。
舞台で感じた感動をいかに伝え残すことができるかそれは大きな課題でもあります。

(なお、死者の書再読の裏テーマは空間の接続で、離れていても共通感覚を持つところまではできることはわかりました。が、時間を超えることはまだできていません。)

鳥取銀河鉄道祭のできるまで86

鳥取銀河鉄道祭のできるまで86


作品は4回(当日に行ったゲネを合わせると5回)行う内で、どんどんと進化していきました。具体的に演出が加わったというよりは、各人が意識して、周りを見て、その行っている意味を理解し、行動できるようになっていったということでしょうか。
アマチュア、あるいは市民参加型の劇は今、ここでしかない、1回生の公演であり、もしも来年同じメンバーが集まったとしてもおなじことは起こりません。また今日の公演と明日の公演は全く異なるものにもなり得ます。それは案外大事なことで、だからこそ作品を繰り返し上演していくことが必要なのです。
元々このプランを提出した時点から150人-200人程度の規模のものを何回か繰り返して公演を行うことで、出演者のレベルアップを図るということも書いていたのですが、1回の本番は何よりの稽古であり、代え難い宝物です。
逆にいうとプロの役者としては毎回できが異なるなどということはあってはならないわけで、ある一定のクオリティを維持し続けることが求められます。ある種の型化であり、体調の維持やテンションのコントロールも一つの能力です。宮沢賢治は「職業芸術家は一度滅びねばならぬ」と書いていますが(農民芸術概論綱要)、エンターテイメントとしてまた経済活動として舞台を行なっていく上で”職業”は成り立っており、プロは存在しえます。しかしこの常に発見し、常に進化し続ける存在として職業か職業でないかということはあまり重要ではなく、私はここに出演していた全ての人が個性豊かな1人1人の芸術家であったと思います。


5回の繰り返しはこれだけの出演者がいると流石にハードで、小学生たちや星のいり口といった体力や集中力面で弱い子達が耐えきれるのか心配されていました。星のいり口のお母さんたちも「正直心配でしょうがない」と話し、舞台裏で終始フォローをしてくださっていました。リハーサル段階でのキャンセルなどは出ましたが、この本番中は大きな怪我もなく、ホッとしています。みんなのやる気と思いで乗り切った公演でもありました。

鳥取銀河鉄道祭のできるまで85

鳥取銀河鉄道祭のできるまで85

本来はこの連載を11月4日の本番終了までに終わらせるはずだったのですが、(そのために毎日頑張って書き続けていたのですが)最終日、あまりに間に合わなくて断念。ここからは振り返るような形で書くことになります。

新聞(日本海、朝日、山陰中央新報)さんのおかげか、最後の最後に一気にチケットが売れ、当日券目当てでお越しになった方にお断りしなければならなくなるほどの盛況でした。今回移動型という特殊な形のため、安全面を考えると一定以上に数を増やせず、申し訳ないです。その代わり、車椅子の方や足が不自由な方、盲導犬と一緒にと行った様々なニーズにも対応できるように、ルートを工夫したり、対策を打ちました。4つのグループ分けの仕方や帰り道のご案内なども最後まで細やかな配慮がありました。
実は本番直前、吉野さんがひょんなことから骨折し(はじめはそれに気がつかないくらい小さな出来事でした)、歩くのにも不自由な状態になったことも影響しているかもしれません。もともと配慮はしていたのですが、実際にその速度で杖をつきながら歩くとしたらどれくらいの時間がかかるか、その分短くまとめるための方法を考え、他の人たちのサポート方法も考えました。実際のその場に立たないとわからないことも多くあり、劇場入りしてからどんどん変化していった部分です。
今回とりぎん文化会館の表、裏両方をくまなくみ、まわり、エレベーターや段差などをいろいろ調べました。会館が作られたのは今から25年前。なので、ステージに上がるまでの導線という点でも、各会議室や練習室へいくためのエレベーターの数や位置を見ても使いにくい面がいくつか出てきました。移動式のスロープなどをやはり用意する必要がありますよね、などの話を裏方の方としながら、これからの劇場の形自体が変化していかなければいけない予感がしました。(これは練習会場であった鳥取大学でも同じようなことが言えて、現状では車椅子の方が就学するのはかなりの負担になりえます。)
不自由な状態は、だからこそ発見にもつながる。

