鳥取銀河鉄道祭のできるまで6
鳥取銀河鉄道祭はもともとよそから来たアーティストが上演する形態でいいのか??という疑問から成り立っている。東京や海外からすごい人が来る、それを見ましょうということでは鳥取の芸術は育たない。またすごい人が来るから演出してもらいましょというのでもおかしい。
アーティストも、県民も同じ人だから。
私自身が神奈川から来た身ではあるけれど、東京の人すごいっておかしいなと思っていたので。
私は私に過ぎない。
私は私に過ぎない。
そしてあなたはあなたに過ぎない。
この土地に住む人は東京の人が見れないような広い空や美しい海を見ることができる。表現者としてそのことは何物にも代えがたい。私自身故郷を離れて何十年と経つ今でも私が踊ると北海道の空が見えると言われる。どんな技術よりもその資質、経験は代えがたい。
鶴見俊輔の「限界芸術論」をもとに修論を書き、そんな中、イギリスのコミュニティダンスの先を行くとすれば祭ではないかと考えた。日本から古くからある祭は地域コミュニティを支えてきた。祭においては全ての地位が消え去り、カオスが生まれる。そのカオスの中にそれぞれの生が星のようにきらめいている。そこにアーティストと一般市民の差はない。
とりアートのこれまでの作品でも、また全国各地の市民参加型舞台の多くでも、東京などから来た有名アーティストが演出し(その台本作りに地域情報が組み込まれる)、その振り付けをみんなで達成するべく頑張った!みたいなことが基本形だった。鳥取の場合はさらにクラシカルな作品だったので、その枠組みに沿うように演出され、それを目指して作品は出来上がっていった。
しかし、それは新しい何かを作る行為なのだろうか。
伝統を受け継ぐ、それはそれでアリだと思います。歌舞伎も、能もそうやって続いていきた。しかしこの鳥取で、その後追いをして何になるのでしょうか。ずっと東京の後を追わねばならないのでしょうか。あるいはずっとアメリカやフランスの後を追わねばならないのだろうか。
明治期以来日本は西欧文明に憧れ、それを追い求め続けてきた。今でもそういう傾向はあると思う。でも、それでいいの?いや私は日本独自の何かを目指したいのではなく、安易に西欧文化に乗っかっている現状が嫌だということに気がついた。
バレエもコンテンポラリーダンスももちろんある種の技術として習得する価値はある。が、作家としての独自性を目指すのであれば全く違う動き方や体の使い方を生み出してもおかしくない。少なくとも私ならそうすると思う。
このコンテンポラリーダンスが全くない土地で新しい何かを生み出すとしたら、それはコンテンポラリーダンスとしての身体ではない新しい方法を出すことになるだろう。そんなことを思いこの作品はスタートしたのでした。
この計画に至るまでの修論(2016年2月提出)は3つに分けて鳥取大リポリジトリに上がっています。これを読むとなぜ鳥取夏至祭と鳥取銀河鉄道祭が生まれたのかがわかるので興味のある方はどうぞ。
そして「ダンスは体育なり?」のレクチャーデモンストレーションが現状のダンスの否定形として生まれたことがわかる。
こういうダンスしか認められないのであれば私はダンスを踊りたいとは思わない。ダンスという言葉を使いたいとも思わないし、むしろそれダンスじゃなくて体操って言い換えたほうがいいよね。辛辣なようだが、ダンスとはもともとどんなものであったのか。「ダンスは体育なり?」は鳥取では上演できていないですが、いつか理解していただける日が来て欲しいと思っている。
0 件のコメント:
コメントを投稿