2019年9月25日水曜日

鳥取銀河鉄道祭のできるまで1

鳥取銀河鉄道祭門限ズウィークが過ぎ去り実行委員会があり、具体的な活動がどんどん展開していく。劇場で行われていること以外にも自由市場や広報活動、映像上映など各セクションがフル回転で動いており、その全貌を出演者含め皆理解していないままというのはあまり良くないので、少しずつ紹介していきます。
そもそも銀河鉄道を作ろうと思ったのは2011年に遡ります。様々な事情により上演できなかったその作品の市民参加型のシーンだけでも映像化できないかとして作ったのがAmanogawaプロジェクトでした。当時住んでいた神奈川県の住宅街で一般の方々とのインタビューや実際に感じていることをお話ししたり、共有して作品を作りました。
劇場を使用した新百合ヶ丘版です。
その時に普通に暮らしているこの人たちが星なのだと思い、命の火というイメージを見出しました。
さらに自分の生まれ育った土地で作った札幌版は学校を使用し、それぞれの好きな札幌の景色を取り込んで作成しました。
映像を本来作る予定だったのですが、このワークショップで起きていること自体が大事なのではないかと全て文字起こしをし(短期間で行ったので誤字もあるけれど)テキスト化しました。
普段話さないような生と死に関わる内容はそのまま宝物のようなものです。
もともと舞台空間におけるラストシーンのイメージはMobius(2016)で実現させ、5人のダンサーと3人の音楽家で作ったのですが(イメージは南方曼荼羅を平面状に具現化させた状態)、賢治の理想は普通の人にあったような気がしたのでした。
Amanogawaプロジェクトでは観客に紛れていた人々が舞台上に上がっていき、現実世界へと帰っていくところまでが描かれており、それと同時に影として消えゆく存在でもあることがわかります。
生きることと死ぬことは合わせ鏡のようになっていて川面に映る夜景が星のように見えるように常に共にあります。ジョバンニとカンパネルラは別々の存在ではなく、全ての人がジョバンニであり全ての人がカンパネルラであるという構想が見えました。
私がこの9年作っている作品は全てどこかで銀河鉄道の夜の部分を拡大解釈したり、再読して作っているものなのですが、まだ唯一作っていないシーンはどこかといえば鳥捕りなのです。鳥取でトリトリ。冗談みたいですが鳥取で銀河鉄道、そして市民参加型、なおかつみんなの言葉で出来上がっているものという発想はこんな経緯で出来上がりました。
この週末も台風で大変でしたが、地震も含め多くの自然災害(原発問題についてはわたしはやはり人災だと思っています)が起こり、いつ誰の身にも起こりうることでもあります。全ての方のご冥福をお祈りすると共に、祈りの気持ちを込めて。単純に楽しいだけではない、大人が見るべき銀河鉄道を作っています。

https://amanogawa-project.jimdo.com/amanogawa-新百合ケ丘20120311/

0 件のコメント:

コメントを投稿