2019年9月16日月曜日

佐渡について

民俗芸能と呼ばれるものの多くが俗にいう不便な土地に伝わっています。
都会の影響をテレビやインターネットで受けるようになった今、そして若者流出が増え、過疎地の問題を抱える今でも、やはり人々が心動かされる芸能の多くは島嶼部などに多く残るんです。
実は結構いろんな民俗芸能を見てきて、それを元に作品作りを続けていて、行っていそうで行ってないところの一つに佐渡島があり、今年はそこにいくことになりました。

同僚の佐々木さんの友人で泉いねさんと寺田かおさんに誘われて突然設定された佐渡島旅。調べれば調べるほどやばい。世阿弥も日蓮も流された土地。そして数多くの能舞台。そして銀河祭やっている!とりあえず行かねばならないので行くことにしました。
すでに佐渡に何度も来ている2人がコーディネートしてくれた部分と銀河祭の方々が設定してくれた部分とで超短期間なのに濃すぎる佐渡探索になりました。

佐渡、ちょっと鳥取に似ています。
自然の感じもちょっと似ている。
でも佐渡は島なので、北側と南側で丁度気候の変わり目もあり、両方が混ざっているあたりが少しちがう。南の海流と北の海流が出会う場所。そして全ての種子がそこに集い実際にみかんの北限、りんごの南限にあたり両方をいただくことができる場所。おそらく多くの交流がこの日本海で行われ、実際に北前船の頃には、小木の瓦や壺や何もかもが本土で作られたものが輸入されていたという事実(そして佐渡からは米や海産物が運ばれた)を考えると、鳥取人としては是非とも調査をしたいところだったのです。
実際に過ごしながらその類似点を感じるとともに、繋がっていて、この繋がりは本当はものすごく豊かな文化の流れだったのではないかと思うのです。
現代では東海道をベースとした鉄道網で表日本が形成され、日本海側は裏日本と呼ばれがちですが、その前は違う流れがあったのではないか。むしろ朝鮮などとも結びつき、また北海道(アイヌ文化)も取り込んだ時代があったのではないか。
そんなことをうっすら思い、佐渡の可能性を探ろうと思います。

写真などはまた後日(つなぐものを忘れて接続できないんです)。


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