2019年9月30日月曜日

鳥取銀河鉄道祭のできるまで8

鳥取銀河鉄道祭のできるまで8

リサーチとして予算組みをしていたのにも関わらず、予算なんていらないぜ!という人たちも登場。リサーチプロジェクトのうち鳥取のミニコミ誌「スペース」の調査チームは自分たちがやりたいことをするんだという意識で勝手にどんどん進んでいく。鳥取大学図書館、鳥取県立図書館での展示を始めNHKなどでも多数取り上げられる。

このプロジェクト、実行委員としては筒井宏樹さんにお願いし、当時の編集長安藤隆一さん、鳥取大学教員小笠原さん、岡村さん、村瀬さんと一緒に動いていたものの、安藤さんの博論の考え方が「内発的発展論」(鶴見俊輔の姉鶴見和子による思想)に基づいており、公的資金に頼るよりも自分たちで行っていくという意識が強くあったのでした。
自分たちが自分たちのやりたいことをする、当たり前のようですが、そのような意識が鳥取の文化団体には多く流れていました。
ミニコミ誌の執筆者は大学関係者、公務員、一般市民、様々で、徳永進さんなども含まれています。しかし重要なことは著名人が書いていることではなく、一般市民が自分の暮らしや面白いと思うことを書いている記述ではないかと思うのです。実際そこが一番おもしろい。

私はこの冊子を鳥取の伝説の本屋定有堂さんで30円で発見し、なんだこれはと思い、周りに広めました。その後売れに売れて(笑)、残りは1冊。読んでみたいという人は鳥取大学図書館、鳥取県立図書館で全巻押さえています。今でいうZineの走り。そして普通の市民が自分の周りのことを書き綴り、そのことで生活が豊かになっていく。ここにtottoとの共通項を感じます。

私たちの生活を豊かにするのは私たち自身が自分たちの暮らしを認めていくことからしかできない。これいいよ、これ素敵、そういう一言を発していける環境がウェブやSNSにより今私たちにはあります。全ての人が発信者になりうる。

その先駆けともいうべき「スペース」。そのアナログさがかわいいと私は思います。


ぜひ手にしてみてほしいです。

定有堂書店
鳥取東部の本好きが集まる書店。読書会なども開催されており、立ち寄ると必ず何か買ってしまう危険本屋。店主の本愛が感じられます。
http://teiyu.na.coocan.jp

鳥取銀河鉄道祭のできるまで7

鳥取銀河鉄道祭のできるまで7

この事業に応募する際、鳥取の人々の暮らしに関するリサーチ事業を合わせて提出した。参加者が鳥取県民なだけではなく、鳥取の暮らしの豊かさを知ることから始めようと考え3つの映像プロジェクトが実現した。
実際にはリサーチは本来河本緑石(鳥取出身の詩人で賢治とともに高校時代アゼリアを発行。カンパネルラのモデルという説もある)についてや写真によるもの、木野自身のAmanogawaプロジェクト鳥取編なども含んでいたが、予算削減などもありできなくなってしまったものも多い。しかしそれでも残そうとした3つの映像作品が舞台作品だけでは説明しきれない、鳥取の暮らしの豊かさを表すべく鳥取銀河鉄道祭の中で展示、上映される。

8mmビデオプロジェクト@大山・米子
Hospitaleプロジェクトが2016年より開催してきた8mmビデオのアーカイブ事業。押入れの中に眠っていて今は見ることができない8mmビデオを収集し、それをデジタル化、アーカイブを作ろうというプロジェクト。かつての鳥取の生活を切り取った映像の数々を収集し、皆で見合い、当時を思い出す(若い世代にとっては初めて知ることが多い)ことで鳥取のかつての暮らしを見直し、その豊かさを知る。これまで鳥取東部地区で行われていたこともあり、西部地区で行ってみたいということで委託することになった。
Hospitaleプロジェクトの蛇谷さんが中心となりチームを組み、大山地区で活動する大下志保さんたちの大山アニメーションプロジェクト、ガガガ学校と協力し合い、収集する。
収集した映像は米子図書館と長田地区で上映会を開催、その際にも出品者だけではなく、当時のことを知る人が様々な視点からお話をし始める。それを聞く若い世代も今はなき映像に驚き、また興味を持つ。世代間を超えるコミュニケーションがここに生まれている。
発展形としてこれらの映像から記憶地図を作ろうという試みが始まっている。東部地区の映像と合わせ、かつての鳥取を知る貴重アーカイブとなり、また人々の言葉を記録するそんな事業になるだろうと思っている。
また、このような試みはAHA!により日本全国で開催されており、そのうち地域間の比較が起きていくだろう。時代と空間を飛び越え、あの時代はなんだったのかを知ることができるのではないかと思われる。
鳥取銀河鉄道祭の開催時期に合わせてとりぎん文化会館の隣、鳥取県立図書館2階で展示予定。展示も面白いけれど、このプロジェクトの本当の面白さは映像を見ながら当時を知る人のお話を聞く会。その日程も決まり次第お知らせします。

湖畔の村
鳥取県出身の映像作家波田野州平による映像作品。鳥取県中部中津地区でのリサーチとそこに住む老人との対話を元に作品を制作する。
波田野さんはもともとフェイクドキュメンタリーというか写真や映像を元にその記憶を辿るような形の作品作りを行ってきた。そこには故郷に対するこだわりがあり、これまでの作品も見てきていて、ぜひ何か作りませんかとお話しした。
今回しようしている映像の8mmでの挿入部分は実は鳥取ではなく秋田のものだという。しかしながらそのことにより、彼の映像、そしてこの現実は日本の多くの地方都市に同じように言えることであることがわかる。
美しき自然、そして現実。
過去と未来をつなぐような作品になりました。

鳥取の映画愛(仮)
鳥取在住の佐々木友輔による鳥取の映画人のインタビュードキュメンタリー。
佐々木さんは同僚でもあるが、色々話しながら実は宮沢賢治の芸術論を体現している鳥取の映画人という話になりました。現在鳥取には映画館が鳥取シネマ、倉吉パープルタウン、日吉津しかなく、映画を見る機会は少ない現状があります。それを打破するべく、鳥取コミュニティシネマなどの個人の活動により上映会が開かれていて、それを開催している人々へインタビューを始めました。正直採算は取れません。それでも続ける理由とは。そして次世代に残したいものとは。
映画文化を広げたい人、映画を作る人、様々な視点がありますが、撮り始めてあまりにも膨大になることに気がつき、3カ年計画に変更。今回は東部地区でのリサーチを元にまとめます。
芸術文化を自分のできることから広めていこうと思うその気持ちが宮沢賢治のようで惹かれます。インタビューを短編にまとめ、インスタレーション風に展示する内容になる予定ですが、現在も絶賛編集中。

2019年9月29日日曜日

わらべ館 即興音楽とダンスのワークショップ 2019.09.29

わらべ館 即興音楽とダンスのワークショップ
2019.09.29
子どももおとなも一緒におととからだを使ってあそんでみましょう
レポート
日時:2019.09.29 13:30-14:30
場所:わらべ館いべんとほーる
ファシリテーター:きのさいこ、田中悦子、高橋智美
参加者:28名(うちファシリテーター講座受講者3名、鳥取大学からのコーディネーター1名)

12:30 ファシリテーター集合、今日の内容について話す。実は申し込みが少なくほぼ大人であったため、イメージでつなぐよりは具体的なワーク(ネームサインなど)が必要ではないかなどの話をする。少人数の場合は俗にいうワークショップの典型例を体験してもらうのが良いのではないかと計画を立てる。
音楽を生で演奏することの意味を知ってもらうために始めはパソコンから出した音楽(ペンギンカフェオーケストラ)からスタートすること、高橋さんには途中からクラリネットを中心に演奏してもらうことなどを決める。
裏テーマとして田中さんより台風はどう?という提案がある。
またできれば音に反応して動く時間が欲しいよねという案が出される。