出演者側がインクルーシブなだけではなく、観客側にとってもバリアフリー、インクルーシブな公演になりました。

25年前ということもあり、ゆとりのある空間設計や、謎のオブジェがあるこの建物。妙にデコラティブな階段も、あのフリースペースもなかなかないです。だからこそゲキジョウ実験の面白さは生まれました。このとりぎん文化会館という場所ならではの作品でした。

2019年11月3日日曜日

鳥取銀河鉄道祭のできるまで84

鳥取銀河鉄道祭のできるまで84

プログラムの言葉

今年のとりアートメイン事業は『鳥取銀河鉄道祭』。宮沢賢治の代表作『銀河鉄道の夜』を元に、2年越しのリサーチとワークショップを重ねてきました。リサーチの成果を示す映像等の展示、それを元に作り上げた鳥取県民による鳥取ならではの移動型音楽劇、ゲキジョウ実験!!!「銀河鉄道の夜→」、主人公ジョバンニが訪れたであろうお祭りをイメージしたフリーマーケット「ケンタウル⭐️自由市場」を開催します。

宮沢賢治はすべての農民が芸術活動を行うことを理想としていました。『銀河鉄道の夜』では死の間際まで改稿を重ね、最終稿でジョバンニが親友カンパネルラの死という悲しみを乗り越えて母の待つ家(日常の暮らし)へと帰っていくように変更します。2年間かけて東中西部を駆け巡って来たリサーチやワークショップを通じて、私たちは鳥取の日常の暮らしの美しさを再発見してきました。生きることと芸術はそのまま繋がっていて、それぞれの暮らしは星のように輝いています。日常の暮らしの美しさを星に見立て、星座のようにつなぐことがこのお祭りの目指すところです。
誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ(中略)
おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようでないか
まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう
(『農民芸術概論綱要』宮沢賢治1926年)

ジョバンニの探す「ほんたうのさいわい」の答えはありません。おそらくそれぞれの人がそれぞれの「ほんたうのさいわい」を一生を通じて探し続けていくのでしょう。しかし今日この鳥取で星たちに出会って起きたことは出演者・観客・スタッフ、皆の記憶に残り、道標として三角標のようにいつまでも輝き続けると信じています。
米子のプラネタリウム劇場、倉吉のワークショップと併せ、私たちの鳥取という銀河をめぐる旅で出会い、関わってくださった全ての方に感謝を込めて贈ります。



鳥取銀河鉄道祭実行委員 一同

鳥取銀河鉄道祭のできるまで83

鳥取銀河鉄道祭のできるまで83


ゲキジョウ実験!!!「銀河鉄道の夜→」も無事公演開始。今日はゲネ1回、本番2回というかなり忙しい日程で、1時間半×3をこなしました。実はかなり盛りだくさんで、その場で対応しなければならないことが多々あり、結構大変です。出演者も小学生から60代、70代まで幅広く、体力なども心配ですが、よく乗り切りました。明日はさらに2公演。実は完全満席でしたが、色々考えて、少しは増席できそうです。こんな贅沢な時間はなかなかないので、ぜひきて。鳥取でしかみられない、鳥取ならではの舞台です。ついでに言うとこのタイプのものは今しか見ることができない。来年たとえ同じメンバーが揃っても全く違うことが起こる。つまり、今ココ作品です。
私はこれまで関わってきた事業でもそう言うものが多くて、その人の一生のこのタイミングということを考えます。今、ここでしか成り立たない作品。普遍性などを求めるのが演劇にしてもダンスにしても帝石ですが、そうではなく、ここの特異性、個性、そういうものを大事にしていくと他には持っていくことができません。でもだからここで見る必要がある。そういう類のものです。すでに前売り売り切れ。ギリギリまで席数を模索している野口さんですが、少しは当日券が出せそうです。公演は初めの30分は無料で見られますので、ぜひ見てみてください。

いろんなミラクルが重なり合ってできたものなので、今関わっている学生さんや子供達が何らかの影響を受け、変わっていく、そういうものな気がします。

鳥取銀河鉄道祭のできるまで82

鳥取銀河鉄道祭のできるまで82

ケンタウル⭐︎自由市場はフリーマーケットが鳥取東部ではあまり開かれていないので、やってみたらいいのではないかというアイデアから始まりました。
もともとジョバンニの住む村で行われているケンタウル祭ではカラスウリが流されるそうですが、あまり深くは書かれていません。街中のキラキラがこの銀河鉄道の旅の最終点になるように設定しました。私の開催している鳥取夏至祭でもお世話になっている因幡のお袋市さんもそうですが、自分の持っているいらないものが誰かの価値ある何かに変える、そういう価値転換が鳥取では大切なのではないかと思ってきました。自分でできることは結構大きく、小さなことでもそこから人と繋がっていくことができます。予想以上に多くの方にご応募いただき40店舗近く両日並んでいただいています。ぜひ飲食店、小物、衣類、マッサージやタロットに至るまで幅広く。公演時間の前半30分は館内の様々な場所で無料パフォーマンスが開催される仕組みです。(公演の舞台で行われる部分は有料公演エリアです)ぜひお立ち寄りいただき、楽しんでください。

