2019年9月11日水曜日

ジェンダーとハラスメント

今回あいちトリエンナーレに関連したトークの会に行ったときに聞くことになった、アート業界のハラスメントに関する問題について。

私はアート業界の人間ではないし、この方々のことを知らないので、ここに関して書くことは避けたい。(この内容は結構深刻で、しかし両者の言い分が聴けているわけでもないので、断定もできない)しかしあいちトリエンナーレの元々の設定として作家のジェンダー比率を考慮して選定した事やテーマ的にもジェンダー問題を取り上げた作品が多かった。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5c9ab498e4b08c450ccd7da6
私自身がこの仕事についている時の公募条件が女性限定募集だったりしたこともあり、ちょっと複雑な心境なのだが、ダンスカンパニーも振付家の多くが男性で、ダンサーは女性が多く、そして大概女性が制作を引き受けているというある種の偏りがあると思う。そもそもクラシックバレエなどのように女性ダンサー比率が明らかに高く、男性はお金をもらって踊るのに女性はパートナーの男性にお金を貢がねばならない発表会システムのせいもあり、このあたりは考えをきちんとまとめなければという気がしている。

幸か不幸か私の周りには私よりははるかに女性的要素を持つ男性リーダーが多く、本人がさつな割に周りが優しくサポートしてくれる環境にいることが多かった。(多大なご迷惑をおかけしている可能性が高く、そこは申し訳ない)大きな役職に就かないできたこともあり、あまり被害らしい被害を受けないできているが、全くないわけではないので、基本的にこれ以上人を引き寄せないように努力するというダンサーとしてはあり得ないベクトルがある。私はそういうものだと思っていたが、普通はそうはならないらしい。誤解や嫉妬も含め、そこにとらわれるくらいであれば、論外な人になる方が良いと思う。

これを私はパンダ化と呼ぶ。

それでも難しいときには一つところにこだわらず飛び越えるというだけのことで、それゆえずっと同じところにいることができない。芸能者はある種そういうものだと感じている。男性がリーダーでも女性がリーダーでも良いのだが、個人的にはリーダーという呼称すらなくなり、皆が並列な関係性でいることができるようになることが理想だと思う。だから出入りもする。

強権的になるのは男性だけではないし、女性にもそういう人はいる。
男性だからとか女性だからではなく、女性だから身を引かなきゃではなく、いつでも飛び越える自由を持つということ、そういう逃げ場を有しているということが男女ともにあると良い。

多くの罪がカルマのようなものであるとするならば、それを受け入れ浄化していく他ない。距離は関係なく、繋がっているからこそ、せめて穏やかな時を過ごしていけるように。逃げることは必ずしも悪いことではない。静かにあり続けることの方が実ははるかに大変だけれど、凪を待つ。







0 件のコメント:

コメントを投稿