2019年11月8日金曜日

宮沢賢治について

私は宮沢賢治の思想が好きで鳥取銀河鉄道祭を立ち上げました。
その前から銀河鉄道の夜を舞台化しようとしたり、色々試みてきましたが、大人も子供も楽しめる舞台作品として(自身が高校時代に体験した演劇も含め)いい題材だと思っています。
しかしながら、あまりにも私が宮沢賢治愛を語るせいか、周辺で宮沢賢治化がおきました。

ぶっちゃけていうと、宮沢賢治になってはいけません。自分の好きな人が、あるいは家族が宮沢賢治になることを想像してください。あまりいい話ではありません。
というのも、そもそも花巻のボンボンで、高校まで出させてもらい、教員になって、農業学校で教えるものの(評判は良かったらしい)4年でやめ、農業を志し、(しかし親のすねかじり状態で)農民のための学校を作るべく羅須地人協会を立ち上げるものの長続きせず。その後石灰の販売員をしながら暮らすものの、若くして死んでしまいます。
その間に描かれた「銀河鉄道の夜」ですが、カンパネルラのモデルとされる妹も早くして死に、その行方を追うべくして描かれたという説が有力です。(鳥取的には河本緑石説が有力ですが、一般的には妹のとしこをさすことが多いです。書き直しを繰り返していることもあり、私もそのように捉えています。実際には彼女の幻影だと思うのですが)
つまりすでにこの世にいない人を思い、追い続け書き続けてきた本であり、その過程は正直幸せとは言えません。あまりにストイックになって結婚もしなければ(ちなみにモテないわけではないんですがすげなく断っています)、肉食を避け(ベジタリアン大帝とか書いていますが)、宗教とともに生きるようになります。早死にしちゃうし、生前に出した書物はあくまで自費出版(それも親のすねかじり)の2冊で、自身はその評判を聞くこともありませんでした。(銀河鉄道の夜も死後に弟たちが原稿を集め、並び替えながら完成させましたが、本当に賢治の意思のとおりかどうかはわかりません。その推敲は宮沢賢治記念館から出ている書物で見ることができます。木野研究室にもあります)
私は色々読みながら宮沢賢治が死ぬまでに改訂を続け、第3次稿から第4次稿へと移行できたことがこの小説の素晴らしいところだと思っています。
カンパネルラの死を受け入れ、(直接的には描いていない)現実の世界へと走り出すことができたこと。
第三次稿まではそれができていませんでした。カンパネルラは死んだとは捉えられなかった。(別の意味でセロの声の物事の真理という重要なシーンがあり、それはそれで興味深く思っています。また、その感触を私も抱いています)
一生をかけて作り上げる作品。
私はそういうことを素敵だなと思います。

しかしながら宮沢賢治になってはいけません。今年の正月にも書いた気がしますが、私たちは今を生きていかねばなりません。それを言いたくてこの作品を作ったようなものです。
自己犠牲は美しくも見えるけれども、そこで残された人はどうなるのか。賢治の思想はかっこいい。でもそれを飛び越えなければいけません。そうして作ったのが鳥取銀河鉄道祭であり、ゲキジョウ実験!!!「銀河鉄道の夜→」です。


生きましょう。一緒に。そして超えましょう。

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