鳥取銀河鉄道祭のできるまで88
藤さんの衣装や美術で使われている素材のほとんどがゴミとされていたお菓子のパッケージや古くなったぬいぐるみ、竹(鳥取大学の古墳に眠っていました)などでした。衣装のベースになっているのもほとんどが市民の方が持ち寄ってきた古着で、古着屋さんに持っていっても売れないと言われたりしたものだそうです。(出演者だけではなく、と取りすがりの人なども度々お持ちくださいました)舞台3階から繋がる線路はチョコレートの包み紙です。
ものの価値や意味は見方によって変わります。
芸術の持つ可能性の一つとして既成概念を壊し、新しいものの見方の創出というものがあります。どんな作品であっても既成概念に疑問を投げかけ、またそれを乗り越える価値観を作り出そうとする行為です。
この鳥取銀河鉄道祭はとりアートという県の総合芸術文化祭という公的資金を得て行う大きな事業ではありますが、だからこそできたチャレンジでもありました。これまでの600~800名の観客を集めて1回ドンと公演を打つタイプ(なのでそれまでは95%の予算が3年目のみに投入されていた)のものと異なり、長い期間のリサーチ、ワークショップをへて作っていく今回の手法も、劇場の使い方も、120人という定員設定も、フリーマーケットの存在も非常に特殊です。またこのような機会だからこそと、財団、県立図書館、わらべ館など様々な施設も協力してくださり、通常ではあり得ないような使い方、可能性に挑戦することができました。これらを応援いただいた皆様に感謝申し上げます。
このような実験的な試みをこの小さな地方都市(鳥取県の人口は55万人、鳥取市は18万人くらいです)から起こすことができたことが何よりもある種の「革命」だと思っています。
とりアートは私たちの代から公募となり、ある意味節目の公演でした。あいちトリエンナーレ問題以降、公的資金を使うからにはわかりやすくないととか集客がなどなど、劇場、財団、助成団体側が二の足を踏み始めている現状ですが、それでも、新しい挑戦をし続ける県であって欲しいと私は思います。
たった1人の宮沢賢治好き女子の思いいれから始まったこのプロジェクトはいろんな人を巻き込んでこんなに大掛かりなことになってしまいました。皆様ごめんなさいとありがとう。楽しかったと言ってくださる皆さんの表情を見て本当にホッとしています。個人の辛かった思い出や悲しい記憶もいつか時が経つと様々な人に楽しい時をもたらすことになるのかと思うと、機が熟したと感じます。長かった。
クロージングイベント(11月4日開催)ではみんなでお菓子を食べながら(ウラギンと呼ばれるパッケージの裏が銀色のスナック菓子は卒業しました)映像を見るなどし、振り返りをしました。遠足は帰るまで終わらない。本番を振り返りながらこうして話す時間を取ることができたのも贅沢で、また楽しい時でした。参加者の子達から何故か帯に書かれたメッセージもいただきました。(ほのピンクでちょっとかっこいいのです)
最後に言えることは
ゲキジョウ実験!!!「銀河鉄道の夜→」ってあるでしょう?→。
だからその先へ進みましょうということ。また一歩先へ踏み出しましょう。
長く短い2年間(私的には3年間)、お疲れ様でした。
おまけ
この連載も88回。星座の数に合わせてみました。88箇所めぐりも考慮に入れたのですが、88箇所ではなく88エピソードになってしまいましたね。鳥取のいいところはまだまだあります。なので第2、第3の88エピソードが生まれていくのだろうと思っています。
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