2019年9月22日日曜日

佐渡についてその5

鬼はオヌ、オンからくるのではないかという説を聞く。
隠れるという文字は隠密などというようにオンと読むのだけれどその隠れた存在をいないものにしておくものがいつの時からか鬼となった。
鬼には暗闇がよく似合う。

どうしてもなまはげ的な、実際佐渡には鬼太鼓という芸能があってまさしく怖い鬼の面もたくさんあり、怖いものと思ってしまうが、隠れた存在は必ずしも恨みや妬みを持っていたのかというとどうなのだろうかと佐渡を見ていて思う。
ちなみに鬼太鼓も昼間に家々を回りながら行うものであり、集落ごとにタイプが異なる(大きく分けて3種類ある)。
今回私は岩首という集落の鬼太鼓を見せていただいた。はじめ2人の鬼(赤と黒)が舞うがその後助打ちなる若者が入れ替わって打つ。(鬼を休ませる意味で助けなのだと思われる、実際面や服装が重装備なのでかなりのハードワークでもある)つまり誰しもが鬼となる。
鬼が家々を回ることは脅しではなく、獅子(10人くらい入っていてとても巨大)とロウソ(翁にしか見えない)とともに祝うためのものでもある。この地では他の土地で怖がられ避けられる鬼がもしかしたらもっとみじかな存在なのかもしれない。
佐渡はある意味弱者(社会的、政治的)にも寛容な島であったのだろうと感じさせられる。


同行した友人は食べ物美味しいし、自然は美しいし、ある意味豊かだよねという。(ただし当時の住環境で北国の冬は確かにこたえたに違いない。)土地の人たちが貴人たちを受け入れ、そこから文化的な活動が活発に行われるような島であった。時間感覚が全く異なるけれどもそれは必ずしも不幸なことではないし、むしろ充実した時を過ごしていたのではないだろうかと。

世阿弥の金島書は金島集という名前で吉田東伍という地理学者が紹介しているのだそう。
締めの言葉はこんな感じ


あらおもしろや、佐渡の海、満目青山猶自つからその名を問へは佐渡といふ、こかねの島そ、妙なる。
 これをみん、のこすこがねのしまちどり、跡もくちせめ世世しるしに、


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