2020年4月5日日曜日

毎日の稽古

稽古は毎日続く。
ストレッチをし、身体を整える。
牧野先生が生きていた頃は週2、3回彼女のクラスを受けていたので、必然的にバーレッスンと江口系のダンスクラスがあった。
彼女がなくなり、バレエベースのものを踊ることはなくなるだろうと考えた時に少しでもナチュラルな形にしようとバレエベースをやめた。
下半身が安定し、ちょっと太ったけれども、おかげで民俗芸能や日本舞踊について考えるのには役立った。股関節だけではなく骨格が変わる。
フランスに行ってフェルデンクライスベースを学び、ラッセルさんのところでもフェルデンクライスとバレエがベースだったので(彼はヨガ、カポエラ、バレエ、コンタクトインプロ、タイチ(太極拳らしいが合気道の方の影響が強い)と言っていた)実はそれまでバレエベースの身体作りを続けていた。

一般にダンスだけではなく、多くのスポーツも演劇も日々の訓練が必要だが、それを忘れられやすい。うちの学生さんにも授業で教える他に希望者に実技の時間をとるが、続かない。週1程度でも続かないが、私たちにとっては基本が毎日だ。
生きるには衣食住が必要というが、どこかが欠けても身体について考えることが必要だ。
宇宙に身体を繋げる作業をする。ただそれだけのこと。
私はソロダンサーなので、屋外で、歩きながら、少しずつそういう時間を取っていく。大概朝。稽古場で整え、そのまま本を読み、考察する時間がある。こんな状況で授業がないときはずっと毎日同じ時間に学校に行き、朝過ごし、学校の仕事をする生活が続く。レクチャーパフォーマンスシリーズはひたすら文献調査なので、ほとんどの時間が本を読んでいる。コツコツ。
大学に入れない日は外で踊る。

バレエダンサーの場合はバーレッスンを行う。毎日。これだと狭くても可能で、(できればフロアーバーの方がコンテンポラリーの方には向いている)このコロナ騒ぎでも大丈夫。実際様々なクラスが無料放送されているので試してみてもいい。

この前書いたSPACはトレーニング(鈴木メソッド)を公開し始めた。そして上演できない作品(いつかする予定だと信じたいが、現在はまだ決まっていない)だけれど毎日ウェブ上で稽古をしている。稽古をすること自体が日常で、それをなくすことはできないという意思表示だと私は思う。

かつてラッセルさんのところで働いていた時に、休暇になってしまう時に稽古だけでも集まってしたいと話したら、契約の問題があってダメなんだよと言われたことがある。スタジオを作るときも手伝うよと話したけれど、それをするとややこしくなるからダメなんだよと諭された。
2008年のリーマンショックの前に作った作品が立て続けに売れず、経済的にかなり厳しかった時代があり、私たちはThe PlaceSadler’sに代わりばんこにvisaを発給してもらっていた時期がある。おかげでThe Place prizeにチャレンジできたりしたが、visaゆえに他のカンパニーに移ることも簡単にできず(私はその意思はなかったけれど、一緒に働いていたシンは苦労した)でもせっかくいるんだったらただ毎日クラスをしながら一緒に次の作品を考えることができたらいいのにと私は思っていた。契約ってなんだろうとも。それぞれ各自クラスを受けるなりなんなりして体調管理をしなさいとなるのだけれど、私のように真面目な子は毎日色々転々とするけれど、とりあえずジュリエット(オーストラリア人、ボナチェラについて地元に戻った)にバレエクラスであった以外他の場所であったことはない。お金かかるから稽古なんて行かない、みたいなのもあれば、そもそもストレッチとかなんでするかわからんという人もいる。
私は多分踊り続けるし、うまくなくても、きっとこの道を続けていく。契約があるとかないとか、お金の問題ではなく、ただ、自分の在るべき形として踊り続けるのだと思う。そう思っていただけに結構衝撃的だった。
仕事として契約するということがわかっていなかったせいもあるが、理解してもらえなくてすごく悲しかった記憶がある。

いや、大切なことはやっぱり毎日の稽古は誰かに見られる、見られないということではなく大切なことだということです。コロナがどうこうではなく。コロナで外に出られなければ外に出られないなりに何かする。コロナが関係なくとも、今できることをしようとする。体の変化を見極めるためにも、毎日変えていくためにもとにかく続けていく。それは特別に時間をかけなくてもいいと大学時代に厚木凡人さんに言われた(満員電車の中だろうと、毎日常に試していけばいいんだ)ことがあるけれども。食住の次に大事じゃないかと私は思っています。
もし毎日身体を見る作業ができたら、体の異変に気がつけるんじゃないだろうか。そういう人が世の中にはいる。それを知っておいてほしい。生きることは踊ること。踊ることは生きること。それが当たり前の人がこの世にいるということなんです。


追記
リア王の時代ー1606年のシェイクスピア
私はダンスの人間なので、あまり演劇史に詳しくなかったのだけれど、やはり、そういうものなのだなあと改めて思う。本本体はまだ読んでいないけれどぜひ読んでみようと思う。
https://book.asahi.com/jinbun/article/13182849

0 件のコメント:

コメントを投稿