13:15  参加者の親子が来始める。幼稚園の運動会と重なってはいたがそれでも多くの親子連れが来てくださる。また、兄弟などで2歳児も含んでおり、作戦台風に変更。

13:30 ワークショップスタート
ファシリテーターの自己紹介、注意事項の確認の後、ワークショップをスタートする。
ウォームアップ(体をさすり温める)、近くの人と手と手、肩と肩、お尻とお尻などくっつけあうワークからスタート。
だんだん動きを大きくするべく2人で手を繋いでぐるっと回るなども始める。みんなでつながって波を作るなどの動きをする。

13;45
子どもたちが寝転がったりして独自の動きを始めたのを広げていく。海の中の生き物に見立て背中で泳ぐのか!など子どもたちの動きを取り入れ真似をしながら動いていく。

14:00
高橋さんの演奏がスタート
その後木野がリズムを追加、足踏みをしながら周遊する。
途中2歳児に音を出したら動くよと話しやってみる。まずは木野と2人で。その後他の子供達にも演奏役を変わってもらう。

14:10
大人たちの疲れ具合が気になりよく動いたから一回休みましょうーなどと言いながら寝転がるように促す。その間を高橋さんクラリネットと木野スカーフが波のように動いていく。見学していた方にレインスティックを委ね、一緒に雰囲気を作っていただく。
14:20
その後スカーフを子供達に委ね始める。子どもの中には楽器に興味を持つ子が出てきたので、小物楽器を委ねることにする。
チーム高橋がなんとなく出来上がり演奏部隊の音に合わせて皆が踊る空間ができあがる。

14:28
楽器やスカーフを集め、まとめの時間。子供達はもっと動きたい!!というものの、大人たちは結構限界。大人たちに子どもたちがこのように自由に動き回れる場所が減っている点や、大人が子供の目線に立って一緒に動くことの意味などをお話しし終了する。


終了後ファシリテーター講座受講者とともに振り返りを行う。
初回ということもあり、ファシリテートや即興という言葉の説明や、企画意図などもお話しする
今回はまず何も考えずにワークショップを味わってもらうべくそのまま参加しれいただいたが、そこで感じた感想を述べてもらった。また、ファシリテーター側のうまくいかなかったなと思う点や気に掛かった点をお話ししてもらう。
音楽とダンスは別のものではなく、同じ人の持つエネルギーであり、CDの音楽ではできない生演奏だからこその良さがあることをお話しした。また低年齢から高齢者まで様々な人がいろんな形で関われるような場所作りのために何ができるかというお話をした。
また、子供たちがすでに持っている可能性、創造性についてレッジョエミリアの話を元にお話しした。(レッジョの例を挙げるまでもなく、見ればわかることで皆さん納得してくれた)
緩やかな計画、それをフォローする複数のファシリテーターという環境は非常に恵まれた環境であるとも言える。しかしこの複数の視点が大事なのではないだろうかと感じる。音だけでもダンスだけでも成り立たない。そしてそれらは行き来しうる。

次回以降ファシリテーター講座参加者も含めともに何ができるか。次回は実は来週。遊びますよ。
この事業は文化庁予算です。どうなん?気持ちはありますが、とにかく今できることは着々と。私は多分一人でも続けていくと思う。たとえ予算がなくてもね。


鳥取大コーディネーターの蔵多さんが可愛い!ときにいっていたおもちゃは「かんぽんぽん」これを予算立てしたときに、「なんですか、これ?」と事務方に言われつつ仕入れてみました。実際2歳児しょうせいくんが気に入って叩いてましたが、これは西粟倉で作っている木製楽器(おもちゃ)。ビジュアル的にもちょっといい感じ。








鳥取銀河鉄道祭のできるまで6

鳥取銀河鉄道祭のできるまで6

鳥取銀河鉄道祭はもともとよそから来たアーティストが上演する形態でいいのか??という疑問から成り立っている。東京や海外からすごい人が来る、それを見ましょうということでは鳥取の芸術は育たない。またすごい人が来るから演出してもらいましょというのでもおかしい。
アーティストも、県民も同じ人だから。
私自身が神奈川から来た身ではあるけれど、東京の人すごいっておかしいなと思っていたので。
私は私に過ぎない。
そしてあなたはあなたに過ぎない。
この土地に住む人は東京の人が見れないような広い空や美しい海を見ることができる。表現者としてそのことは何物にも代えがたい。私自身故郷を離れて何十年と経つ今でも私が踊ると北海道の空が見えると言われる。どんな技術よりもその資質、経験は代えがたい。

鶴見俊輔の「限界芸術論」をもとに修論を書き、そんな中、イギリスのコミュニティダンスの先を行くとすれば祭ではないかと考えた。日本から古くからある祭は地域コミュニティを支えてきた。祭においては全ての地位が消え去り、カオスが生まれる。そのカオスの中にそれぞれの生が星のようにきらめいている。そこにアーティストと一般市民の差はない。

とりアートのこれまでの作品でも、また全国各地の市民参加型舞台の多くでも、東京などから来た有名アーティストが演出し(その台本作りに地域情報が組み込まれる)、その振り付けをみんなで達成するべく頑張った!みたいなことが基本形だった。鳥取の場合はさらにクラシカルな作品だったので、その枠組みに沿うように演出され、それを目指して作品は出来上がっていった。
しかし、それは新しい何かを作る行為なのだろうか。

伝統を受け継ぐ、それはそれでアリだと思います。歌舞伎も、能もそうやって続いていきた。しかしこの鳥取で、その後追いをして何になるのでしょうか。ずっと東京の後を追わねばならないのでしょうか。あるいはずっとアメリカやフランスの後を追わねばならないのだろうか。

明治期以来日本は西欧文明に憧れ、それを追い求め続けてきた。今でもそういう傾向はあると思う。でも、それでいいの?いや私は日本独自の何かを目指したいのではなく、安易に西欧文化に乗っかっている現状が嫌だということに気がついた。
バレエもコンテンポラリーダンスももちろんある種の技術として習得する価値はある。が、作家としての独自性を目指すのであれば全く違う動き方や体の使い方を生み出してもおかしくない。少なくとも私ならそうすると思う。

このコンテンポラリーダンスが全くない土地で新しい何かを生み出すとしたら、それはコンテンポラリーダンスとしての身体ではない新しい方法を出すことになるだろう。そんなことを思いこの作品はスタートしたのでした。

この計画に至るまでの修論(2016年2月提出)は3つに分けて鳥取大リポリジトリに上がっています。これを読むとなぜ鳥取夏至祭と鳥取銀河鉄道祭が生まれたのかがわかるので興味のある方はどうぞ。

そして「ダンスは体育なり?」のレクチャーデモンストレーションが現状のダンスの否定形として生まれたことがわかる。

こういうダンスしか認められないのであれば私はダンスを踊りたいとは思わない。ダンスという言葉を使いたいとも思わないし、むしろそれダンスじゃなくて体操って言い換えたほうがいいよね。辛辣なようだが、ダンスとはもともとどんなものであったのか。「ダンスは体育なり?」は鳥取では上演できていないですが、いつか理解していただける日が来て欲しいと思っている。

鳥取銀河鉄道祭のできるまで5

鳥取銀河鉄道祭のできるまで5

本当はケンタウル⭐︎自由市場を支えてもらいたいと思い実行委員に入ってもらった成清さんは元々は街かどコンシェルジュ。この鳥取中心市街地の隅から隅までを知る人材、かつ現在もとりぎん文化会館周辺の活性化のためのワーキンググループを担当している。
とりぎん文化会館周辺は赤十字病院の建て替え、市役所の移転があり、県庁前でありながら、ここまで駅前から人の流れを作ることが難しい状況になってきています。もちろん財団は様々な招致事業、コンサートなどを行なっているけれども、日常的に人が歩いている状況ではなくなっている。
実際にコンビニですらなくなる現状。地域にある高校、病院、県庁、飲食店、図書館と連動しれ昨年から議論が続いているがなかなか何もできていない。
この地域の人の少なさは昨年(2018年)鳥取夏至祭の町歩きで明らかになっていて、本来いろんな人に出会うための夏至祭なのに、と思った記憶がある。それと同時に危機感も感じた。
学校も多くある文教地区とも言われるこの地域に人が訪れるようにするにはどうしたらいいだろう、そんなこともあり、鳥取銀河鉄道祭はこの会場で行うことになった。

