鳥取銀河鉄道祭のできるまで87
この公演はお祭りとして開催している「ケンタウル⭐︎自由市場」とリサーチの成果発表を同時に開催していますが、正直皆その意味が今ひとつわかっていません。舞台の部分だけでかなりのボリュームであるし、団体で参加しているところは自分の出演部分以外を知らないからです。
しかし最終日、できる限り皆で見れるようにと後ろで暗躍し、今回参加したスタッフ、団体、皆が1度は見にこれるようにしました(ダンス部さんだけゲネを見る形になっていましたが)。
それでもリサーチなどは見きれていなくて個人的には残念だと思っています。
これはリサーチの成果発表についてのトークイベント(11月4日開催)のなかで話させていただきましたが、私の行なっているダンス、あるいは舞台芸術はその瞬間ごとに消えていってしまいます。見た人の記憶にしか残りません。だからこそ儚くも美しい。
しかし何かを残していこうとした時に映像や写真といったメディアの存在は大きいです。
それらを通じて私たちはそこにあっただろう物語を読み解き、新しく作り出していくことができます。また遠隔地の様子も取り込むことができます。つまり空間と時間を両方飛び越える可能性を有しており、今回はリサーチプロジェクトとして映像を加えました。
今回調査していただいた8mmのアーカイブは少し昔の生活の断片であり、映画人のインタビューは現在生きる人の声でありますが、いずれも蓄積していくこととそれをreveal(明らかにする)ことを目的としており、市井の人の暮らしや芸術感を見直す内容になっています。
鳥取には何もない、ではなく、なんでもできるしやってきた人たちがいる。そのような自由がある。それを形にし、見えるようにしていくのは舞台芸術だけでは難しいのではないか、またそれを残すためには映像化が不可欠になるだろうと感じました。何故ならば将来いまの状況を検証する上での大きな手がかりだからです。
舞台芸術は生身の体だからこそ起きる奇跡です。
しかしその場にいた観客としか共有できません。
舞台で感じた感動をいかに伝え残すことができるかそれは大きな課題でもあります。
(なお、死者の書再読の裏テーマは空間の接続で、離れていても共通感覚を持つところまではできることはわかりました。が、時間を超えることはまだできていません。)
0 件のコメント:
コメントを投稿