鳥取銀河鉄道祭のできるまで80
実行委員会は開かれるけれどいつもくるメンバーは同じ。
実際には忙してこれない人もいて。
仕方ないよね、いつもありがとう。
正直頭が上がらない。
ケンタウル担当の濱井さんはもちろん様々なイベントで顔が広いこともあるけれど、今回の多様な参加者の意見、要求をどんどんこなしていく。
それとは別にチケットやなんだと野口さんが動いていて、
映像の蛇谷さんや佐々木さんが必死で作っている。でもその必死さ、ちゃんと見えていない。
他者の表現を理解せずしてオリジナリティは生まれない。
音楽も、ダンスも、演劇も、映像も、美術も、今は皆いっぱいいっぱいで、でも本当はそういうものではなく、一緒に動き出すものだった。なのに、それがちゃんと見れていないのは私の力量不足だと思う。
私が思いついてしまったばっかりになんだか巻き込まれてしまった皆さんごめんなさい。そしてとりアート選考に通ってしまったばっかりに迷惑をたくさんかけてしまったけれど、それでも私は皆さんに出会えてよかったと思っています。
本当にごめんなさい。
私はこれ以上人を死なせない。それだけは絶対守る。だからあと少しお付き合いください。
逆にいうと、今回一緒に走れる人とそうではない人が分かったということ。
でも、その差を受け入れるべく努力していくのか、いやそれでは間に合わないんだということかだと私は思いました。
今のこの世の中の危うさは呑気なことを言っていられる状況ではないし、私は
「ダンスハ体育ナリ?」で指摘したことだし(特に8月の表現の自由編)。私はまだ走っている。はしらなきやいけない。できるだけ早く全てが終わることを望みます。
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