その後彼はなんと鳥取大学に所属することになり、今年small coreプロジェクトという学生が街中にアプローチしようとする動きを支援する助成事業を始めました。学生さんたちに話し、その助成を下に鳥取銀河鉄道祭と連動し、街中に拠点を作り作品作りをしていきましょうという美術部の拠点を作ることにした。こう思うと2年間(本当は3年)のクリエーションは長い。

なお、市役所移転は10月半ば。あの広い空間をどうするかは鳥取的には大きな問題で、古い建物ではあるけれど、アートセンターなどに転化していくことができたら変わっていくかもしれない。
そんなわけで成清さん自身は忙しいのかケンタウル⭐︎自由市場には参戦していませんが、美術部を裏から支えてくださっています。ありがとうー。

2019年9月28日土曜日

鳥取銀河鉄道祭のできるまで4

鳥取銀河鉄道祭のできるまで4

ケンタウル⭐︎自由市場を支えてくれているもう一翼が赤井あずみさん。普段は県立博物館でバリバリ働いているのですが、彼女の行なっているHOSPITALEプロジェクト(http://hospitale-tottori.org)と出会ったことで、鳥取夏至祭やこの鳥取銀河鉄道祭を開催することができるようになったといえます。

赴任して間もない頃2016年4月にあのHOSPITALE(旧横田医院)に一目惚れ、シカゴのダンサーさんたちが鳥取に来るというのでそこで作品(Mobius)を作ったことを皮切りにここで様々なアーティストに出会い、また招いてきました。


彼女の運営するコワーキングスペース「ことめや」は現在カフェミルキーウェイの拠点としてお借りしており、度々ワークショップを開催しています。遠隔地から来るスタッフたちのレジデンススペースとしても機能しています。例えばあの銀河ステーションの歌はことめやの和室のワークショップでつくられたんです。場所を持つのって大事だと思ったのでした。


この鳥取銀河鉄道祭はもともと鳥取芸住のネットワークを活かせないかと考えていたところから始まっていますが、現在でも各アーティストレジデンススペースは運営を続けています。HPや事務局はないのでわかりにくくなっていますが、探してみてください。


HOSPITALEプロジェクトはリサーチでも協力してくれていますが、その記事はまた後日。

鳥取銀河鉄道祭のできるまで3

鳥取銀河鉄道祭のできるまで3

tottoの副編集長濱井丈栄さんはフリーのアナウンサー。明るいスマイルとポジティブシンキングでラジオやイベントで大活躍、町のお祭りには欠かせない存在。鳥取東部地区で彼女のことを知らない人はいない、そんな存在です。今回ケンタウル⭐︎自由市場をまとめる係を担っています。
その幅広い人脈を生かしいろんなところに広めてくれています。

この銀河鉄道祭を作っていく中で、いくつか企画していながら忙しすぎて企画実現できなくなってしまったことのうちの一つが県立図書館での濱井さんの朗読講座。賢治の童話や絵本を読み聞かせる会などに発展できたらと思っていました。これはいつか(銀河鉄道祭が終了した後も)行いましょう。

ケンタウル⭐︎自由市場は原作内に出てくるケンタウル祭をイメージして開催するフリーマーケットです。現在参加者を募集中。
https://scrapbox.io/gingatetsudou-tottori/<出店者募集中!>ケンタウル☆自由市場
ケンタウルス祭だと思っていたら、原作をよく読むとケンタウル祭になっていたのでした。ちなみに英語だとCentaur。実行委員会一同読めない、、、そしてフリーマーケットはflea market(蚤の市の意味)やっぱり実行委員会一同読めない、、、。知らなかった。学びますね。

それはともかく、なぜフリーマーケットまで開くのかわからないとよく聞かれます。
従来劇場で行われる公演は客席にいる人だけがみられる閉ざされた空間でした。それゆえに暗転などの照明効果を使った演出もできますし、観客の集中力が保たれる時もあります。しかしとりアートのような多くの県民に参加してもらいたいイベントではできる限り多くの人に触れてもらうことが大事ではないかと考えました。音楽やダンスや演劇と自分は関係ないって思っている人がたまたまでも目にしてしまう、そんな機会を作り出す方法としてこの銀河鉄道のお話ごとお祭りにしてしまう、そんな構造を考え出しました。
11月2日3日は鳥取市の木の祭りや川端蚤の市、鳥取JAZZなど街中がワッと盛り上がる日程。そこで駐車場として車を止めに来るだけでなく、立ち寄ったら何か面白そうなことやっている、そんな時を作りましょうという企画なのです。
また人によって楽しいの基準は異なるので、様々な参加の形を作ることで新しい出会いの場を作っていければいい。だからぜひ遊びに来てください。

鳥取に限らず地方都市では残念なことに舞台芸術に触れたことがある子供はあまり多くはありません。そういう子供たちがたまたまとはいえ触れる機会になりますように。


みんなうっかりしていますが11月4日もスペシャル企画があるんです。それについてはまた後日。

鳥取銀河鉄道祭のできるまで2

鳥取銀河鉄道祭のできるまで2
鳥取に赴任して1年目よりとりアート(鳥取県総合芸術文化祭)のメイン事業の評価を求められ、芸術の評価ってなんだろうかと思うようになった。とりアートメイン事業はジャズのコンサートからオペラ、ダンスなど幅広く行われていて、何を持って質の高いとか、成功と言えるのかは私にはわからないと思われた。
しかし、様々なジャンルが交じり合う必要性があると思ったし、特殊な訓練を受けた外の人がやってきて舞台を行うというのも違うだろうと感じられた。頂点の伸長と裾野の拡大というが、高いって何が?
東京から、海外から出演者を招けばいいのかといえばそうではないし、鳥取にいる人面白い人たくさんいるよねと思うに至った。
そんな中急に(これは私の力ではなく)この事業が公募制となり一般市民が応募することができるようになった。
鳥取に来る以前より友人の友人であった水田美世さんは鳥取県のアーティストレジデンスフェスティバル鳥取芸住(残念なことに現在はウェブサイトがなくなっています、こう言うところに行政のやっておしまい感を感じて残念だと思います)を担当していたけれども2年で無くなってしまったと言う。それでもせっかくできたアーティストレジデンス団体のネットワークを生かすべくtotto(鳥取のアートウェブマガジン)を立ち上げようとしていたので、相談し、そのネットワークを活かしてとりあえず駄目元で企画書を出してみることにした。tottoは現在はファウンドを集めて運営を支えているけれども、基本ライターも編集者も手弁当で運営している。そう言うところはとても宮沢賢治的。
これまで私が自分で作っている作品はソロ作品がほとんどだし、予算規模も装置代込みで1万円以内で作っているとか、鳥取きて2年目だとか、そう言う明らかにおかしい状況の中、まずは出すだけ出してみよう!とチャレンジしてみたのが2017年の春(tottoも2017年4月よりオープンしています)。水田さん、そして副編集長の濱井さんは実行委員として名前を連ねていただきました。
tottoは現在、銀河鉄道の夜の原作を、鳥取に移住してきたイラストレーター鳴海梓さんのイラスト付きで掲載しています。門限ずのインタビュー記事なども読み応えあり。ぜひご覧ください。
ちなみに今上がっている記事はトリトリ(私が鳥取に来た理由?)のところです。
http://totto-ri.net/column_tottorigingatetudousai08/

2019年9月27日金曜日

表現の自由についてその後(20190927)

表現の自由についてその後(20190927)

