2020年4月22日水曜日

コロナウィルス にかんして20200422オンライン授業づくり

鳥取大学は現在学校を閉鎖はしていないけれども、遠隔で授業を行いなさいということになり、オンライン教材を作ることになっています。(今も明日できることを模索しています)
でも学生たちのwifi環境が大学に来れればいいですが、来られなくなる可能性もあることを踏まえてできるだけ重たくならない、しかもわかりやすく教材を作らねばならず苦労しています。(おそらく全国の先生方がアワアワしている)

例になる映像を選んだりも今上映されている映像から選ばねば(そうすると著作権問題がクリアになる、ダンスの場合楽曲だけではないので、一応気をつけています。)なので、なかなかハードルが高く、(普段だとある程度のDVDストックがあり、そこから抜粋して見せていく)かつ、ある程度場所を指定してあげて(なん分くらいのところから見てねなど)となり、それに合わせてまた解説をつけてなので、それなりに時間がかかる作業です。(もちろん興味惹かれた子は全編みることをお勧めします)
そしてそのような今観れる作品一覧を作ってあげて、時間があって興味があるならみるといいよというのもご用意。ある意味贅沢なSTAY HOME。

実際には学生たちの家にはwifiがなかったり、あっても映像を見られるほど強くなかったりするので、やっぱり大学に来ちゃう子が多いのだろう予感がします。

ただ、最近、ウェブをみすぎて体調が崩れている感じがあるので、その話もしなければと思っています。人間動物だから。おそらく長くかかるであろう今回の家生活、仕事柄絶対必要だろうwifiを未だいれずにいるのは、そんなことを思うからです。(なので私も学校に毎日来ています。でも通勤などほぼ誰にも会いません。鳥取だからできてることでもあります)
このオンライン化は進化なのだろうかと最近思います。そして私は適応できていないという。私としては映像の刺激みたいなものや視点の強制みたいなものになれてしまうのが、ちょっと引っかかっていたのでした。

運動会も、演劇祭も、ダンスフェスもオンライン化していくし、皆の頑張りを知っているので応援しているのですが、自分の身体は適応しきれていないのかもしれません。
アバターの話や、VRの話などを聞きつつ、どんどん体が指先だけに特化していく、あるいは脳や視覚に特化していくのを感じて、ますます私はリアルな身体が好きなのだなあと思うのでした。声は同じなのだけれど、波動は伝わらない。
メールでのやり取りもそうで、同じレベルなきがする。
記号として理解できる。悲しい楽しい嬉しい表情、言葉の意味も。でも逆にいうとそれは私が大事にしているものではないのかもしれない。
それでも何かが伝わるのではないかと言葉を尽くしてはみても、それはあくまで記号にすぎないのではないか、そんなことを思うのでした。

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