2020年4月7日火曜日

緊急事態宣言に関して

緊急事態宣言に関して

確かに予断を許さない状況であり、都市部のみならず、気をつけることは重要だけれども、おそらくこのままでは難しいだろうと思う。
というのは圧倒的に検査数が少なく(特に検査した人の8割が陽性というのは確実に感染する距離にいる人を検査しているだけで、どの程度まで広がっているかの予測ができていない)、
平日の満員電車のような三密環境はある状況で、
これまで爆発していないことの方がおかしい。(その理由はとても気になる。一説にはBCGだとか、ハグ・キスをしない生活習慣だというが、その程度の差ではない気がする)
まさかこれまでの満員電車によって、様々なインフルエンザ同様特殊な免疫が日本人についているのだろうか、、、(違います)

と、した時に、おそらく、こんなに緩かったからダメなんだ、もっと厳しくしないと!という声が出てくるのは必須かと思われる。実際に日本医師会を始め、そういう声は出ている。遅すぎる!とか。
もっと総理の権限をあげないと、もっと素早い判断をするようにしないと。
そうやって国民からの声が高まり、変えたことにしていく。もしかしたらそう作るためにわざとゴテゴテ行なっているのではないだろうかとすら思う。

この特措法の改正についてはきちんと議論がないまま進められてしまったように、同じように憲法改正も含め「より厳しい公」を求める声が上がってくるだろう。それは表現の自由も含め非常に危険なことでもある。

totto(鳥取のアート情報ウェブサイト)に森達也さんのインタビューをあげた。(本当は昨年とったもので文字起こしとかも年末にしていたのだけれど、色々長引いてしまった)
http://totto-ri.net/interview_tetsuyamori001/
タイトルは「一人一人は優しいんだけれど、集団になった時に大きな間違いを犯してしまう」(なお2回に分けていて、今回のアップは1回目の分)
その中でセキュリティ意識が指摘されている。戦前についても検閲や弾圧ではなく自分たちでリスク回避のために店じまいしてしまう。リスク回避を行い、どんどん軍部の協力をするようになっていく集団性。それらは全て同質化していく傾向で、それは若い子たちほど強くある。

今回はウイルスだから、というのは確かにその通りで、自分の身を自分で守るためにも早く動いた方がいい。でも一方で、もっと国が厳しく取り締まらないと、あるいはもっと早く手を打つべきだという声は少し気をつけなければいけない。(少なくとも現政権では認めるのは危険だと思う)また国がそう言っているんだからという従うべきという考え方もいいとは限らない。


友人のドイツ在住人が言った。「ドイツはすごく手当もあついし政府は頑張っているけれど、国民が呑気で蔓延しちゃったよね、でも日本は政府がトンチンカンなことしでかすせいか、国民がそれぞれ頑張っているよね。」マスク2枚送る前に医療状態助けろ!とかお友達のホテルの前に効率よく設定する方法あるだろう(オリンピックの会場もありますしね)とか思っている普通の日本の皆さん一人一人がちゃんと見張り、おかしい時には声を出し続けていくことが、理不尽に思えても自由の一つの形であったりもする。

兵庫は神戸周辺が危険ということで指定された。お隣豊岡も含まれており、麗水に行けなくなるかもなと、ちょっと思う。実は県の南と北でだいぶん違う。そしてそれを一括りにするくらいならとっくのとうに空気を伝わり蔓延しているだろうとも思う。


感染者0の鳥取だが、今日が大学院のオリエンテーション(担当なんです)、明日から学部の新入生たちがくる。つまり、全国各地から集まってくる。2週間後には上級生も授業開始。ここがクラスターになるなという覚悟のもと授業の準備は続く。


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