あいちトリエンナーレについては第3者委員会により「表現の不自由展」展示再開の以降が示された同じ日に、文化庁からの助成金(補助金)7800万円が支給されないと言うことが明らかになった。
再開を目指したい(大村知事の言葉)
https://www.asahi.com/articles/ASM9T4RGFM9TOIPE01K.html?iref=pc_extlink
文化庁補助金交付せず

アーティストらによる団体(あいちトリエンナーレ出品作家)はxhange orgで署名活動を始めている。(私の周辺ではだいぶん広まりつつある)

1930年代、40年代も多くの表現に関する検閲が働いた。上演前の台本のチェックや発売禁止処分など「ダンスハ体育ナリ?」で扱っていたようにダンスの多くも禁止される。なので体育行進曲に合わせて動く(「くろがねの力」)のようなことが起きてしまう。しかし全てのダンスが禁止されていたわけではない。
宝塚も、石井漠も、江口宮も皆活動を続けている。ただし作品は「すめらみこと」「建国舞踊」であったり「麦と兵隊」であったりするし、慰問公演で何千人もの兵士の前で笑顔を振りまくことが求められたりするのだけれど。

当時、もちろん検閲もあったけれども30年代は特に自己規制によるものが多かった。レコードなども出してしまってから発禁処分になるとそのレコードの在庫が損になる。売れるものをと考えた結果エロ小唄は廃れ軍歌(「爆弾三勇士のうた」など)の時代に変わっていく。これに似たことはすでに教科書の検定で行われている。なので南京事件も慰安婦問題も見えてこない。なぜこの問題がここまで大きくなっているのか今の大学生は知らない。(2012年の教科書から慰安婦の記述が全ての教科書でなくなった。2016年検定で1社のみ補足がついている)つまり今の大学生にはなぜこの問題が取り上げられているのかをゼロから説明しなければならないし、彼らは普通の理解力で判断すると「なぜ問題なのかわからない」。


大変な時代になってきた。

2019年9月26日木曜日

豊岡フィールドワーク

鳥取大学では地域学部1年生向けの必修授業(「地域学入門」一般公開授業です)の中で中貝豊岡市長の話を聞くという時間があり、その延長戦で豊岡市に「市長の言っていることは本当か?」を見に行く地域フィールドワークという授業があります。その引率で豊岡市に来ています。

昨年はレジデンス中ということで何もできなかったのですが、今年は全行程を基本的に回るということで今日は出石地区(永楽館という明治期に作られた芝居小屋がある)と市役所で様々な部門の方のお話を聞きました。

永楽館の廻り舞台、スッポンと言った舞台機構使えるそうです。そして普通に貸し出しているところがすごいところで(実際に同窓会や演劇公演、カラオケ大会などに使われる)非常に興味深い。現在KIACに滞在中のshuffulyamambaも(照明は死者の書の時にもお世話になった三浦あさこさん)ここで上演予定。

そんなわけで今日、明日はコウノトリ関連施設やKIACを回っています。

2019年9月25日水曜日

鳥取銀河鉄道祭のできるまで1

鳥取銀河鉄道祭門限ズウィークが過ぎ去り実行委員会があり、具体的な活動がどんどん展開していく。劇場で行われていること以外にも自由市場や広報活動、映像上映など各セクションがフル回転で動いており、その全貌を出演者含め皆理解していないままというのはあまり良くないので、少しずつ紹介していきます。
そもそも銀河鉄道を作ろうと思ったのは2011年に遡ります。様々な事情により上演できなかったその作品の市民参加型のシーンだけでも映像化できないかとして作ったのがAmanogawaプロジェクトでした。当時住んでいた神奈川県の住宅街で一般の方々とのインタビューや実際に感じていることをお話ししたり、共有して作品を作りました。
劇場を使用した新百合ヶ丘版です。
その時に普通に暮らしているこの人たちが星なのだと思い、命の火というイメージを見出しました。
さらに自分の生まれ育った土地で作った札幌版は学校を使用し、それぞれの好きな札幌の景色を取り込んで作成しました。
映像を本来作る予定だったのですが、このワークショップで起きていること自体が大事なのではないかと全て文字起こしをし(短期間で行ったので誤字もあるけれど)テキスト化しました。
普段話さないような生と死に関わる内容はそのまま宝物のようなものです。
もともと舞台空間におけるラストシーンのイメージはMobius(2016)で実現させ、5人のダンサーと3人の音楽家で作ったのですが(イメージは南方曼荼羅を平面状に具現化させた状態)、賢治の理想は普通の人にあったような気がしたのでした。
Amanogawaプロジェクトでは観客に紛れていた人々が舞台上に上がっていき、現実世界へと帰っていくところまでが描かれており、それと同時に影として消えゆく存在でもあることがわかります。
生きることと死ぬことは合わせ鏡のようになっていて川面に映る夜景が星のように見えるように常に共にあります。ジョバンニとカンパネルラは別々の存在ではなく、全ての人がジョバンニであり全ての人がカンパネルラであるという構想が見えました。
私がこの9年作っている作品は全てどこかで銀河鉄道の夜の部分を拡大解釈したり、再読して作っているものなのですが、まだ唯一作っていないシーンはどこかといえば鳥捕りなのです。鳥取でトリトリ。冗談みたいですが鳥取で銀河鉄道、そして市民参加型、なおかつみんなの言葉で出来上がっているものという発想はこんな経緯で出来上がりました。
この週末も台風で大変でしたが、地震も含め多くの自然災害(原発問題についてはわたしはやはり人災だと思っています)が起こり、いつ誰の身にも起こりうることでもあります。全ての方のご冥福をお祈りすると共に、祈りの気持ちを込めて。単純に楽しいだけではない、大人が見るべき銀河鉄道を作っています。

https://amanogawa-project.jimdo.com/amanogawa-新百合ケ丘20120311/

2019年9月24日火曜日

佐渡についてその6

佐渡には現在使用されていないものも含め能舞台が多数ある。30くらいかな?と友人は話す。明治時代ごろまでは200くらいはあったらしく、各集落に能舞台があるくらいな状態。これって日本国内他ではない密度だと思う。

しかしながら過疎化もあり、管理する人がいなくなってしまった能舞台がいくつもあり、ちょっと悲しい。

こんなにあるのは世阿弥のせいかと思いきや実はそうではなく、江戸時代の金山奉行(お金ありそう)大久保長安さんが流行らせたらしい。(世阿弥さんも生きていたうちに10回くらいは舞ったらしいがそれ自体が流行を生んだわけではない様子)

友人が夜中の能舞台を撮影したら翌日風邪をひき祟られたかも、、、と話していたので、能舞台自体はむしろそれらの霊(魂)を鎮めるための場所なので大丈夫ですよと返す。
シテ方には何らかの霊(魂)が憑依したとしてもそれらをなだめそして昇華するのが能というもの。当然能舞台も神聖な場所。

現在はたとえ朽ちているように見えたとしても、元々は何らかの気のはったいい場所に建てられているものなのです。



2019年9月22日日曜日

佐渡についてその5

鬼はオヌ、オンからくるのではないかという説を聞く。
隠れるという文字は隠密などというようにオンと読むのだけれどその隠れた存在をいないものにしておくものがいつの時からか鬼となった。
鬼には暗闇がよく似合う。

どうしてもなまはげ的な、実際佐渡には鬼太鼓という芸能があってまさしく怖い鬼の面もたくさんあり、怖いものと思ってしまうが、隠れた存在は必ずしも恨みや妬みを持っていたのかというとどうなのだろうかと佐渡を見ていて思う。
ちなみに鬼太鼓も昼間に家々を回りながら行うものであり、集落ごとにタイプが異なる(大きく分けて3種類ある)。
今回私は岩首という集落の鬼太鼓を見せていただいた。はじめ2人の鬼(赤と黒)が舞うがその後助打ちなる若者が入れ替わって打つ。(鬼を休ませる意味で助けなのだと思われる、実際面や服装が重装備なのでかなりのハードワークでもある)つまり誰しもが鬼となる。
鬼が家々を回ることは脅しではなく、獅子(10人くらい入っていてとても巨大)とロウソ(翁にしか見えない)とともに祝うためのものでもある。この地では他の土地で怖がられ避けられる鬼がもしかしたらもっとみじかな存在なのかもしれない。
佐渡はある意味弱者(社会的、政治的)にも寛容な島であったのだろうと感じさせられる。