今回応募してくださった方は私の知らない人も多く、そういう意味でも、鳥取には色々まだまだいるぞと思う会でもありました。今日は初日でゲネと本番2回で全くお店周りができませんでしたが、ぜひ伺いたいと思っています。


ケンタウルの人への言葉
この「ケンタウル⭐︎自由市場」は多くの県民の皆さんに好きなように表現していただく場として設定しました。宮沢賢治作「銀河鉄道の夜」を読んでいただけるとわかるのですが(青空文庫で無料公開していますし、tottoで連載しています。http://totto-ri.net/column_tottorigingatetudousai11/)、ジョバンニの住んでいる村のお祭りケンタウル祭を模しています。

ジョバンニはこのケンタウル市場から銀河鉄道に乗り込み、幻想第4次銀河鉄道の旅に出ます。そして彼はこの市場に戻ってきます。お母さんに牛乳を届けるために。

作品冒頭の30分程度で銀河鉄道の旅に出るまでの日常のような日常ではないような様々な情景がお祭り中に繰り広げられます。また、梨花ホールでの1時間ほどの音楽劇の後観客が戻ってきてみる日常生活の部分をの借景を皆さんにお願いしています。
日常生活は今作品のテーマで、美しいこの鳥取の暮らし、気がついていない日常に視点を向けるべくリサーチを重ね、作品を制作してきました。また、フリースペース、中庭、いずれにしても多くの人の注目を浴びると思います。その中で自分が好きなモノ、好きなコトを通じて人と繋がっていくことができることが、その自由が大切な部分だと考えています。普段通りにお客さんに対応していただきながらお祭りを盛り上げてください。またこのお祭りを楽しんでいただければ嬉しいです。

2019年11月2日土曜日

鳥取銀河鉄道祭のできるまで82

鳥取銀河鉄道祭のできるまで82


リサーチチームは映像を展示するだけではやはり難しいので、何を感じ、学んだかをお話ししてもらう機会を別途設けました。2、3日だけだと出演者の子達も見ることができないので。4日まで。(オフィシャルには2、3ですが4日の午前中はやっています)せっかくだからぜひみてください。
本当は作品の中にこれらを取り込むなどの試みを想定していたのですが、正直にいうと時間が足らず、できなかった部分でもあります。それぞれが良いものを作っているけれど、門限ズとそんなに絡むことができなかったのです。(佐々木さんに至っては今もなお編集中)
リサーチというのは調査のことで、アートプロジェクトではよく行われている手法です。作品の土台を作る上で調べることなくしてはできません。今回の場合は門限ズたちが来るたびに行ってきた鳥取県内の旅や、様々なワークショップもまた鳥取の人々に出会い、知るためのリサーチの一つで、2種(映像はその中でさらに3種類)に別れてしまったこともあり、わかりにくいですが、私は鳥取の人が鳥取について知ろうとする試みが重要であると捉えています。今回は外から来た人の目で見る(門限ズ)ことと、内にいる人の目で見る(映像チーム)両方があって鳥取がわかります。

程よく距離を置き、鳥取を見るそんな人たちです。



鳥取銀河鉄道祭のできるまで81

鳥取銀河鉄道祭のできるまで81
県立図書館さんの2階特別展示室でリサーチのうち8mmアーカイヴスの展示がスタート。今回はこれまでの映像資料の収集に合わせて、それを見た人々からインタビューを取り、それを重ねるという作業を行いました。(映像を撮った人とは必ずしも一致しません。)
これまで3年近く様々な映像を集めてきましたが、公開上映会を行うたびに、新しい出会いと発見があり、そういえばあの角のお店は、、、と話すうちに、ああだったこうだったという声が広がり当時の街の様子が見えてきます。今回は鳥取の中でも賑わっていた川端通りを中心に収集。インタビューを取った方々も皆川端に長く暮らしている方々。60代から90代まで。途中重なる行事(年齢層は異なってもみんなで共通して持っている記憶)もあり、見ていてとても面白いです。

