2019年9月11日水曜日

表現の自由について、その後(20190911)

表現の自由問題は新しい局面を迎えた。
アーティストたちが連名で新しいプロジェクトを立ち上げることになり、対話の場を自分たちで設定し始めた。
https://camp-fire.jp/projects/view/195875

一度ある種の検閲を受けて中止になったものが再開するということはまずあり得ない。が、それを実現できないか。
公的なお金ではなく、それが必要だと思う人の支えを得ながら。

電凸と呼ばれる現象がマニュアルによって拡散され、実行されていく(ある種のお仕事として成り立っていたりする)現状がある。見えない敵と戦うすべはおそらく個人の声であり、一人一人が自分の考えを持って行動していくという当たり前のことなのではないかと思う。

このしばらくの間に実際の展示を見にいったほか、
ONPAMのミーティング、
http://onpam.net/?p=3835
CAMPのミーティング
https://ca-mp.blogspot.com
などに参加してみて、オープンミーティングの限界を感じたりもした。あまりにも立場が異なる人がそれぞれに意見を言ってもあまり通じない。そしてまとめる際にどうしても言葉が抜け落ちる。それでも実際に顔を見て話すことがどれだけ大切なことかということを改めて感じた。
また、クローズドの回だからこそ語られる問題もあり、(今回特にCAMPのミーティングはメンバーのハラスメント疑惑から来る離脱なども含まれている。この問題については別途記載)公開はされていないが、同時代に生きる作家の一人として共有できてよかったと思う。
アートの人たちの危機感はパフォーミングアーツの人間のそれよりもかなり際立っているとつくづく感じる。

劇場芸術は助成金なしでは回らない状況で(これも会議の中で出てきた言葉)、だからかそんなに声をあげる人が見えてこない。
でもそれで良いのだろうか。

みてそれに反発する権利はある。
抗議をする人もいるだろう。
しかしそれをみられなくする、あるいは無かったことにするということはどうなのか。
どんな時代でも芸術はある種の軋轢、ざわめきを生み出して存在している。
生きることの意味、引っかかり、それは全てが解決できる問題ではないからこそ、芸術作品が生まれ、私たちに永遠の問いを投げかける。
300年前、500年前の絵画が、音楽が、戯曲が当時解決できなかったことを今の私たちに突きつけてくる。そして今も解決はできない、しかしそれを考えることができる。

なかったことにするよりも、そこから生まれる対話こそが豊かであると私は信じたい。

だからダンスというジャンルを選んでいる。最近はあまりにも入り組んだ情勢すぎてレクチャーパフォーマンスになってしまっているけれども。



NHKクローズアップ現代であいちトリエンナーレを取り上げた回も参考になるかと思うので、ぜひ見てみてもらいたいと思う。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4324/index.html

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