同行した友人は食べ物美味しいし、自然は美しいし、ある意味豊かだよねという。(ただし当時の住環境で北国の冬は確かにこたえたに違いない。)土地の人たちが貴人たちを受け入れ、そこから文化的な活動が活発に行われるような島であった。時間感覚が全く異なるけれどもそれは必ずしも不幸なことではないし、むしろ充実した時を過ごしていたのではないだろうかと。

世阿弥の金島書は金島集という名前で吉田東伍という地理学者が紹介しているのだそう。
締めの言葉はこんな感じ


あらおもしろや、佐渡の海、満目青山猶自つからその名を問へは佐渡といふ、こかねの島そ、妙なる。
 これをみん、のこすこがねのしまちどり、跡もくちせめ世世しるしに、


2019年9月21日土曜日

佐渡についてその4

通りかかりに図書館に行く。

旅の際にはできれば立ち寄るようにしている。図書館が難しい時には本屋。(海外に行ってた時には必ず音楽屋さんだった)
だいたい郷土資料という名前の元、その土地ならでは本が集められている。そしてやっぱり多い田中角栄本。(棚が一列田中角栄関連書籍になっていた)
カフェミルキーウェイに来ていた人が新潟行った時に新幹線に乗って、新幹線偉大だ、と思ったと話し、山陰新幹線通さにゃって思う人の気持ちがわかると話していましたが、新潟県民にとって作った人は今でも偉大な存在なのでしょう。

で、ここで気がついたのは
夕鶴の原作とも言える鶴女房の話はどうも新潟(佐渡)の話らしい。
大量の鬼関連書籍。
そして宮本常一。

鬼本は本当に多く、本間雅彦さんという方の書いたという鬼の研究がなんだかとても面白かった。そうしたらたまたまこんな新聞を発見。
https://www.asahi.com/articles/ASM8P3HFKM8PUOHB003.html
編者の池田さんに連絡を取ってみたらもう在庫がなくて、国会図書館に行かなきゃないんです(!!)とのこと。50部じゃ無くなるよね。でもある意味超貴重本だなあと思っていたら、いろいろ探してくださったようで池田さんのところにあった校正を貸してくださることになったのでした。
今の時代に埋もれちゃいそうな話に出会ってしまった。

とりあえずこういう在野の研究者のコツコツ仕事はすごいものが多くて、とても興味深いのです。この土地に住んでなきゃわからないことなどもたくさんあるので。民俗学はむしろその土地の人に教えていただくもの。(花祭も早川さんがいなければ折口も柳田も気がつくことはなかったわけです)私ももう少し勉強しなければ。


2019年9月20日金曜日

佐渡についてその3

佐渡島の上半分と下半分それぞれ大佐渡、小佐渡と呼ばれ雰囲気が変わる。大佐渡の方は海岸から隆起したばかりの岩場が多く、海もくらい。険しい自然のようだが美しい。ついて一番初めに訪れたところがいきなり「賽の河原」北端にほど近いところにある場所。その辺りの集落の名前は「願」念を込めているような気がしてくる。そして方角的には北向きの様子。近くのお店で「かきこおり」を発見。なんとおけさ柿を凍らせたからかきこおり。さっぱりして美味しいです。

小佐渡は北前船の港として栄えていた小木を中心とする。そこの少し西側羽茂地域を中心に見学。泊めていただいた西三川のご夫婦は奥さんが美大の出身で、旦那さんも写真を撮ったりもするそう。普段は地域の人たちの農作業を手伝ったりしているという。地元のりんごで作ったシードルをいただく。将来的にアーティストレジデンスなど作れたらと思っていらっしゃるとか。旦那さんによると羽茂(はもちと読む)の人の様々なこだわりが良いのだそう。

佐渡は現在佐渡市として一つの市にまとめられているがかつては10の市町村に分かれていた。それぞれの地域ごとに個性があり、それを束ねるのはなかなか大変だったらしい。そんな中今でも羽茂地区のみはJAが独立しているとのこと。
羽茂に限らず佐渡米は刈り取った後一度風に晒して干すのですが、そのことによってわずかに潮の香りを持ち美味しいのだとか。(コウノトリ育む米に似てトキと暮らす郷米があります)この島にとってはJAの力は偉大な様子。


2019年9月18日水曜日

佐渡島で銀河祭

現在鳥取で銀河鉄道祭を準備中なのですが、この佐渡でもさどの島銀河芸術祭というお祭りを行なっていることが判明。

星が綺麗だからという理由なのですが、(でもとりあえず月が照りすぎてて星があまり見えないという)その元になったのは松尾芭蕉の歌。
荒海や 佐渡によこたふ 天の川

(ちなみに芭蕉がこの句を詠んだのは新潟側からで佐渡で詠んだわけではない。またウェブなどの情報によれば詠んだ日と考えられている日にちは天の川が横たわっておらず、むしろまっすぐ上に伸びるようになっていたはずというようなこともあり、どこまでが想像上で詠んだものかは謎。ちなみにこの句を詠んだ日を新暦に換算すると私の誕生日なのだとか。色々マニアの人が調べてあげていますがどこまで正しいかはわかりません)

そもそも松尾芭蕉はあまりにもチェックしなさすぎて、え?そうなん?となりましたが、(友人からのメールに芭蕉の話が出ていて予言か!と衝撃を受けました)星取県鳥取県としては何かお友達になれそうな予感がしています。



そのお祭りの企画を行なっている皆さんとバスに揺られながらいろんな土地を周り、鬼太鼓なども見学しておりました。

今回一緒に動いてくれた寺田さんの作品「世阿弥の彼岸ボート」も拝見。素敵な棚田の一番上にぽこっと乗っている小さな小屋なのですが、絶景です。(岩首昇竜棚田のてっぺん付近にあります)

棚田を作っている方々も高齢化が進み、また棚田の景観を守りたいけれど、トラクターなどの大型機械で作業できない部分も多く人力で行わざるを得ない現状があるのだそう。そのため年々面積は狭くなってきており、オーナー募集を行なっていたり企業協賛をお願いしているのだそう。実は佐渡棚田はジアス(GIAHS 世界中用農業遺産システム)に登録されているのですが、世界遺産とかみんな知っているのにわかってもらえないと嘆いていました。。そのタイトルは「トキと共生する佐渡の里山」。
もしかして「コウノトリと共生する豊岡の里山」となんだか似ている。そしてイラストを見ているうちにトキとコウノトリがお友達のような気がしてきました。(実際には大きさもだいぶん異なります)

https://sadotanada.com

銀河祭は次回は2021年。トリエンナーレなんだそうです。(今年はあくまでシンポジウムなどのプレプレイベント)
ついでに鳥取銀河鉄道祭もアピールしてみました。


2019年9月16日月曜日

佐渡について

民俗芸能と呼ばれるものの多くが俗にいう不便な土地に伝わっています。
都会の影響をテレビやインターネットで受けるようになった今、そして若者流出が増え、過疎地の問題を抱える今でも、やはり人々が心動かされる芸能の多くは島嶼部などに多く残るんです。
実は結構いろんな民俗芸能を見てきて、それを元に作品作りを続けていて、行っていそうで行ってないところの一つに佐渡島があり、今年はそこにいくことになりました。

同僚の佐々木さんの友人で泉いねさんと寺田かおさんに誘われて突然設定された佐渡島旅。調べれば調べるほどやばい。世阿弥も日蓮も流された土地。そして数多くの能舞台。そして銀河祭やっている!とりあえず行かねばならないので行くことにしました。
すでに佐渡に何度も来ている2人がコーディネートしてくれた部分と銀河祭の方々が設定してくれた部分とで超短期間なのに濃すぎる佐渡探索になりました。

