2020年4月27日月曜日

ともに過ごす時間(追記)

「おちょこの傘持つメリーポピンズのいない劇場」をみて演劇やダンスといったパフォーマンス系で一番重要なのは、同じ時を過ごす感ではないかと思う。コロナ問題でまさしく何もない劇場をただ見つめるだけなのだけれど(照明さんとカメラさんがそこにいる)野外劇場の日が沈んでいく様をそこで同じ時を過ごしたことがある人は体感する。
このゴールデンウィークの寒暖の激しい時期、必ずユニクロダウン持参しないと凍えてしまうそんな記憶とともに、鳥たちの声を聞く。
自然は変わらない。
ある意味リアルな今の世の中を表現している。

くものうえの世界演劇祭は字幕の問題などもあり、そのほとんどが収録、編集されて放送される。つまりライブの演目はおそらくこの不在の在作品のみだろう。不在なのだけれど、俳優さんたちがネット上でつぶやいている謎の光景が見受けられ、とりあえず舞台上では何も起こらないまま100人くらいが固唾をのんで見守っている。(俳優さんの電話朗読企画はライブかもしれないが置いておく。)
映像の編集は見やすくなるが、その間は本来のものとは異なってしまう。言い澱みや熟考や目がふと動くとかそういうところに人の思いが現れるのだとしたら、そういうところからカットしてしまう。それはそこに一緒に立ち会うこととは違う何かになってしまうのではないか。

私は劇場で様々な観客と同じ何かを見る。その見方が異なるかもしれないけれど(注目の仕方や興味が異なるので)同じ時を過ごす。それが時間芸術とも言われるパフォーマンスの重要なポイントではないだろうか。
見つめ合うことではなく瞳の先に同じものを見るということ。

有度はなにせ毎年通っていた(しかも春夏)ので懐かしいそして自然は美しい。


追記:
その後(ここに書いたせいではないですが)くものうえ演劇祭のインタビューなどは事前録画なものの編集をしないで同時通訳の形で上映されるようになりました。リアルタイムに近い形になったという感じです。たまたまなのかこの国たちがコロンビアとかブラジルとか普段日本の報道では出てこない国なので、それぞれの現場が垣間見られるという点では貴重なインタビューかもしれません。つまり芸術家であるけれど、その前に人ということでもあります。

0 件のコメント:

コメントを投稿