鳥取銀河鉄道祭のできるまで85
本来はこの連載を11月4日の本番終了までに終わらせるはずだったのですが、(そのために毎日頑張って書き続けていたのですが)最終日、あまりに間に合わなくて断念。ここからは振り返るような形で書くことになります。
新聞(日本海、朝日、山陰中央新報)さんのおかげか、最後の最後に一気にチケットが売れ、当日券目当てでお越しになった方にお断りしなければならなくなるほどの盛況でした。今回移動型という特殊な形のため、安全面を考えると一定以上に数を増やせず、申し訳ないです。その代わり、車椅子の方や足が不自由な方、盲導犬と一緒にと行った様々なニーズにも対応できるように、ルートを工夫したり、対策を打ちました。4つのグループ分けの仕方や帰り道のご案内なども最後まで細やかな配慮がありました。
実は本番直前、吉野さんがひょんなことから骨折し(はじめはそれに気がつかないくらい小さな出来事でした)、歩くのにも不自由な状態になったことも影響しているかもしれません。もともと配慮はしていたのですが、実際にその速度で杖をつきながら歩くとしたらどれくらいの時間がかかるか、その分短くまとめるための方法を考え、他の人たちのサポート方法も考えました。実際のその場に立たないとわからないことも多くあり、劇場入りしてからどんどん変化していった部分です。
今回とりぎん文化会館の表、裏両方をくまなくみ、まわり、エレベーターや段差などをいろいろ調べました。会館が作られたのは今から25年前。なので、ステージに上がるまでの導線という点でも、各会議室や練習室へいくためのエレベーターの数や位置を見ても使いにくい面がいくつか出てきました。移動式のスロープなどをやはり用意する必要がありますよね、などの話を裏方の方としながら、これからの劇場の形自体が変化していかなければいけない予感がしました。(これは練習会場であった鳥取大学でも同じようなことが言えて、現状では車椅子の方が就学するのはかなりの負担になりえます。)
不自由な状態は、だからこそ発見にもつながる。
出演者側がインクルーシブなだけではなく、観客側にとってもバリアフリー、インクルーシブな公演になりました。
25年前ということもあり、ゆとりのある空間設計や、謎のオブジェがあるこの建物。妙にデコラティブな階段も、あのフリースペースもなかなかないです。だからこそゲキジョウ実験の面白さは生まれました。このとりぎん文化会館という場所ならではの作品でした。
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