佐渡、ちょっと鳥取に似ています。
自然の感じもちょっと似ている。
でも佐渡は島なので、北側と南側で丁度気候の変わり目もあり、両方が混ざっているあたりが少しちがう。南の海流と北の海流が出会う場所。そして全ての種子がそこに集い実際にみかんの北限、りんごの南限にあたり両方をいただくことができる場所。おそらく多くの交流がこの日本海で行われ、実際に北前船の頃には、小木の瓦や壺や何もかもが本土で作られたものが輸入されていたという事実(そして佐渡からは米や海産物が運ばれた)を考えると、鳥取人としては是非とも調査をしたいところだったのです。
実際に過ごしながらその類似点を感じるとともに、繋がっていて、この繋がりは本当はものすごく豊かな文化の流れだったのではないかと思うのです。
現代では東海道をベースとした鉄道網で表日本が形成され、日本海側は裏日本と呼ばれがちですが、その前は違う流れがあったのではないか。むしろ朝鮮などとも結びつき、また北海道(アイヌ文化)も取り込んだ時代があったのではないか。
そんなことをうっすら思い、佐渡の可能性を探ろうと思います。

写真などはまた後日(つなぐものを忘れて接続できないんです)。


2019年9月13日金曜日

月下の踊子

今日は中秋の名月らしく、美しい月が見れました。
千葉や伊豆大島など台風の被害が出ているところも多々ありますが、それでもまた陽は昇り、月は照る。そんなことを思います。

戦争はなぜなくならないのだろうという素朴な疑問からロジェカイヨワの戦争論を読みました。
NHK100分の名著で取り上げられていたのですが、ちゃんと元の文読まなきゃと思って読んでみました。カイヨワさんは「遊びと人間」以来きのの論文に度々登場するのですが、この書は初めて。でもそういえば「人間と聖なるもの」でも同じようなことを言っていました。
戦争と祭は似ています。
「戦争と祭りはともに社会の痙攣である」
巨大な聖なるものに身を投じる行為であり、危険をあえて犯していくそんなところがまさしく。
人間の中にある闘争心、それは本能なのだということはわかってはいてもあまり認めたいとは思えなかったのです。
私は修士論文の中で舞踊の中にある種のカオスを求める衝動があり、ある時には破壊行動につながる危険性も有していることを指摘しています。作品「ダンスハ体育ナリ?その2」でもオリンピックで破壊されていく瓦礫の中から舞踏や様々なパフォーマンスアートが生まれてきたことを指摘し、ルールに則って人間の管理の中にあるスポーツとの根本的な違いを明らかにしてきました。
根本的に違うけれども、そのエネルギーを利用できないかとしてマイルドな形にまとめたのが鳥取夏至祭であり、銀河鉄道祭であると捉えています。
インド(ヒンドゥー)の神もまた創造神であると同時に破壊神で、破壊から生まれるものがあることを知りました。
それは私の周りで様々に起きていく人の死を自分で受け入れられるようになるために必要な旅であり、また作品製作であり、それらを通じて当事者研究のように自己を受け入れるようにと思っていました。
しかし、人間と聖なるものは確かに修論時に読んでいて、しかしそこを抜け落ちて忘れていたところが情けないのですが、もしかしたら、今気がつけと神様が言っているのかもしれません。おそらく避けることができないというこの事実。そしておそらくそれでも生き延びる人は生まれることでしょう。でも私はおそらく「ダンスハ体育ナリ?その2」で指し示すようにそこまでして生き延びていこうとは思わない。大野一雄が敵を目前にして逃したように(逆に逃げたように)。

このような悲劇の繰り返しの上に私たちは生きており、それを見続けていたのが月であり、そしてこの月は世界のどこにでも同じように照り輝いている。月の光の下で踊りましょう。今日は踊るにはいい日です。(明日も満月のようでいいでしょう)


おまけ
スコットランドからアンジーさんという演劇の人が来てお話しする。なんだか盆踊りに興味があるらしく、いろいろ教えてあげた。専門だから詳しくて当たり前なんですけれど。今年行った新野の盆踊りまで説明する。先月のマリアに引き続きやはり皆盆踊りに興味がある様子。


「月下の踊り手」は牧野先生の作品。踊ることしかできないのだろうか、そんなことも思いつつタイトルにさせていただきました。


2019年9月11日水曜日

ジェンダーとハラスメント

今回あいちトリエンナーレに関連したトークの会に行ったときに聞くことになった、アート業界のハラスメントに関する問題について。

私はアート業界の人間ではないし、この方々のことを知らないので、ここに関して書くことは避けたい。(この内容は結構深刻で、しかし両者の言い分が聴けているわけでもないので、断定もできない)しかしあいちトリエンナーレの元々の設定として作家のジェンダー比率を考慮して選定した事やテーマ的にもジェンダー問題を取り上げた作品が多かった。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5c9ab498e4b08c450ccd7da6
私自身がこの仕事についている時の公募条件が女性限定募集だったりしたこともあり、ちょっと複雑な心境なのだが、ダンスカンパニーも振付家の多くが男性で、ダンサーは女性が多く、そして大概女性が制作を引き受けているというある種の偏りがあると思う。そもそもクラシックバレエなどのように女性ダンサー比率が明らかに高く、男性はお金をもらって踊るのに女性はパートナーの男性にお金を貢がねばならない発表会システムのせいもあり、このあたりは考えをきちんとまとめなければという気がしている。

幸か不幸か私の周りには私よりははるかに女性的要素を持つ男性リーダーが多く、本人がさつな割に周りが優しくサポートしてくれる環境にいることが多かった。(多大なご迷惑をおかけしている可能性が高く、そこは申し訳ない)大きな役職に就かないできたこともあり、あまり被害らしい被害を受けないできているが、全くないわけではないので、基本的にこれ以上人を引き寄せないように努力するというダンサーとしてはあり得ないベクトルがある。私はそういうものだと思っていたが、普通はそうはならないらしい。誤解や嫉妬も含め、そこにとらわれるくらいであれば、論外な人になる方が良いと思う。

これを私はパンダ化と呼ぶ。

それでも難しいときには一つところにこだわらず飛び越えるというだけのことで、それゆえずっと同じところにいることができない。芸能者はある種そういうものだと感じている。男性がリーダーでも女性がリーダーでも良いのだが、個人的にはリーダーという呼称すらなくなり、皆が並列な関係性でいることができるようになることが理想だと思う。だから出入りもする。

強権的になるのは男性だけではないし、女性にもそういう人はいる。
男性だからとか女性だからではなく、女性だから身を引かなきゃではなく、いつでも飛び越える自由を持つということ、そういう逃げ場を有しているということが男女ともにあると良い。

多くの罪がカルマのようなものであるとするならば、それを受け入れ浄化していく他ない。距離は関係なく、繋がっているからこそ、せめて穏やかな時を過ごしていけるように。逃げることは必ずしも悪いことではない。静かにあり続けることの方が実ははるかに大変だけれど、凪を待つ。







表現の自由について、その後(20190911)

表現の自由問題は新しい局面を迎えた。
アーティストたちが連名で新しいプロジェクトを立ち上げることになり、対話の場を自分たちで設定し始めた。
https://camp-fire.jp/projects/view/195875

一度ある種の検閲を受けて中止になったものが再開するということはまずあり得ない。が、それを実現できないか。
公的なお金ではなく、それが必要だと思う人の支えを得ながら。

電凸と呼ばれる現象がマニュアルによって拡散され、実行されていく(ある種のお仕事として成り立っていたりする)現状がある。見えない敵と戦うすべはおそらく個人の声であり、一人一人が自分の考えを持って行動していくという当たり前のことなのではないかと思う。

