2019年11月25日月曜日

筒井さんの美術講座にお邪魔する

銀河鉄道が終わり、様々なところにご挨拶回りをしつつ、授業(これまでのツケがいろいろ)をこなす日々。文化庁事業が実は平日に入れられているので、それを少しずついくので結構いっぱいいっぱい。
先週は筒井先生の講座で、星野太さんと奥村雄樹さんというアーティストさんがきてくれました。
星野さんは前に東大でなぜか私が講演をしたのがきっかけで、時々お会いする超秀才。研究テーマが崇高論とのこと。当時も「表象の王子様」と呼ばれていましたが(筒井先生曰く)、それそのまま受けるそのキャラクターがすごいと思います。(そのときの講演は身体系で山田せつこさん、山崎広太さんとの3点セット。元同僚がコーディネーターだったのです)
その講座の中で、自分がよくわからないものになりたいと「雲になる」というタイトルをつける星野さん。そして出会った人の身代わりとして人に会いにいき、新たな人脈を作っていく奥村さんを見ながら、そういえば私は消えたかったんだというそんなことを思い出しました。
2014年に行ったその講演でもそんな話をしたはずです。超越、そして消える、でも肉体は消えない、どうしたらいいんだろう。ふと、消えたかったの思い出しました!と言った矢先、星野さんが、「分かります」といわれ、そうか、あの時からそんなことを言っていたんだということを思い出しました。
「Edge」は生贄、「箱女」は消滅の美学、そこから後も「IchI」自分ともう一人の自分、「からたち」「からたちから」キリスト教の伝播と贖罪、「mobius」永劫回帰、「死者の書再読」とずっとそんな話をしています。いや、約束しちゃったからもう少し生き延びなきゃいけなくて、そのために作った銀河鉄道。でもその後どこへいくんだろう。
この世の中には生まれてきてよかった人もいるが生まれてきたこと自体が良くなかった人もいる。私は様々なものを破壊しなければいけない星回りで、最小限にするべく気をつけていきている。でもそれでも被害は出るし、それが次の創造につながると思えるようにするべくいきている。
破壊したくて破壊するわけではないし、その分の重みは負い続ける。銀河鉄道でも出演者の方から終了後にお前がすべて背負うのだなと念をおされる。神を冒涜するのだそうで、あれだけ神々しい作品だと私は思うけれども。死ぬ覚悟をして、望んでいる身にこの人は何をいうのだろうと思うけれど、にこやかに返す。伊達にこれまで人死なせながら作品作ってきたわけではない。
そういう時とタイミングであり、それを引き取ってあげるのが仕事かもしれない。

いろんな作家がいるとは思うのですが、私はそんなにたくさん作品を作れる人ではないし、個人活動なので、できることを少しずつ。でももうすでに作るべきものは全て作ったのではないかというきもしている。
(すでにダン体については依頼もあるけれど、レクチャーパフォーマンスだからね)

体はどんどん弱っていく。
でもその弱っていく身体を酷使するだけではなく、そこに新しい可能性を見出すことができたらいいのだと思う。

ただ、私は自分のような生き方を人には勧めないし、普通に生きる人になることを学生さんには望んでいる。私は普通ではないのか、というと疑問で、ずっとおかしくないですと言い張ってきたけれども最近根本的に普通の人とずれているということに気が付いた。私はいきていたいと思っていないし、できるだけ早く死ねるように努めている。もう何年も。
車を持つのをやめたのもおそらく隙を見て突っ込むに違いないと思ったからだし、今もそれは変わらない。約束はしていていても、その危うさの中で暮らしている。こういう考え方が当たり前だと思っていたら、これはすごく特殊だということを最近知った。


0 件のコメント:

コメントを投稿