家に眠っていた当時を知る小物(ハンコ屋さんだと手彫りでハンコを作るためのグッズ)も一緒に展示されています。せっかくですので、ぜひお立ち寄りください。

県立図書館さんはケンタウル自由市場にも特別展示してくれます。その場所で気になった本があったら貸し出してくれるというスペシャル企画。さらには司書さんと鳥取大学ダンス部さんのコラボ?もあり、いつも大変お世話になっています。これを機会に足を運んでみてみましょう。

2019年11月1日金曜日

鳥取銀河鉄道祭のできるまで80

鳥取銀河鉄道祭のできるまで80

実行委員会は開かれるけれどいつもくるメンバーは同じ。
実際には忙してこれない人もいて。
仕方ないよね、いつもありがとう。
正直頭が上がらない。
ケンタウル担当の濱井さんはもちろん様々なイベントで顔が広いこともあるけれど、今回の多様な参加者の意見、要求をどんどんこなしていく。
それとは別にチケットやなんだと野口さんが動いていて、
映像の蛇谷さんや佐々木さんが必死で作っている。でもその必死さ、ちゃんと見えていない。
他者の表現を理解せずしてオリジナリティは生まれない。
音楽も、ダンスも、演劇も、映像も、美術も、今は皆いっぱいいっぱいで、でも本当はそういうものではなく、一緒に動き出すものだった。なのに、それがちゃんと見れていないのは私の力量不足だと思う。

私が思いついてしまったばっかりになんだか巻き込まれてしまった皆さんごめんなさい。そしてとりアート選考に通ってしまったばっかりに迷惑をたくさんかけてしまったけれど、それでも私は皆さんに出会えてよかったと思っています。
本当にごめんなさい。

私はこれ以上人を死なせない。それだけは絶対守る。だからあと少しお付き合いください。
逆にいうと、今回一緒に走れる人とそうではない人が分かったということ。
でも、その差を受け入れるべく努力していくのか、いやそれでは間に合わないんだということかだと私は思いました。
今のこの世の中の危うさは呑気なことを言っていられる状況ではないし、私は

「ダンスハ体育ナリ?」で指摘したことだし(特に8月の表現の自由編)。私はまだ走っている。はしらなきやいけない。できるだけ早く全てが終わることを望みます。

鳥取銀河鉄道祭のできるまで79

鳥取銀河鉄道祭のできるまで79

部室では今日も12時近くまで模索が続きます。終わらない日々。あと少しです。
(あ、部室も終了後撤収するまでの時期なので、ぜひ見て欲しいです。私はこれが銀河鉄道の形だと思っています。
好きな時に好きなものを作る。
これ、もし時間かけて作れていたら。
出演者の子達もそれ以外の人も一緒に何か作れていたら。
そういう現場、ぜひ見てください。

銀河鉄道のスタッフメンバーは基本的に鳥取の人で集めました。これまでの3年ほどで縁があったかたを中心に集めましたが、鳥の演劇祭やいろんな行事が重なる時期であり正直スタッフさんに無理をさせてしまっていると思います。
それでもやるぜ!ときてくれた、彼らに私は頭が上がらないし、一緒に走りましょうと思っています。
舞台監督の大野さんは鳥取に移住してきて(子供の住環境のために)しかし普段は京都、東京などを中心に舞台のお仕事をしています。カフェミルキーウェイに来てくださった縁でお願いすることになりました。鳥劇との掛け持ちで忙しい中、対応してくれています。ありがとうございます。
鳥の演劇祭はもちろんかぶっていて(それは今年たまたまシアターオリンピクスや海外公演が入ったせいでもある)しかし協力していただき、本当に感謝しています。
照明の田中さんや伊中さんはこれまで星のいり口やダンス部さんの公演を担当してくださっていました。学生スタッフは鳥大演劇部などで活躍している子達が働いてくれています。
音響はこの時期スタッフがいなくなる(鳥の演劇祭も含め)ことが見えてきたこともあり、昨年お世話になったKIAC小林くんにお願いしました。野村さん作品も手がけていて、、私の「死者の書再読」のガムランと江戸長唄に対応できる力量を見越したのと、今後舞台という面でも鳥取と城崎(あるいは豊岡)のつながりが作れればと思ったせいもあります。

鳥取は小さい県で正直人が足りていません。だからいろんなところから人を呼ばなければいけない現状があります。舞台スタッフの皆さんいかがですか?(うちの学生さんたちがライバル増やすなって怒るかもですけれど)