このしばらくの間に実際の展示を見にいったほか、
ONPAMのミーティング、
http://onpam.net/?p=3835
CAMPのミーティング
https://ca-mp.blogspot.com
などに参加してみて、オープンミーティングの限界を感じたりもした。あまりにも立場が異なる人がそれぞれに意見を言ってもあまり通じない。そしてまとめる際にどうしても言葉が抜け落ちる。それでも実際に顔を見て話すことがどれだけ大切なことかということを改めて感じた。
また、クローズドの回だからこそ語られる問題もあり、(今回特にCAMPのミーティングはメンバーのハラスメント疑惑から来る離脱なども含まれている。この問題については別途記載)公開はされていないが、同時代に生きる作家の一人として共有できてよかったと思う。
アートの人たちの危機感はパフォーミングアーツの人間のそれよりもかなり際立っているとつくづく感じる。

劇場芸術は助成金なしでは回らない状況で(これも会議の中で出てきた言葉)、だからかそんなに声をあげる人が見えてこない。
でもそれで良いのだろうか。

みてそれに反発する権利はある。
抗議をする人もいるだろう。
しかしそれをみられなくする、あるいは無かったことにするということはどうなのか。
どんな時代でも芸術はある種の軋轢、ざわめきを生み出して存在している。
生きることの意味、引っかかり、それは全てが解決できる問題ではないからこそ、芸術作品が生まれ、私たちに永遠の問いを投げかける。
300年前、500年前の絵画が、音楽が、戯曲が当時解決できなかったことを今の私たちに突きつけてくる。そして今も解決はできない、しかしそれを考えることができる。

なかったことにするよりも、そこから生まれる対話こそが豊かであると私は信じたい。

だからダンスというジャンルを選んでいる。最近はあまりにも入り組んだ情勢すぎてレクチャーパフォーマンスになってしまっているけれども。



NHKクローズアップ現代であいちトリエンナーレを取り上げた回も参考になるかと思うので、ぜひ見てみてもらいたいと思う。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4324/index.html

2019年9月9日月曜日

作品とはどこからを指すか

小林勇貴くんのジェンダーとセクシュアリティに関するショーイングを見にいく。

昨年DNAでご一緒し、スポーツと身体というテーマもあり、お話ししていたので、タイミングがあったついで(ごめん)見にいくことにした@ゲーテインスティチュート。

ゲーテさん昨年の「ダンスは体育なり?」も見てくれて喜んでくれていたのだけれど、非常に自由度が高く、面白い試みを行っている。今回は小林くんのレジデンスとホールでの発表ということになっていたが、そのレジデンススペース(アパート)もパフォーマンス会場として解放し、観客もパフォーマーも行ったり来たりしている。

1週間の間、午前中に簡単なトレーニングと、午後、夜はジェンダー問題などを話し合ったり、即興を行ってみて色々言い合ったりということを繰り返し、各アーティストがやりたいことをやるという形になっている。つまりディレクションは入っていない。
ショーイングを行い、講評があるが、でもこれは何を見せたいかという「作品」と言えるのだろうかと思うと疑問が残る。

ジェンダーやセクシュアリティといった大きな問題は個人ごとに考え方が異なり、その違いを露呈させていくためにもこのような同時多発的なかつ即興性も含めた柔軟なストラクチャーを作り、個々人に演出を委ねるということがおこる。
これは私の場合でいうと鳥取夏至祭で試みていることと似ている。各個人が自立し、主体的に参加するためにできる限り口を挟まない。皆が動きやすいように交通整理は行うけれども、相互協力を促していく。
つまり私(あるいは小林くん)の存在は失われていく(理論上は)。
今回はタイトルにジェンダーとセクシュアリティと入れていることもあるし、そのような活動をしている人が集まっていたのである種の偏りが生まれており、それがキュレーションと言えなくもないが、それは作家小林くんとはまた別のものだ。

このようなトライアルが増えていくことは好ましいと思うし、また問題を深めていくことができればいい。そしておそらく作品としては製作過程をドキュメント化していくことで様々な意見のあり方、多様な社会を見えるようにしていくことができる。しかしそうなっていくとパフォーマンスとしてのショーイングの意味は減る。これはAmanogawaプロジェクトと同じ。
つまりコンテンポラリーダンスやコンテンポラリーアートが多様性を打ち出せば打ち出すほど、そのような形でのある種の参加型かつ緩やかな構成のある表現に行き着くしかないのではないかとも思う。プラーターナーを見たときにもちょっとそんな感じはした。もちろんフィックスしているところが増えていくのだけれども。各出演者が担っている比率が高くなる。

パフォーマンスというジャンルは(ダンスもだけれど)インパクトが求められがちで、特にセクシュアリティというテーマになるとどうしても裸体による表現や服を着るか着ないか問題に言及してしまう。そしてある種わかりやすい記号化された身体に収まってしまいがちで、そこなのかなということは少し思う。服装、靴、長い髪、はだか、ペインティング、白塗り、1960年代のパフォーマンスが彷彿とされるカオス空間。ちょっと舞踏の人たちに近くてある種の先祖返りみたいな何かを感じる。今、私たちはどこにいる?

家が揺れる

嵐に遭遇し、家が揺れた。
驚くべきことに家全体が揺れるのが身体にわかり、家に守られていると思った。あくまで私の家ではないのだけれど、ご先祖様に守られているということだろう。

久々に絵に描いたような台風に遭遇し帰りのルートが危ういのだけれど、(そもそも今日この後打ち合わせ)家の片付け、様子見もできたので遭遇は大変だけれどよかったと思う。
色々自然災害が増えている。
こういう時だからこそ丁寧に祈ることが必要だと思う。

2019年9月6日金曜日

カルマとまんまる

銀河鉄道祭に出演してくれている丸さんのお引越しをお手伝いしに行く。
鳥取でカルマという喫茶店をやっている(東京にもお店があります)のだけれど、自宅の1階部分を解放できるような空間(まんまる)、を作ったという。
丸さん、本が好きで、レコードも好きで、古道具も販売(お店で小物などを売っている)する関係で集めていてものすごい量の荷物で、大変なことに。
でもみんなでやると結構早く片付くもので、こうして鳥取にまた新しいスペースができました。設計は木下くん(キノP。おかげで私はキノP 2号と呼ばれる)。
拠点を持つ(作っちゃう)っていうのはちょっといいなあ。
(先日占い師に一つ所に止まるのは無理と宣言されてしまい、流浪の民の身としてはやはり羨ましい)
そんなわけで美味しいご飯とパンをご馳走になりました。

その山積みの本の中になぜか寺山修司の「死者の書」が。
ものすごい大量の本の中でなぜかぽろっとおっこっていた(そういうことがよくある。本が光っていたとか冗談みたいだけれど。この2、3年くらいはそういうことの連続)
冒頭に折口の言葉が入っているだけで全く死者の書に沿ってはいない。昨年死者の書朗読会の時に見つけてこれ、まさしく私向けの本と思ったけれど、またこうやって出会う。
この本の中でなぜか寺山さんオリンピックについて話すんですね。
黒い9月のオリンピック。(ミュンヘンオリンピック)その時の演目は走れメロスなんだけれど、そのセット広場で燃やしちゃうパフォーマンスを行った時の話が出ている。40年以上前だけれど、あまり変わっていない(いや悪化している)今の現状。その頃ダンスハ 体育ナリ?と合わせて動いていたせいもあり、すごい組み合わせだけれど、これ読めってことだろうと思うのでした。忘れてるだろう!ほら読め!みたいな。
たまにそういう神のお告げみたいなのが来る。

最近だとシュタイナーと宮沢賢治とか。




2019年9月4日水曜日

石狩支部合同公演

ダンスの人間として暮らしているが、高校時代と大学を出てすぐくらいに演劇を行なっていた時代がある。その高校時代に「銀河鉄道の夜」を上演しており、A高校では歴代引き継がれてきた。
部員も少ない(どこの演劇部もそうです)ので登場人物皆スタッフ掛け持ち。
北村想版とも高校演劇の戯曲集からとも言われつつ、どうも当時の顧問Y氏が色々手を入れてくれているものを使っていたのだと思われる。

