2019年9月1日日曜日

防災の日

9月1日は関東大震災の日ということ防災訓練の日でもあります。首都圏の人は特に職場や学校で訓練があったのではないでしょうか。
(鳥取は大学は少なくともないようです、夏休みで誰もいない)

関東大震災の時、外国人の人に対する様々な排除が起きました。誹謗中傷、攻撃。噂や勝手な思い込み、イメージでそれらはどんどん広がってしまいました。今、中国、韓国との関係性が危うくなってきていて、そして災害はどんどん増えていて、そのようなことにつながらないことを祈りたいです。

海外に生きていたことがある身としては、自分がマイノリティである時の感覚がわかります。様々な生活習慣のある人たちと折り合いをつけながらやっていく。急激に移民、外国人労働者を受け入れるようになっていったときに、上から目線ではなく、ちゃんと同じ人として話すことができているか、少し考える必要があります。雇って”あげている”とおもっていませんか。大変そうねとか。
なんとなく資本主義経済を利用した植民地化のような感触がして、私はしっくりきていません。日本国内は人が足りないというけれども、働くことができない人はたくさんいる。その大変な仕事を任せてしまえばいいと思っているかのような。そもそも人として働くとは生きるとはどういうことだったのでしょうか。

銀河鉄道の夜を書いた宮沢賢治の時代も様々な地震、災害があり、そんなに豊かな暮らしができていたわけではありません。賢治の家は豊かで、彼自身は働かずとも暮らしていけるそういう環境にいて、しかし農民としての生き方を目指そうとします。(現実的にはうまくいかず断念)まことのみんなの幸せのために、自分は何ができるだろう、そう思ってこの作品は書かれました。そのみんなは自分や家族という枠組みを超えておそらく世界中の人々を想定していたものと思われます。(なので、エスペラント語を習ったり、日本国内の枠を超えたイーハトーボのイメージが生まれる)

自分が勝てばいい、
自国が良ければいい、
お金があればいい、
そういう時代は終わったのではないか。
そう思う私の世代は結構多くいて、しかし世の中はその逆方向に進んでいく、ある一定の年齢以上の人の経済成長神話によって。
人の幸せとは何か。経済が豊かになれば幸せなのか、隣の苦しんでいる人無視できるのか、じゃあその隣はどこまでなのか。

鳥取は小さな県です。
経済的に頑張っているけれど、でもそんなに豊かな方ではないです。でも経済ではない様々なところは豊かです。自然も生活のゆとりも、人の優しさもある。そういう県だからこそ、今こういう作品、お話を普通に暮らしている老若男女が作り上げることに大きな意味があると思います。

本当の幸せはそう簡単にはわからないものかもしれないですが、隣に住んでいる人がたとえ他の国の人であったとしても同じ人として笑いあえる、そういう未来を選択したいものです。そしてあのような悲劇をまた選んでしまわないように、と私は思います。(だからレクチャーパフォーマンス作りました。再演どこでも行きますよー)

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