母から手作りマスクが届く。母(居住地札幌)ではすでに普通のゴムなど売り切れているという。家にあるもので作ったと言いながら、いつまでも娘な私に送ってくれる。
私も布マスクは実は作っていて、ポコラートだと思われる手拭いを加工したら(4分の1ずつ切って作ってみた)コロナ的イラストが入っており皆に大受けされてしまう。踊る子供達が写っていて、私にはぴったりと思ったのに!!ちょっと残念。
安倍さんから布マスクが届いてしまうのだろうか。でも、マスクは自分で作れます。
少なくとも国から配布されるマスクよりは可愛い生地で作れます。
自分が自分らしく生きるために、そういうことって大事じゃないかなと思います。
うちの学生さんがファッションや流行、特に理想のボデイイメージの変遷に関してで卒論を書こうとしている(今日もそのゼミがありました)のですが、色々読めば読むほど、ファッションとは既存の概念への疑問の投げかけだと思っています。テレビやメディアの流れで作られているある種の「美」、それを裏切ったりずらしたり、そうしてこの世の中の価値観が作られていきますが、この状況下で何を美と言えるのだろう。
暇だからではないですが、毎日本を読む時間が増えています。今日は「リア王の時代-1606年のシェイクスピア」(ジェイムズ シャピロ著、河合祥一郎訳、2018、白水社)です。
この年ペストが大流行します。そして劇場が閉鎖されます。しかしそんな中シェイクスピアに大きな転機がやってくるのです。つまりピンチはチャンス。実際代表作「リア王」を書いたのはこの時期なのです。(筆者はシェイクスピアがどのような考えを持っていたか(実際に本人が書いたものはほぼない)というのと作品は別物と捉えている)
大きな災厄はもちろん防ぎたいものですが、様々なレイヤーで物事が動きます。
政治についてはもちろんですが、芸術・文化にとっても大きな変化の時かと思います。
個人的にはここしばらくの公の強化、が気になっています。
大学のオンライン授業についても、各教員に丸投げですが、普通に学生たちの経済状況を考えると、サポートがないまま、踏み切るわけにはいかないだろう感覚はあります。
でも、しないなんて!と責められる。
様々な鬱屈がDVを含め攻撃的な表現としてあらわれてしまう。
そんな中どれだけの自由度、面白さを維持していけるか。
そしてそれをどこまで人々が許容できるか。そういうことが実は大事なのではないかと思うのでした。
ハーバード大の調査では2022年、東大医学部教員は10年かかるだろうと話すこの現状。
私も今のコロナが過ぎてもコロナ2、コロナ3と変容しながら続いてしまうと感じています。
長期戦になるときに、私たちは生き方を変えていけるのか。例えばスーパーで現金を使うとウィルスを渡すことになる可能性がある、そこまで意識できるか。
(現実問題としてアメリカなどでは黒人やヒスパニック系移民の死亡率が高く、低所得で、生きるためにレジなどの仕事に従事しているからとも言います)
この国の政権はそこまでの長期視点は持っていないように感じます。(オリンピックも来年と設定しましたし)そしておそらく、一番対策が遅れた日本が一番遅くなるだろう予感がしています。
留学中の昔の教え子に日本もやばいから帰らない方がいいかもしれないと話したくらい、危うい。
それぞれがちゃんと目で見て、聞いて、考えて、自分の生き方を選ぶしかなく、少なくとも国を信用しきれないということを感じました。それぞれ、たくましく。生きて。
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