先日石狩の高校演劇のドン本山節也さんが亡くなったと聞き、友人先生がその思い出話を書いていてくれたのを読んでいたら、宮沢賢治が出てきていて驚く。自分が出ていた合同公演の数年前に銀河鉄道を作っていたらしく、それが元になって私の高校でも上演するようになり、そして今の銀河鉄道を作るという思いつきにつながっているらしい。
おそるべし、高校演劇の力。
当時札幌圏(石狩支部という名称)の高校演劇部が集まって1年に一回大きな舞台で行う作品作りを行っていた。(私の年はオンディーヌとお気に召すままで結構定番古典劇だけれども、そういうものばかりとは限らない。)それ自体はそんなに大きなことではないけれども、その時一緒にいた私の世代から舞台で生きていくようになった人が何人もいる。劇団を作った子も、照明家になった子も学校の教員として演劇を教える子もいる。私もある意味演劇ではなくダンスとはいえ身体表現をお仕事としている。中学、高校時代に何をしているかはかなり大きな影響を及ぼすと感じ、SPAC enfantの仕事などに関わってきた。

触れていなければそれを仕事にしようとか、目指そうとは思わない。始めに経験してみることが大切で、そういう機会を作っていくことが必要なんだなと感じる。
まさか宮沢賢治で北海道に繋がるとは。


福島三部作

Dull Clour Pop(劇団名です)の福島三部作を見る。

福島を題材に福島出身の劇作家が描いた三部作の連続上演。3作品それぞれ2時間計6時間の超大作。原発ができる前の誘致の頃の話、原発にどっぷり浸かっている当時の話、そして東日本大震災後の話。それぞれが重く、また現代の日本をあぶり出しており、色々考えさせられる。

現代の世相を切り取る演劇って実は少なくて、ブレヒトやチェーホフやシェークスピアや様々な古典劇を翻案している上演(今の時代で捉えるならば、あるいは〇〇に置き換えてみるなど)が多くあるが、なぜだろうと思っていた。コンテンポラリー演劇って言うのだろうか。今この日本で起きていることは前代未聞なことが多すぎて、特に福島については未だ見えないことが多くある。そこに切り込んでいると言う点でもとても良いチャレンジだと思って見に行った。(当日券ダッシュ、しかも大阪だから)

そして気がついたのは演劇とは叫べない人の代わりに叫ぶ行為なのだと言うこと。能の場合は死者だし、今回の戯曲もすでにこの世にいない人といるけれど、声に出せていない人たちの言葉を精一杯叫んでいた。
懐かしの小劇場演劇を思い出し、熱演をみる。
ダンスの人間としてはそこまで叫ばないなあ。レクチャーパフォーマンスは叫んでいて結構近い。(演劇とダンスの中間くらいのところだと我ながら思う)でも当事者だからか、おそらくそれを笑いに転嫁する。演劇の場合自分じゃないものだから振りきれるのかと言う当たり前のことを認識する。

福島の話は終わっていない。
まだ続いていて、そして、都会ではそれを見ないことになっている。それを明らかにすることがこの芝居の目的だとしたら、それは正解だ。オリンピックという大きなイベントにごまかされ、飲み込まれそうになっているけれど、そこでもう一度見るための公演。
今回都市部(東京、大阪)の次に福島で公演を行うという。その渦中の人々はどのように受け止めるのか、とてもきになる。そんなに簡単ではない。でもこの芝居を見て、こんなんじゃないと言い始める人が出てきたら、それはとても意義あることだと思う。

何も終わっていないし、何も解決していない。
しかし原発は再び動き出そうとしている。

それを経済成長と呼ぶのであれば成長しないあり方を考えたいと私は思う。

2019年9月1日日曜日

防災の日

9月1日は関東大震災の日ということ防災訓練の日でもあります。首都圏の人は特に職場や学校で訓練があったのではないでしょうか。
(鳥取は大学は少なくともないようです、夏休みで誰もいない)

関東大震災の時、外国人の人に対する様々な排除が起きました。誹謗中傷、攻撃。噂や勝手な思い込み、イメージでそれらはどんどん広がってしまいました。今、中国、韓国との関係性が危うくなってきていて、そして災害はどんどん増えていて、そのようなことにつながらないことを祈りたいです。

海外に生きていたことがある身としては、自分がマイノリティである時の感覚がわかります。様々な生活習慣のある人たちと折り合いをつけながらやっていく。急激に移民、外国人労働者を受け入れるようになっていったときに、上から目線ではなく、ちゃんと同じ人として話すことができているか、少し考える必要があります。雇って”あげている”とおもっていませんか。大変そうねとか。
なんとなく資本主義経済を利用した植民地化のような感触がして、私はしっくりきていません。日本国内は人が足りないというけれども、働くことができない人はたくさんいる。その大変な仕事を任せてしまえばいいと思っているかのような。そもそも人として働くとは生きるとはどういうことだったのでしょうか。

銀河鉄道の夜を書いた宮沢賢治の時代も様々な地震、災害があり、そんなに豊かな暮らしができていたわけではありません。賢治の家は豊かで、彼自身は働かずとも暮らしていけるそういう環境にいて、しかし農民としての生き方を目指そうとします。(現実的にはうまくいかず断念)まことのみんなの幸せのために、自分は何ができるだろう、そう思ってこの作品は書かれました。そのみんなは自分や家族という枠組みを超えておそらく世界中の人々を想定していたものと思われます。(なので、エスペラント語を習ったり、日本国内の枠を超えたイーハトーボのイメージが生まれる)

自分が勝てばいい、
自国が良ければいい、
お金があればいい、
そういう時代は終わったのではないか。
そう思う私の世代は結構多くいて、しかし世の中はその逆方向に進んでいく、ある一定の年齢以上の人の経済成長神話によって。
人の幸せとは何か。経済が豊かになれば幸せなのか、隣の苦しんでいる人無視できるのか、じゃあその隣はどこまでなのか。

鳥取は小さな県です。
経済的に頑張っているけれど、でもそんなに豊かな方ではないです。でも経済ではない様々なところは豊かです。自然も生活のゆとりも、人の優しさもある。そういう県だからこそ、今こういう作品、お話を普通に暮らしている老若男女が作り上げることに大きな意味があると思います。

本当の幸せはそう簡単にはわからないものかもしれないですが、隣に住んでいる人がたとえ他の国の人であったとしても同じ人として笑いあえる、そういう未来を選択したいものです。そしてあのような悲劇をまた選んでしまわないように、と私は思います。(だからレクチャーパフォーマンス作りました。再演どこでも行きますよー)

銀河鉄道は走り続けています。

銀河鉄道ワークショップは着々と進んでいて、正しくはあまりにも濃密すぎる時間を皆が体験し続けています。
今日は強引に全てのシーンをやってみて、イメージを掴んでみるという。ダンスチームいないけれど、もうみんなダンスも踊っちゃう。(代わりの役としてやってみたりする)
音楽も、ダンスも、演劇も全てが混じった形で皆が全員参加で何かできることがないかと探しながらとにかくやってみる。そうやっているうちに周りで何ができているか、何が必要か、たりないか、がわかっていくという。
皆休んでいる暇がない。休憩もない。
よく頑張った。午前中からやっているうちに演劇チームのgirlsなんて小学生!だけど集中力きれないでやりきった。

またこの間にも別会場で鳥取壮年少女合唱団さんや鳥取西高さんの練習が入ったり。

そんな裏で作品のチラシが出来上がり、
ついでにフリーマーケットの出店者募集チラシも校正を行なっていて、ちょっとしたカオス。間にどんどん違う話が来る。

夏至祭のカオスもかなりなもんだけれど、それ大人数でやっていると思っていただくといいと思います。
カオスの鳥取。
見にくる価値ありだと思います。
色々おかしなことが起きています。